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【後編】”掴みかけた”ニューノーマルの本質

一般社団法人 学士会の会誌"NU7"に記載されたエッセイを転載したもので、2020年7月号の原稿です。以下、本文↓

他のエッセイはこちらからご覧ください。
また、原稿は昨年執筆ですが、長文のため前編と後編に分けたいと思います。今回は後編で、詳細は目次からご覧ください。

前編はこちら

4. ニューノーマルの本質と変わるものと変わらないもの

 ニューノーマルという言葉が頻繁に使われていますが、ニューノーマルを明確に説明するのは少々難しいと感じています。それだけ新型コロナウィルスの影響は大きなものでした。働き方、食事、買い物、娯楽・スポーツ、移動手段等と色んなカテゴリーでニューノーマルがありますが、今回はコミュニケーションに絞って考えてみたいと思います。
 単純に考えれば、インターネットを用いたバーチャルのコミュニケーションが大幅に増加する事ですが、リアルでのコミュニケーションが消滅するわけではありません。むしろ、リアルなコミュニケーションの価値がより大きくなると考えています。デジタル・ネイティブの若い世代からすれば、リアル(欧州では”In Real Life”と言うそうです)での交流と、画面越しのバーチャルでの交流の両方は当たり前であり、そこで展開される内容は基本的に同じです。むしろ利便性という観点では、移動時間等のコスト削減によって大きく進歩しています。しかし、必要なものだけが抽出され、データに変換される点で、不要で曖昧なものが削除されると言う意味では、コミュニケーションは難しくなると思います。
 人間は色んな感情を内包した複雑で曖昧な存在であるがゆえ、仕草や言葉の言い回しで会話に”含み”を持たせますが、それがデータに変換された時、その含みは相手には伝わりません。実際、仕事で私が上司とTV会議で議論した時と、会議室でリアルに議論した時では、議論した内容の成熟度は大きく異なり、リアルの方が深い議論になりました。おそらく、画面に映る小さな顔とスピーカーから聞こえる声に比べ、声とともに顔の表情や仕草等の表現から感じとるのとでは、お互いに吸収する情報のレベルが違ったのでしょう。仕事の観点から言うと、とても大きな前進になりました。とあるインターネット記事に、”科学技術が発達して、様々な人と気軽にコミュニケーションが取れる現代だからこそ、実際に会って話をすること(生のコミュニケーション)や人間関係の維持・構築がこれからの社会でより大事になってくるのではないか。” っと書かれていました。

 ニューノーマルは、私たちに真に必要なものを顕在化させてくれました。コミュニケーションで言えば、ツールを用いた情報伝達の手法は大きく変化していますが、いかに自分の思いを正しく相手に伝えるかっと言う点では、その表現や言葉がより大事になると思います。
 これからの未来で、移動人口が減少するかもしれませんが、むしろ移動して現場に行く、または実際に誰かに会いに行くと言うのは、ますます重要になると感じています。グローバル化の波が止まるわけではないとすれば、自分の言葉で話す事に大きな価値がますます大きくなり、むしろ語学力や表現力の重要性も大きくなるでしょう。人間力は、バーチャル化が進む事でより問われるのです。そこに学歴は関係ありません。

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5. 終わりに

 上の図に私が知る範囲ですが、遠方から学士会YELLのイベントに来て頂いた方々の居住地(当時)を示しています(リモート参加含む)。国内は北海道から四国・九州まで、海外は米国やタイでした。そこで活躍する仲間と出会い、SNS等を駆使して繋がっていられるのは財産です。
 私は若手の中ではかなり歳を取ってしまいましたが、これまで見て聞いて感じ取った事は、仕事や人生に活かされています。これを次世代の若い友人達に引き継ぐのが私達の役割です。
 本題に”掴みかけた”と書いたのは、自分だけでなく、次に引き継ぐ事が必要なのに、それができていないと言う反省からです。ITリテラシーの重要度が上がるほど、コミュニケーションの重要度も上がります。この関係は相関性があり、これからも続くと思います。
 高校生の時、これからは”ドックイヤー(10年が1年で過ぎる)の時代だ”っと聞かされましたが、これからも続きます。変化が当たり前になった今、その本質を見極めつつ、普遍的で変わらないものを大事にしてきたいと思います。


今、自分が思う事(反省と学び)

 この記事は別の人が書く予定だったが、彼の日本語に不安があった事と私以上にリモートツールに精通する人間がいなかった事から、この原稿を執筆する事にした。途中で原稿量が4倍になって苦しんだが、我ながら良く書いたと思う。そもそも別の原稿(下記リンク記載)も書く予定で、その内容もあって相当な精神の消耗を強いられた。

 私がこれを書いていた時に描いていたイメージと、今の現実はかけ離れているのが正直なところである。この活動に3年前から参画して、タイに赴任している間もリモートワークのように東京にいる仲間と連絡をとって議論しながら企画を進めてきた。当時は刺激的で楽しかったし、学びが多かったし、お互いに成長している感覚があったが、コロナ禍に向かってその仲間は減り、意味不明な人間関係のトラブルの仲裁に入る事が増えていった。それでも辞めなかったのは、この原稿を書いた自分と同じように考えている人間が必ずいて、共感が得られると性善説的に信じていたのだが、結果的に間違っていたと思う。世の中は大きく変化したわけでもなく、変化を恐れて嫌う人が優勢で、また私の考えと違う考えを持つ人が多かった。

 愚痴になるが、私は変化を嫌う人達にとって挑戦的な原稿を書いたのかもしれない。私は学歴しか取り柄の無い人たちも含めて、自習の重要性と人間性の涵養を説いているが、それを拒否する人がいたのも事実だろう。
 今でも真偽は分からないが、私が管理運用していたSNSの投稿とNU7で書いていた記事について、一字一句読み込んでは"粗探し"をしている人が近くの別団体にいると聞いた。一度でもクレームが来れば、責任は必ず問われるし、書く内容の修正と制限は避けられない。その過程で私の精神の疲弊が徐々に始まっていた。今は無関係な身なので、心身は楽になった。

 色んな若い友人と出会えて、親しくなれたのに、結果的に何もできなかったのが今でも悔しい。時代の流れを読み誤っていた事を反省し、今でも付き合いのある友人や、新しく知り合えた友人を大事にしようと思う。

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