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過去の自分と友人との対話

一般社団法人 学士会の会誌"NU7"に記載されたエッセイを転載したもので、2020年7月号の原稿です。以下、本文↓

他のエッセイはこちらからご覧下さい。


 考え事は時として不便で、一旦始まるとグルグル回り続けて終わらない。毒にもなるが、閃いた答えは資産になる。あるイベントのトークセッションで、”思いを伝えるということ”をテーマに開催した。結婚観の予定だったが、繊細な話題で不注意で不用意な発言が、誰かの心傷になりかねない。そこで哲学的な内容に変更した。難解にしたと反省しつつ、変えて良かったと思った。

 5年ほど前、古い同級生と成田空港で会った。国道一本で来られる場所に相手は住んでいて、自分は北米に出張中だったので、乗り継ぎの合間に合流した。コーヒーを飲みながら、ふと「あなたは私と同じ」と言った。心当たりがなかったので理由を聞くと、「私はとても繊細で、それを表に出せずに我慢していた。一方で、あなたも繊細でかつ、周りから標的にされている事に安心していた。」と答えた。そういえば学生時代、都内で会った時と地元で会った時の態度があまりに違うために悩んでいたが、理由はこれだった。打ち明けて清々しい彼女を、時差ボケで暗い醜い顔が複雑な何かを抱えて見つめていた。

 若さゆえに強い気持ちを抱え込み、そのまま焼け焦げた代償は致命的に大きい。とても好きだった人が、自分と同じと思いながら、その同じ私を生贄にしていた。優等生ではないが真面目な学生が、学校生活に耐えながら繊細な性格を独りで抱え込むのは苦痛でしかない。彼女と別れて帰路につく機内で、眼下のぼやけた灯を見ながら、過去の自分と彼女に怒りが湧いた。眼下の灯がはっきりとした時、過去を肯定していた気もする。しかし、自分を認めて好きになるのが必要だと気づいたのは、もっと後だ。

トークセッションでのある文章に、こう書いた。

自由でないと望んでいる事が叶わないのではないか。

自由は、自分を認めることで得られると思う。
必要な事を知る事ができるからだ

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