スタア誕生 1970-1979 (♪21) 【夜のミュージック・スタジアム】
「夜のミュージック・スタジアム」
光栄プロが入るビルの1階、アンナミラーズ前。
ビルの周りに張り込んでいるファンの子たちが、水槽に餌を入れた時の金魚のようにざわめき始め、迎えの車が到着した気配を感じて、俺たちは事務所を出る。
横付けされた車は、キャデラック・エルドラド。とてもこだわって選んだカラーはチェスターフィールド・ブラウン。ハンフリー・ボガートが吸ってるタバコはチェスターフィールド。このなんともいえないブラウンがすごく気に入ってる。
松岡さんが顔見知りのファンの子に「よっ」っと声を掛け、俺も続いて「よっ」っと片手を上げる。すると、きゃーっと、まるでやかんが湧いたみたいに悲鳴があがり、俺はそれを背中に車に乗り込む。
助手席に乗り込んだ松岡さんは、車を回してきた水無月に「時間が無いぞ、4時半にのリハに間に合うようにスタジオ入りしろよ」と急がせ、振り返り「今日は、新曲「愛のかけら」のテレビ初公開だからな。しっかりやれよ」と、俺の尻を叩いた。
「夜のミュージック・スタジアム」、略して「夜スタ」。
毎週木曜の夜九時から一時間の生放送でおくる音楽番組。出演者はトークを交えながら、番組専属オーケストラで生歌唱。演歌から歌謡曲、フォークまで、その時旬な人が出演する。老若男女でテレビを囲み家族団欒、翌日の学校の話題で事欠かないから、視聴率もとても高い番組だ。
そして、今日はミルク・シェイクのデビュー曲「Q.Q.( キュート・キューピッド)」が、この”夜スタ”に初めて出演する日。
富良沢先生の二曲目、「愛のかけら」で、出演を控えていた俺の楽屋に、ジミーさんと連れだって二人が楽屋に挨拶に来た。
「初めまして、ミルク・シェイクです」
ちょっとだけ猫背の女の子が先に片手を差し出し、少し大きい方の子もそれに続いた。
「Mugenで1度お目にかかってるんです」
「もちろん覚えているよ。滝沢先生と一緒だったね」
Mugenで見かけたときにくらべて随分垢抜け、堂々としていることに驚いた。決して細いとは言えないけれど、形の良い長い足がすんなりとホットパンツから伸びて、健康的なオーラがみなぎっている。ジミーさんは横で満足そうに目を細めて、挨拶をする二人を見ていた。
「俺はこのミルク・シェイクを、ドルを稼げるステージシンガーに育てて、アメリカで勝負するつもりだ。よろしく」
たったそれだけ言って、3人は楽屋を出て行った。
期待していたわけではないが、どうしているか、元気か、そんな言葉の一つもなかった。多少なりとも同じ時間を過ごした日々に、ジミーさんはなんの未練も、愛情のかけらさえも残してはいないようだった。
今日は、正宗も一緒なのが少しだけ気持ちを軽くしてくれた。
自分の出演時以外、出演者は、雛壇で番組進行を見守る。俺たちは仲良く並んでモニターを眺めなら、こそこそ噂話を始める。
「あの子腹黒いよ」
清純派の女性アイドルを指して小声で言う正宗。
「なんで?」
「女の話には気のない相槌なのに、男の話だとめちゃくちゃアピールするようにはしゃいで聞いてるでしょ。ああいう露骨なの苦手だわ」
正宗は可愛いければいいのかと思ったが、本当はよく見てるんだな。
「俺も見抜いているセオリーがある。『嘘ついてる子は、伏せ目がちに話す』だ」
「おー、わかる。素直な子は視線も自然だもんな。いつもなにか企んでる子は、目配せ方も下品なんだ」
「だいたい、カメラに抜かれて突然顔作るのも、よく平気でできると思うよな」
「うん、それな。見え透いてるよな」
俺たちは呑気に、テレビの前の視聴者と同じ目線で番組を楽しむ。
番組の中盤でミルク・シェイクの出番。
誰かが後ろで「でかいなぁ、あの二人。迫力あるね」と呟くのが聞こえる。存在感の大きさが、二人を一層大きくみせているんだ。
司会の山岩慎吾が聞く。
「東京にまだ来たばかりなんでしょ」
「はい」
彼女たちのおどおどとした仕草に、山岩は鼻の下を伸ばして優しく扱っている。
「今回歌ってくれるデビュー曲はどんな内容なの?」
「キューピッドのイタズラで、恋がうまくいかなくて、『お願い!焦らさないで』って曲です」仲良く言葉を補足し合い、相槌を打ち合いながら、実に恥ずかしげに答える。
「実生活も危ないキューピッドに翻弄されてるんじゃないの?大丈夫?」
スケベ心が見え隠れする質問に、いやぁだ、なんてきゃっきゃしながら素人臭さを出しながらも、しっかりトークを続ける逞しさに、俺は気付いている。
「山岩さんのキューピッドほど、危ないのはいませんので大丈夫です」
「あは、そうか。じゃ、 ”Q.Q.( キュート・キューピッド)”、いってみよう」
イントロが始まった。途端に、普通の女の子の仮面が外れる。
たった今素人丸出しで危なげに振る舞ってた二人は、一転。
マイクロミニの黄色いワンピースを一枚まとっただけの姿で、見てる方が恥ずかしくなるほど、堂々と踊り始めた。みな面食らう。そして、大胆な振り付けに釘付けだ。
赤裸々な衣装、破廉恥と批判されそうな大胆な振り付けなのに、ちっともいやらしくない。健康的に見せる、ビタミンカラーを選んだミツコさんのセンスが絶妙なんだろう。
歌いはじめにサビメロを持ってきて、力強い二人のハモリから聞かせる曲作り。高音から降りてくる心地よいスリル。
激しい振り付けにも、喉は自由になるよう鍛えられた腹筋。
喉を絞めずに開放することで、伸びやかに響く高音。
この、口腔内と全身で声を共鳴させる歌い方は、俺も習っている児玉先生のトレーニングに違いない。
キラキラと輝く瞳が、見る者の心に貼り付いて、正宗も一言も喋らなかった。
曲が終わり拍手をしようとして、俺は膝の上に握りしめた拳が、汗ばんでいることに始めて気がついた。
もう彼女達は自分が、どう演じるべきか完全に理解していた。凄い。ジミーさんはこれでアメリカを目指すんだ。
いつの間にかCMに入ったスタジオには、変わらず怒号が響き、めまぐるしくセットが変えられてゆく。ここでは何百も何千もの歌手が、毎年、毎週、入れ替わって行く。
変わらない物と変わって行くものの狭間で、もしかしたら今、歌謡界の歴史が変わった瞬間を、俺はみているのかもしれないと感じていた。
そして俺の予想通り、ミルク・シェイク旋風は瞬く間に吹き荒れて、彼女たちのデビュー曲「 Q.Q.( キュート・キューピッド)」はすぐに60万枚売り上げた。
ショクナイ(内職)
「年末ジャンボ宝くじ1等一千万円が当たったらどうする?」
今年から年末ジャンボの1等当選金が800万から大台の1000万円になり、発売と同時に日本中の宝くじ売り場はパニックになっていた。
テレビでは殺到した群衆で、死者や怪我人が相当出ていると、白熱した人の群れを映し、人々の噂はそのことで持ちきりだった。
「『ダモクレスの剣』がヴァイナル・ディスク大賞とるのと、宝くじがあたるの、どっちのほうが確率高いかな?」
社長が神棚においた100万円の束ほどの分厚い宝くじを、下から見上げながら事務員さんたちと、もし当たったら何を買うか妄想していると、もこもこの手編みのセーターの上に、ボルドーレッドの革のトレンチを羽織って着膨れた松岡さんが事務所にもどってきた。
「おー、寒い寒い。今年は雪は早いのかなぁ。”バード”から歩いてくるだけの間に凍死するかと思った」
事務所から僅か15分程度の距離を、松岡さんは大げさだ。
赤坂・檜町には、世界で一番高いと言われている高級レストラン・バー”バード”がある。富良沢先生が好んで通われ、夜な夜な業界人が集まることで知られていた。
誰が言いはじめたのか、その集いは「檜会議」と呼ばれた。時には仕事の依頼を、時にはネタの交換をし、「今、ヒットは檜会議から生まれる」とさえ言われる。
もちろん松岡さんもちょくちょく顔を出していて、今夜もそのバードからの帰りだった。
「広告代理店は『ミルク・シェイクのスタッフは戦略が上手い、ヴァイナル新人賞も間違いないだろう』と噂をしているらしい。ジミーのやつ、嵐のプロジェクトをそのままパクっただけじゃないか。なにが戦略が上手いだよ」
事務員さんが入れてきてくれた熱いほうじ茶をすすりながら、松岡さんはテレビのスイッチを入れた。
「お、『夜のヒットスタジアム』の日か」と、言ってソファに深く腰掛ける。
丁度、ミックさんが富良沢先生の新曲を披露していた。
「毎回、予想を裏切る衣装や演出だな。思惑通り、ファンは目一杯振り回されてんな」
こういうところだ。ミックさんから目が離せないのは。
「高音も低音も同じだけ豊かで、クリアに響くんだよなぁ。気持ちよく伸びて聴き惚れるね。ミックさん、今すごくのってるな」
ミックさんのあと、CMが明けると福岡桃子から始まった。
「嵐、桃子のすごいところ、気がついてるか?」松岡さんがいう。
”フラワーシスターズ”の中で、出遅れた感のあった彼女。
本来マイナスであるはずの、”すこし暗い印象”を、”大人びた”と言い換えることで暗さをセールスポイントに変た。今や三人の中でも一番の人気を博していた。
「普通、歌手はみんなタリーライトを追って、自分を抜いているカメラを意識するけど、桃子は敢えて目をそらしたり、伏せたりするんだ」
「もちろん、気づいてるよ。その上、最後の最後、キメの一発だけカメラをみつめるんだよ。みてる方はドキリとさせられる。やっぱり、ずば抜けるには、人と何か違うんだ」
それがスターというものだ。
ミルク・シェイクは桃子の真逆で、トークの中で、思わせぶりではらはらさせる本能を持っている。
「今日新しい曲やってもらうんだけど、振り付け最後まででき上がったの?」
「できたばっかしだから、本番間違えるかもー」
「うわー。じゃぁ、今日間違えるかも知れない?!」
司会も慣れたもので、はしゃいで一緒に盛り上げる。この即興の緊張感もいい。
「じゃあ早速、新曲の『i Want』。どうぞ」
ハンドマイクでセンターに移動する二人。
デビュー当時のまるで運動部のような印象から、すっかりしなやかに振り付けをこなす。ほんの数ヶ月の間で、これほどに美しさを増すとは。
「くねくねして可愛いっすね」
皿を下げにきた出前の子が、仕事そっちのけで画面に目が釘付けだ。
「振り付けのクオリティも高いよな」
ずれる衣装も気にしてないのか気がつかないのか、アイちゃんはめくれ上がったビスチェを直す素振りさえ見えない。本人は、そんなこときっと気にしていない。
「ああ、胸みえちゃうんじゃないですか、放送事故ですよ」
下心が丸出しになった自分に気がつき、出前の子は頬を赤め気まずそうに出ていった。
「ジミーんとこもショクナイ、やらせてんだろうな」松岡さんが不満げに言った。
業界では、会社に内緒で他社の仕事を請け負うことを”ショクナイ(内職)”という。
全国コンサートツアーの独占権争いで、大和テレビに負けたEBSのディレクターに、コンサートの演出を任せたのも”ショクナイ”だ。
おかげで、うちとEBSは秘密の関係でより特別になる。
誰でもいいような出演枠なら、優先的に声を掛けてくれるのは自然の流れだ。
「今だったらきっと新人賞だって、ノミネートぐらいならしてもらえただろうな」
松岡さんも、初めてのヴァイナルディスク大賞の時の、あの悔しさを糧に着実に事務所を成長させてきた。
「それをあいつ、手っ取り早く人の人脈フル活用しやがって。ここまでにするのにどれだけ苦労したと思ってるんだよ。企業秘密みたいなもんだろ」
ショクナイだけじゃない。
各局の音楽番組で演出を務める作曲家や振り付け師、キャスティングに強い発言権を持つ人たちのリストを、そっくりミルクに流用しておきながら、「戦略がうまい」などと言われては、松岡さんが腹を立てるのも当たり前だ。
「衣装デザイナーも、ボイストレーナーも、コンサートのフルバンドも・・・うちは一流の人たちばかりだから、使いたいのはわかるけど・・」それがジミーさんの、やりたかったことなのか。
「だからといって、彼らはウチを断ったり、手を抜くわけではないから、こちらは文句を言う筋合いでもないんだけどさ」と、松岡さんはぼやいた。
そうさ、彼らのやり方など俺には関係ない。
リードしているとおもえば知らぬうちに出し抜かれて、自分の賞取りだってどうなるかわからないんだ。どこの事務所もどの歌手も、他所とは違う手を探り、虎視眈々とチャンスを狙っている。
その時できる最高のことを、俺はやるだけだ。
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