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禅の「無分別の分別」への過程

肯他⇒自肯⇒自知「事に触れずして而して知る」


これは、社会と自己との闘いである。

社会との立ち位置の争い《他肯》

私が守られ、他者に害されない(保障)、その保障を受け入れ、自分の主体《自肯》を十分に生かしていく。

規律に任せて伸ばしていく。(それを阻む自肯の否定)自知の為の私は私であるという確信。(自肯)を安定化させると、《自知》に至るのであった。


在家修行としての禅の生きる道筋


私の時の流れ、時を生かし、時を縁と考え、時の中で自己を陶冶する
その方法は、決心による執着の消去と意志に依る本体の持続(否定(縁)肯定(意力))の発展性である。自我の膨張的位置づけ(存在の放出)と、現実の縁起による否定(存在の無効化)、その弁証法で、自己の本体を超越し続けていく(生きるという気力の原動力で)真理を否定と肯定の行為の弁証法で掴み、自己を浄化しながら其れを他に還元する循環自分を生かしたいという執念と熱望。行動の達成による、欲の除去と執着の解放。否定⇒定(対象(自己)或は、浄化(自己化))⇒他(他と自の混合)⇒定(自の中の他)⇒否定(自己の損害から社会の私の否定)⇒自肯⇒他(自知)。存在を挽回する、命の叫び声。本当の自分に為る。⇒真人。自己の世界での自己調整、自己の本能を変える(世の中の私は空であり、真の対象は自己に在る)。その存在の否定を覆す為の、日々の修行、そして存在の肯定。私と世界の闘いである。その日の原動力の力を、次の日に生かし、成すための決着過程の条件とする。時と存在の同時発展と、世界の対象の中に生き得れば、自他同時発展である。自然が導いてくれる。其れが天人合一の流れである。天は私を生かし、私が天(世・宇宙の流れ)を生かしていくのである。その為に、私と天は合一していなければいけない。天と人が協力しながら、生きなければいけない。其れが、万物一体の眼。写真合成で前に進んでいる。(自分の位置づけと存在の維持)

 

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