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ありがとうの重さ。

2023年7月29日土曜日
尾瀬小屋は100人近い宿泊客と、レストランを訪れるお客様で賑わい、フロントも売店も厨房もギリギリの人数で奮闘を続けていた。

この日は朝からピーカンの夏晴れ。
しかし、昼前には至仏山側から積乱雲が発生し、瞬く間に雷を伴う激しい夕立に襲われた。

爆音を響かせる雷と叩き付ける雨

前日の金曜日と全く同じような天気となり、
尾瀬ヶ原から人が消えた。
見晴地区を目指す人達は、竜宮小屋や東電小屋に。
温泉小屋を目指す人達は見晴の山小屋に避難し、キャンプ客も建物内に避難した。

2時間近く降り続いた雨は止んだが、近くの沢は氾濫寸前、林道内の登山道は一部川と化していた。

木道の上を流れ落ちる雨水

それは16時くらいの出来事だっただろうか。
隣接する山小屋のご主人から『燧ヶ岳の4合目付近でケガをした方がいる為、救助作業を手伝って欲しい』と声が掛かった。

前述した通り、小屋はギリギリの体制での営業、これから夕食100人前を作ろうかという時だったが、人命救助最優先には変えられず各山小屋から人員を出し合い見晴地区の救助隊を編成した。他の山小屋も同様、大変な営業を強いられたに違いない。心の中でそっと励まし合った。

担架や救急道具、エマージェンシーセットや飲料などを用意し、救助に向かう人達は見晴を出発して行った。
私の役割は小屋に残り、救助隊と連携し傷病者の状態、事故発生状況の掌握、身元情報の取りまとめを行い、消防や警察に救助要請や事情説明を行う事だ。

真っ先に救助ヘリを要請したが、日没近い時間帯かつ樹林帯でのピックアップは不可能と判断され、救助ヘリは来ない。人力で傷病者を安全な見晴地区まで担ぎ下ろすしか手段はなくなった。4合目付近だと救助に行くまでに1時間以上を要するのと、担ぐ事を想定した場合、下山作業は夜になる事は免れない。暗闇の中の救助は隊員の安全にも注意が必要となる。

見晴救助隊が無事に傷病者と接触し、救助を開始した頃、傷病者の体調急変など万が一に備え、福島県の山岳救助隊も御池から出動して来る形で動き出した。

見晴救助隊が16時に出発し、時刻は早くも20時を迎え小屋も消灯時間となったが、救助隊は見晴まで下山出来ておらず、私も急いで燧ヶ岳へと向かい担架搬送作業に加わった。

時刻は22時近かっただろうか。
無事に傷病者を見晴地区まで搬送する事が出来、
傷病者は翌朝に福島県の防災ヘリにて病院へと搬送された。病状悪化などもなく、最悪な事故は免れた。それが何よりの吉報だった。

迎えに来た防災ふくしま

◾事故はニュースに

傷病者の身元などを確認していくと、しっかりとした登山計画や登山届が出されており、準備は抜かりなかった。もしも、それらの準備がなかったりしたら救助はもっと苦戦しただろう。しかし、どれだけ念入りに準備したとしても、気をつけていたとしても、ケガをする時はするし、思わぬ事故に遭うこともある。

脅かす訳ではないが、自然相手のスポーツという事を今一度理解しながら楽しんでもらいたい。

尾瀬に訪れる人全ての安全を願いながら、気絶するかのようにその日は床についた。

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就労体験の開始

話しは変わり、私が10年間過ごした東京の児童養護施設がある事は以前の記事でも何度か書きました。

その施設で暮らしている高校生を対象に『社会学習』という目的で、8月1日より尾瀬小屋での就労体験を受け入れている。

過去にも都会の施設を活用した取り組みを実施した事はあったが、山小屋という特殊な環境下で実施するのは初めての試みだ。国立公園という唯一無二のロケーションを活用し、将来を担う若者達の感性を刺激するにはうってつけの場所だと私は考えている。就労体験に来る高校生は日にちを変えながら、8月末にかけて複数名来る予定だ。

高校生に対し、丁寧に仕事を教えてくれる尾瀬小屋の先輩達、何の心配や不安もなく高校生を職場に馴染ませてくれている尾瀬小屋のスタッフ達はさすがだと感心した。

そんな感心と同時に、僅か2日目にして子供に教えているようで教えられた事がある。

それは『ありがとうの重さ』だ。

高校生にとって、山小屋での飲み物や食べ物、その日に稼ぐ日給、電波一つとっても全てのありがとうに重みがあるのだ。何をしてもありがとうのラリーがあるし、初めて感じる感情や刺激みたいなものが『ありがとう』の言葉に詰まっている。

反面、毎日当たり前に無料でご飯を食べ、
毎月のボーナスや特別休暇を取得するレギュラーメンバーからありがとうと言われる事はなくなった。

何の違いがあるのか、
それは生活環境の『慣れ』だろう。
24時間、約150日を同じメンバーで生活し、それを3年間も続けているのだから、そうなるのも無理はない。でも、高校生に言われたありがとうで気付かされた。
どんなに慣れた関係や、環境でも相手に感謝を伝える事はとても大事な事だと。そしてそれは、要求するものでなく自分自身で気が付く力を持ち合わせるべきだと。

何度も言うが、感謝されたい訳じゃない。
今後、誰かの為に何かをしたいというモチベーションを大きく損なう事に繋がるからこそ、みんなもだし、自分もだし、ありがとうを伝える事は重要だ。

ただでさえ、仕事が忙しい中、
日々、高校生の様子を施設にレポートしたり、
安全管理やスケジュール管理など、一見すると、本来やらなくていい業務が増えたようにも見える。
でもそれは、私にとって面倒な仕事ではなく、私を育ててくれた施設へのありがとうなのだ。

高校生の家庭背景を聞いた時、
私にしか伝えられない事があり、尾瀬小屋スタッフ達と働く中での体験が、間違いなく将来の力になる事を確信した。

教育や学習なんてそんなカッコつけず、
苦楽を共にする仲間が近くにいる事、お客様にありがとうと言われる喜びがある事、疲れを吹き飛ばしてくれる絶景が目の前にある事、口にする美味しい食物が届く事、そういう何かが当たり前にある幸せを感じて帰ってくれたらそれでいい。

高校生は先生に。スタッフ達は私に何となく用意された環境と思わずに過ごせるか。8月の一つの楽しみだ。

尾瀬小屋
工藤友弘

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