言われて嫌な言葉、嬉しい言葉。今日の写真は玉ねぎと椎茸のたまごとじ炒め。椎茸は龍神椎茸が美味しいのです。
言われて嫌な言葉でも、心が何を伝えようとしているのかを聞き取れたならば嬉しい言葉になるのです。「運が良かったのよ」自分の行いを見てくれていなくて定められた運命に逆らってはいけないと受け止めてしまうと嫌な言葉に感じてしまうのです。
逆に「運が悪かったのよ」と言われると嬉しいでしょうか?自分の行いは良かったのに定まっている運命が悪かったのだから仕方が無いと慰めているのです。
どちらもあなたを気遣って慰めてくれているのです。言葉に振り回されてはいけませんが、自分が発する場合は言葉を選ばなければなりません。
心を優先させると言葉が出てきません。それを補うのが文章です。会話です。その場その場で確認をするのです。「うざい」作業です。
心が通じるとはお互いに同じ道を同じ方向に向かって歩く事です。
手を繋いで、肩を寄せ合って、少し距離を空けて、などなど状態はさまざまですからそれは認めるのです。
生まれてきたからには幸せになりたいと思うのです。
幸せだと感じるのは人それぞれによって異なるものです。
体験してきた事が異なるのですからそれを知りましょう。
でも、他人の幸せを奪う事を容認してはいけないのです。
他人の幸せを奪うかもしれないと思ったならば何もしない事です。
他人から言われて嬉しい言葉、嫌な言葉は、自分が自分に言っても嫌な言葉、嬉しい言葉になりますか?自分が自分に言っても良い言葉「がんばれ」は、他人が自分に言うと、「がんばっているのに、これ以上がんばれない」と思ってしまうのです。
同じ方向を向いていれば「がんばろう」と思うのです。でも「がんばっている」とお互いに思っていれば「がんばれ」とは言わずに「一緒にいてくれてありがとう」と感謝の言葉になるのです。
辛い時も幸せな時も同じ方向を向いて歩いていれば心は通じるのです。