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Book(Movie) Review-7:銀河鉄道の夜

実は読んでいない。
しかし、朗読会の応援のために、宣伝協力のために書く。

宮沢賢治の未完の小説で、死後に草稿が発見された。出版されている本が、彼の描いた完成形なのかは分からない。ネットで調べた解説から、何かを補完できるように、小説に込めたメッセージを探ってみたい。福井県とその周りの人たちが、この朗読会に来てくれたら幸いである。

問いかけられる"本当の幸せ"

選んだ解説記事(あらすじ含む)はこちら。


考察がここまで分かれるのも面白い。一方は"本当の幸せとは何か"と問いかけ、もう一方は"不条理な死の受容"をテーマにしている。多様な解釈と考察を受け入れる作品であり、今に語り継がれる理由かも知れない。

平田オリザは、"友人の死を受け入れて成長する物語"として舞台化しているが、"成長する物語=本当の幸せ、生を謳歌する決意"とすれば、2つの考察は一致していると思う。

では、本当の幸せとは何か?
ホンシェルジュの解説によると、宮沢賢治が描こうとしている"本当の幸せ"とは、"人のために生きること"であるという。

解説にもあるが、人のために生きる(≒ 本当の幸せ)決意したのに、現実として友人が死んだ事(≒ 人のために死ぬ)を知り、私たちはどう捉えるのだろうか?
そこまで、自分を犠牲にできるのか?
いや、当時の時代だとそうかも知れない。後の太平洋戦争では、多くの若者が、家族のために、愛する人のために死んでいったのだから。今は、命を賭けなくても誰かを救える社会と思う。なので、命を犠牲にしなくても、誰かのために生きることは、とても大事なことではないだろうか。

利他主義の限界

"人のために生きる=利他主義"という前提でレビューを書いているが、私は利他主義に限界を感じていて、本音を言うと揺らいでいる。
ジャック・アタリは、著書"21世紀の歴史"の中で、利他主義について述べていた。また、2020年のコロナパンデミックの最中、NHKが彼にインタビューをしており、”未来に向けて私等に必要な事は?っと聞かれて、"利他主義は合理的な利己主義だ"と答えていた。
学生時代に友人と"利己と利他主義"で話した事を思い出す。利己が利他を包括するなら、利己の方が効率的だけど、それは遠い自死ではないか?っと思ってた時に、上述の本に"利他主義が各人の利益となり、トランスヒューマンとなることは、理性的な選択である"っと書いてあった。

でも、ここで問いたい。
"無償の愛"は成立するのか?

そもそも利己が利他を包括するのならば、自身に利益の無い利他は意味が無い。ならば、損得勘定で生きる方が合理的で、利他主義よりも利己主義でいた方が効率的である。人間誰しもが、どこかに期待値を持って生きているし、誰かのために何かしようと思っても、どこかで見返りを期待してしまう。つまり、誰かのために生きることが幸せならば、見返りも求めない事も多く含んでおり、自分の利益は無視する事になる。それは、"コスパ"が重要視される現代の私たちにとって、十分に可能な事なのか?

正直、難しいと思う。

口で言うのは簡単だが、人のために生きようとしても、それを餌として食い潰す人もいるし、裏切る人も多いと思う。なので、見返りを求めなくても、その幸せが壊される事もあるだろう。なので、すごく大事で、そうあって欲しいと思っても、実際には難しく、実行しづらいのではないだろうか。

作者のメッセージとは?

幸せを感じるために重要な事は、ある哲学者の言葉を借りると、"幸せは、他のどこかには決して無い"である。

主人公は、旅を通じて"本当に幸せ"を探し、自分の中でそれに気づき、試行錯誤しながら育んでいく。
個人に依存するが、"本当の幸せ"は1つではない。"本当の幸せ=人のために生きる"だけとは限らない。しかし、他者と他者との関わりの中で、人格ないし人間性が成熟しているように、その過程で喜びが得られるのもまた事実で、利己の延長に幸せがあるとは思わない。

人間の生きる環境において必要とされる根幹であるからこそ、"本当の幸せ"として"人のために生きる"と定義したのでは無いだろうか。"本当の幸せ"は、別に他でも何でも良くて、それを獲得するために、その必要な要素として、本当のメッセージを少しだけずらして込めたように思えてくる。
実際はどうなのだろうか。

何度言うが、実は読んでいない。
批判は多々あるように思う。そんな時は、6/12 19:00〜 みくに未来ホールでチケットを2500円で購入して、その後に指摘を頂ければ幸いである。


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