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どうしても、伝えたいことができてしまって。 無駄ともいえる労力の全てを、妄想の世界に捧…

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どうしても、伝えたいことができてしまって。 無駄ともいえる労力の全てを、妄想の世界に捧げました。 作品につきましては、一部の史実から妄想して創作した完全なるフィクションです。誤解なきようご注意ください。

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スタア誕生 1970-1979 (♪1)  intro

あらすじ 1970年から1979年、バブル直前の日本。 広島に生まれ育った一人の少年がスカウトされ、スターを目指す奮闘記。 トップアイドルと呼ばれるまでに成長はしたけれど、目まぐるしく変わる芸能界で本格的な大人のスターを目指す日々を綴る10年間。 スターを目指し、芸能界で彼の手にしたものは・・・ 1970年代、歌謡曲が全盛期を迎えた黄金時代の、日本の芸能界をリアルに描いた昭和歌謡の光と影。芸能界に夢をかけた全ての人達の物語。 次に進む→        intro  不気

    • スタア誕生 1970-1979 (♪33最終話) 【1979年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞】

      ← 前の話       33・最終話    1979年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞     国立劇場の観客席はノミネートを受けた歌手とその関係者が、それぞれかたまって着席していた。  サニーレコードの陣営には、ノミネーターの証、マゼンタピンクのカトレアを髪に飾った蘭子さんの姿がひときわ華やかだ。  緊張した面持ちの蘭子さんと目が合うと、周りのスタッフに気を遣って、彼女はばれないようにそっと俺に笑顔を送った。  我が光栄プロの陣営も負けてはいない。最優秀歌唱

      • スタア誕生 1970-1979 (♪32) 【メリー・クリスマス】

        ← 前の話         32       次に進む →  メリークリスマス  蘭子さんの「サマルカンド・ブルー」は、レコード売上げを伸ばし続け、既に120万枚を記録し、この十二月の年末でさえ、勢いはまだ止まることを知らなかった。    🎵 月の落とした影、映すのは砂の波 シルクロードの風よ抱いて    あなたの砂漠に落ちてゆく  私は女    美しい鳥や唐蔦、柘榴などの刺繍がされた絹の布をベールに、蘭子さんはくるくると回ってなびかせ、サマルカンドの碧い宮殿から舞い上が

        • スタア誕生 1970-1979 (♪31) 【碧き炎】

          ← 前の話        31      次に進む → 碧き炎  いつものように、地方の仕事の後、みんなでホテルで食事している時だった。 「あ、なに?このロックっぽい曲。調べて」テレビから流れてきたBGMが気になる。  水無月は手慣れた様子で、胸のポッケから手帳を出してササッとなにやら書き込んだ。そうだ、さっきのラジオの曲も調べて貰えばよかったな、なんて思いながら、残りのカレールーをライスにかけようとした時、続けて流れてきたCMに目と耳が釘付けになった。  画面に映

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        スタア誕生 1970-1979 (♪1)  intro

        • スタア誕生 1970-1979 (♪33最終話) 【1979年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞】

        • スタア誕生 1970-1979 (♪32) 【メリー・クリスマス】

        • スタア誕生 1970-1979 (♪31) 【碧き炎】

          スタア誕生 1970-1979 (♪30) 「My Heart's Beating Wild (Tic Tac Tic Tac) 】

          ← 前の話         30       次に進む → 「My Heart's Beating Wild (Tic Tac Tic Tac) 」    正月のこと。  休みも兼ねて訪れていたフランスで運命的な曲と出会った。  たまたま立ち寄った現地のレコード屋で買った、何枚かのレコードの中から、とても気にいった12inchがあった。 『Gibson Brothers - Que Sera Mi Vida (If You Should Go)』、ケ セラ ミ ヴィダ。

          スタア誕生 1970-1979 (♪30) 「My Heart's Beating Wild (Tic Tac Tic Tac) 】

          スタア誕生 1970-1979 (♪29) 【1978年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞 】

          ← 前の話         29       次に進む →   1978年12月31日  日本ヴァイナル・ディスク大賞    戦い尽くして、大晦日がまたやってきた  今年のヴァイナル・ディスク大賞は、明らかに例年と違う様相を見せた。  俺やミルク・シェイクのステージ監修をしている羽鳥雄三さんは、フランス人歌手のヒット曲を、日本語でカバーして編曲賞を受賞した。  テレビには出ないと宣言する、シンガーソングライターをとうとう無視しきれなくなり、彼らがアイドルに提供した楽曲

          スタア誕生 1970-1979 (♪29) 【1978年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞 】

          スタア誕生 1970-1979 (♪28) 【「Only the Two of Us」】

          ← 前の話         28       次に進む → 「Only the Two of Us」  その日、俺は正宗の部屋にいた。アメリカンコンテンポラリーの落ちついたインテリアにモダンアートの額。男のくせにルームフレグランスまで置かれ、正宗の部屋はお洒落すぎる。俺は女の形跡がないか、ベッド回りやら洗面所を探る。 「よし、あやしくないな」 「やめてよ、嵐。そんなことあるわけないじゃない。僕、アイドルよ」 「白々しいぜ。どうなの、最近」 「なにが」 「それがしらじらし

          スタア誕生 1970-1979 (♪28) 【「Only the Two of Us」】

          スタア誕生 1970-1979 (♪27) 【スタジアム・コンサート・ツアー「WILD THING '78」】

          ← 前の話         27       次に進む → スタジアム・コンサート・ツアー「WILD THING '78」  毎年行ってきた夏のツアー。ファンの中ではすっかり定着して、最終日のスタジアムは即日で2万5千枚のチケットが売り切れた。  ツアータイトル”WILD THING”。”ヤバいやつ”とでも訳してくれ。  十九歳で初めて、大阪球場・日本人ソロ歌手初の冠を手にしてから4年。  とうとう、国内最大級、東京スタジアムでのコンサートが実現する。  よりによっ

          スタア誕生 1970-1979 (♪27) 【スタジアム・コンサート・ツアー「WILD THING '78」】

          スタア誕生 1970-1979 (♪26) 【ザ・ベストヒット・ランキング放送開始】

          ← 前の話         26       次に進む → ザ・ベストヒット・ランキング放送開始  一月、歌謡界に新しい時代が始まった。  日本のテレビ史に残る音楽番組、「ザ・ベストヒット・ランキング」が、EBSテレビで毎週放送が始まる。  全国から寄せられた投票、レコードの売り上げ総数、ラジオ・有線のリクエスト総数の合計によってきめられる生放送のランキング番組。  司会に抜擢された白川聡子さんは、日本が世界に誇る城山監督の作品でアカデミー賞・主演女優賞にノミネートされ

          スタア誕生 1970-1979 (♪26) 【ザ・ベストヒット・ランキング放送開始】

          スタア誕生 1970-1979 (♪25) 【1977年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞】

          ← 前の話         25       次に進む → 1977年12月31日  日本ヴァイナル・ディスク大賞  行き交う人の波、魚やお菓子の叩き売りの声が響く年末のアメ横は、今年も活気にみちていた。  ミルク・シェイクのマコの退院が、直前に間に合ったこともあって、今年の年末はその話題で持ちきりだった。お餅を焼くストーブ、ご馳走を前に、人々は最後のエンターテインメントショーを楽しみに待っていた。  6時から始まる、「ヴァイナル・ディスク大賞」、そしてそのあとの「東

          スタア誕生 1970-1979 (♪25) 【1977年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞】

          スタア誕生 1970-1979 (♪24) 【 石神井公園】3992

          ← 前の話         24       次に進む → 石神井公園  石神井川が流れ込む、自然豊かな池の公園。本当は道を挟んで隣にある三宝寺池の方が由緒正しいと知っている人は少ない。  この周りは、数々の著名人の豪邸がある落ち着いた住宅街だった。  池から放射状に上がってゆく、細い坂道のうちの1本を上がったところに、かつてと変わらないないまま、あの家はあった。  日々の手入れが大変であろう広い庭は、ブロック塀と高い植木に囲まれ真っ暗で静まりかえってる。  こ

          スタア誕生 1970-1979 (♪24) 【 石神井公園】3992

          スタア誕生 1970-1979 (♪23) 【1976年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞】

          ← 前の話         23       次に進む → 1976年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞    今年、音楽シーンは、子供番組から生まれた「コツメカワウソ3兄弟」と、デビューしてまだ3ヶ月の”ミルク・シェイク”が、前代未聞の特大級ヒットを飛ばし、音楽史にも、記憶にも深く刻まれることになる一年になった。  今年のヴァイナル・ディスク大賞、最優秀賞受賞のルールは、事前に選ばれた候補10人の中から、5人がまず歌唱賞として選ばれる。次にその5人の中から、今

          スタア誕生 1970-1979 (♪23) 【1976年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞】

          スタア誕生 1970-1979 (♪22) 【独楽】

          ← 前の話         22       次に進む → 独楽  年末・年始の年末進行。  年越し・新春の特番も併せてやっつけないといけない、一年で最も忙しい季節がやってきた。  だけど、それも今やなんとなく嬉しい。  77年の新春隠し芸大会は、GoGo3としての演目がきまり、この数日三人で会う機会も増えたことがいい気分転換だった。  演目は「独楽回し」。その名の通り木で作った大きな独楽を、いろんなものの上で回す曲芸だ。じつに正月らしい。  俺たちのスケージュールを

          スタア誕生 1970-1979 (♪22) 【独楽】

          スタア誕生 1970-1979 (♪21) 【夜のミュージック・スタジアム】

          ← 前の話         21       次に進む → 「夜のミュージック・スタジアム」  光栄プロが入るビルの1階、アンナミラーズ前。  ビルの周りに張り込んでいるファンの子たちが、水槽に餌を入れた時の金魚のようにざわめき始め、迎えの車が到着した気配を感じて、俺たちは事務所を出る。  横付けされた車は、キャデラック・エルドラド。とてもこだわって選んだカラーはチェスターフィールド・ブラウン。ハンフリー・ボガートが吸ってるタバコはチェスターフィールド。このなんともいえな

          スタア誕生 1970-1979 (♪21) 【夜のミュージック・スタジアム】

          スタア誕生 1970-1979 (♪20) 【『スター登竜門』】

          ← 前の話         20       次に進む → 『スター登竜門』 「最近は”スター登竜門”の勢いは凄いなあ」  午後から始まるレコーディングのため事務所に立ち寄ると、日曜のお昼にすっかりお茶の間の定番となった、『スター登竜門・開け夢の扉』の決勝大会の様子を社長が見守っていた。  一般公募で応募してきた素人が、スターを目指すオーディション番組。予選会を勝ち抜いたアイドル希望者たちが、公開放送で歌を歌う。  後に国民的スターとなる、津谷桜子・河辺百合・福岡桃

          スタア誕生 1970-1979 (♪20) 【『スター登竜門』】

          スタア誕生 1970-1979 (♪19) 【榛 名】

          ← 前の話         19        次に進む → 榛 名  「嵐を少年から、青年にしていただけないでしょうか」  松岡さんは畳に額を擦り付け深々と土下座した。皆それに続き、慌てて俺も頭を下げる。  二十歳となった俺は、このままアクション歌謡の”アイドル”、と評価され続けることに不安を感じていた。ジミーさんの抜けた”プロジェクト・嵐”は、これからの藤原嵐像を模索していた。  ファンと共に年をとっていく存在にならないと、息の長いタレントにはなれない。  そう

          スタア誕生 1970-1979 (♪19) 【榛 名】