生きることが目標の人と死ぬことが目標の人のどちらが幸せでしょうか?今日の写真は野菜スープ作りました。
生きることは苦しい、死後の世界は楽しいなんて教えられたら死ぬことを目標にしてそれまではこの苦しみを我慢してみようとか、死ぬことは怖くないお国のため、大切な人のためならばこの命捧げましょうなどと思ってしまいます。
そうでしょうか?死後の世界が楽しいなど誰が証明してくれたのでしょう?
死後の世界は何もない、肉体は滅んでも魂は生き続けるって、誰がそれを体験して教えてくれたのでしょうか?
生きることを目標にしても、死ぬことを目標にしてもそれは、幸せとは次元の違う話だと思うのです。次元の違いとは同じ方向で同じ距離を歩いていても角度が同じだと交わることがない平行線です。
幸せという線と交わった時に幸せだと思うだけで、平行線であればお互いに理解することは無いのです。角度を変えることが歩み寄ることになり、同じ線上で歩むのが同調したと言えるのです。
人はそれぞれ自分の道を歩んでいます。自分から進む道を変えない限り幸せという道に交差できないのです。幅の広い道でたくさん交差する道を歩んでいる人は同調した、たくさんの人と歩むかもしれません。
道を改修する人、新しい道を作る人、道にも色々あります。生まれてきて点から始まって歩むことで線となり交差することで道幅は太くなっていくのです。
誰かが造った道を歩むことから始まって、道半ばで歩むことを止めるかもしれません。造りかけの道ならばその先に何があるのか確かめるために後を継いでくれる人が現れるかも知れません。
まだ人類はゴールと言えるところまで到達できていません。
わたしはわたしの歩んだ道を道標として綴っていきます。