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夢を語る “黒い” 自己紹介

おはようございます!atom(アトム)です。

note登録の1か月を記念し, 人間らしく
心の中の黒い部分を出した自己紹介

してみたいと思います。

なぜ原子力発電?


私は現在京都大学に通いながら, 
原子力分野について専攻しています。


なぜ原子力というネガティブなイメージのある,
マイナー分野を専攻しているのでしょうか。

せっかく京都大学に入ったのに。
他の分野の方が面白いんじゃないか。

そう言われたこともありますし,

読んで頂いている方のなかにも,
そう思う方はいるかもしれません。


しかし, 専攻する理由は簡単です。


誰もやらなかったから。


それだけです。

ただ, この書き方だと誤解が
ありそうなので説明させてください。

信用ならない大人


東日本大震災が起きた頃, 私は小学生でした。

ある日テレビのすべてのチャンネルが
地震情報「原子力発電所」という

聞いたことのない施設の映像で
占められていたのを覚えています。


次の日から「放射線」がどうのこうのと
大人たちがテレビで議論を交わし始め, 

「原発は無くすべきだ」という主張が
頻繁に聞かれるようになりました。


非常にひねくれた子供だった私は,

そこまで危険だというなら
前から止めれば良かったじゃないか

と思い, 事故が起きてから
「自分は分かっていた」という態度で話す
大人に違和感を覚えました。


文句だけしか言わないこの大人は,
明日総理大臣になっても同じように
発言し・行動し・責任を取れるのか

と強く反発心を持ったことを覚えています。


この体験から

知識を持たずに意見を言う人間は嫌い。

大人に期待せず, 知識と責任を持って
自分の意見を発信できるようになりたい。

という今の自分の軸が出来上がりました。


一瞬の忘却


そうして疑問と不満,「放射線」という
聞き慣れないワードへの恐怖に包まれていた私を
置いていくかのように, 日常が戻り始めました。

まだ何も解決していないのに。

地震があった地域にはガレキが残っているだろう。
行方不明の方も沢山いるらしい。


あんなに議論の的になっていた原発も
決して無くなったわけではない。

ニュースが流れなければ,
自分の視界に入らなければ, 
起きてないのと一緒。

安心して自分は生きていける。

そんな周囲の空気に疑問を持ちました。


このまま忘れてしまうの?

誰も原子力発電について調べず
ニュースを鵜呑みにして怖がってたのに。

報道が無くなったら安心なの?

まだ気にしている自分がおかしいかのように
日常が流れていきます。


「辛ければ目を逸らして忘れる」

世界ってこんなクソみたいな
ルールで回ってるんだ。

初めて世界にニヒリズムに近い
絶望を抱いたのも, このときでした。


当時の自分は泣きましたし,
今も書きながら涙を止めることが出来ません。


自分が精一杯生きてきた世界は
こんなにもくだらないのか。

そしてこれまでに自分は,
どれほど多くの他者の苦痛から
無自覚に目を背けて生きてきたのか。

そう思うと悔しくて, 申し訳なくて, 辛くて。


でもまだ死ねない。
自分はまだ何も成してない。

せめて今まで目を背けてきた苦痛から,
これからは目を逸らさないように。

他者の苦痛に寄り添って, 一緒に苦しんで,
悩んで, 伴走して支えになれるように。


そう考えた私が

原子力分野の勉強をしよう

と決めたのは, 当然の帰結だったと思います。


それからは一番設備が整っていて,
素晴らしい先生がいて,
少しでも自分の力を伸ばせる大学に行って
研究できるように, 勉強に没頭しました。


21歳になり, いわゆる大人になりましたが,
学生時代にもっと遊べばよかったと
思ったことはありません。


一番楽しい時期なのに遊ばないなんて

とはよく言われました。

自分の部屋にこもって勉強ばかりしている
私に, 両親が言ったこともありました。


しかし遊ぶ方が精神的に辛かったです。

自分が遊んでいる間に
もっと出来ることがあるんじゃないか,
そんなことをしていて良いのか。

そう考え始めると生きる意味を
見失うまで悩んでしまいました。


勉強をしているときだけが,

何も成していない,
誰のためにも生きることが出来ていない

そんな自分を慰めてくれました。

この積み重ねが将来,
誰かの苦痛を軽くする助けになるんだ
と。


自分の卑小さを知った大学生活


そんな高校時代を抜け,
現役で京都大学に合格したとき,
1つ肩の荷が下りたような気がしました。

家族が喜んでくれたからです。


学歴にこだわる両親では無かったので,
一生懸命勉強したのが報われたことを
喜んでくれたのだと思います。

褒めてくれた時も

自分の子どもが「頑張れる子」に育ってよかった

と言ってくれました。


相変わらず他者の苦痛から
目を背けないことは難しかったけれど, 

自分は身近な人のために生きることが
出来ているんだと知れたのは嬉しかったです。


順調に勉強し単位を取っていった昨年夏,
福島県を訪れて実習をすることになりました。

しかし, この二週間の実習で自分が
今までしてきた「勉強」が現場で
いかに役に立たないかを身に染みて理解しました。


小さなころから両親に言われていた,

勉強だけできれば良いと
考えるのは大間違いだよ。

というセリフを思い出しました。


自分はまだ矮小な存在でした。


今何してるの?


現在は原子力関連の研究を進めながら,
メンタルヘルスに関する勉強をしています。


省略しましたが精神の不調に陥り,
中・高あたりで特にキッカケもなく

こんな自分が生きていることが申し訳ない

という度を超えてネガティブな考えが
頭を離れなくなった時期がありました。

今も好不調の波が来て
眠れなくなることがありますし

もっと生きやすい世界は無いかと
もがいているところです。


当時はメンタルヘルスに関しての知識もなく,
友達の前では何でもないふりをしていました。

何にも興味が湧かなくなり
無味乾燥な日々を過ごしていました。


noteで精神疾患を自認されている方を
フォローさせて頂くことが多いのは,
このような経緯があります。

自分も悩んだからこそ目を逸らさず,
苦しむ方がいれば寄り添えるように。


今の自分の座右の銘は

"知らなかった" は最高で最低の逃げ

"知らなかった" というフレーズは
"知ろうとしなかった" 自分を守ってくれる
最高に都合の良い, 最低な言葉です。

ジェンダーについて学んでいた時,
"知らなかった"と思うことがよくありました。

しかし考えてみると私の家の家事は
共働きなのにすべて母がしていました。


それに気付いて以来,
分担するようになりましたが, 
しようと思えばいつでも出来ました。

どこかおかしいのも前々から
気付いていたはずでした。


間違いなく, "知らなかった" のではなく
"目を逸らしていた"

しかし, "知らない" ことにしていました。
なぜなら

"目を逸らしてた" って認めるのは
自分が悪かったと認めることだから。

そう気付いてから, まずは自分の弱さから
目を逸らさないように心がけています。

でないと他者の苦痛から
目を逸らさないことは絶対に出来ないから。


最後に


これからの人生で,
無視されるという恐れを抱くことなく,

弱った人が助けを求められる世界を
創りたいです。


しかし, 社会を変えるには

個人の意識ではなく仕組みが求められます。

考えたくない人は, 考えなくても
良いようにしなければなりません。


そんな仕組みを作ろうと,
同い年のエンジニアと共同創業し、

やりたいことを探し、夢を語り合い
“普通じゃない” ことを楽しむというビジョンに

共感して下さる皆様のサポートを得ながら
一歩進んで二歩下がったりしているのが現状です。


 自分の無力さを知り,
一番強くて, 一番優しい人になる

を目標にして,

絶望を含んだ冷めた視点で
温かい世界を創ろうとしています。

失敗の多い人生ですが,
それだけが誇りです。


これからも失敗し続けますが
ひとつよろしくお願いします。

今回はこのあたりで。
atom.


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