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スタア誕生 1970-1979 (♪29) 【1978年12月31日 日本ヴァイナル・ディスク大賞 】

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1978年12月31日  日本ヴァイナル・ディスク大賞 


  戦い尽くして、大晦日がまたやってきた
 今年のヴァイナル・ディスク大賞は、明らかに例年と違う様相を見せた。
 俺やミルク・シェイクのステージ監修をしている羽鳥雄三さんは、フランス人歌手のヒット曲を、日本語でカバーして編曲賞を受賞した。

 テレビには出ないと宣言する、シンガーソングライターをとうとう無視しきれなくなり、彼らがアイドルに提供した楽曲が、三曲も作曲賞にノミネートされると、職業作曲家の時代は終わったと、世間に印象付けた。

 それでも、俺の「Dream a Dream」、ミルク・シェイク「ハニームーン」、ミックさん『ドリアン・グレイの肖像』の3作品はまだ、富良沢作品として最後の大賞ノミネートの10組に選ばれていた。

 だけど、噂されていた通り、大賞争いはミルク・シェイクとミックさんの一騎打ちの展開だった。俺は最初から大賞争いにまったく絡めなかったことを受賞式が進行する中であっけなく悟る。

「今年の日本ヴァイナル・ディスク大賞も、残すところ最優秀歌唱賞と大賞の発表となりました」

 10組の中から選ばれる最優秀歌唱賞と、大賞。手元に届いたこの二通の封筒をかざして見せる司会者。

「先に最優秀歌唱賞から発表します」

 全ての人の視線はその手元に注がれ、開封を待ち構えた。

「『ドリアン・グレイの肖像』、三国毅くんに決定いたしました」

 その瞬間、ミックさんは受賞を喜ばなかった。最優秀歌唱賞をもらったということは、大賞は自分ではないと意味する。肩を落とし、静かに舞台に上がった。

「”ド”という、頭の音が聞こえた瞬間、”ド”で始まる曲は、三国さんしかないから自分だと、すぐに気がついたでしょ?」司会者はミックさんに言った。

 同じ ”ド” で始まる曲名の俺は、座席に身を沈めうつむくしかなかった。
 俺のことなど、誰も鼻から頭にない。俺は最初から、大賞争いにまったく絡めなかったんだ。
 
 あとは、最後に残された大賞の発表に、もう興味を持つ人はいない。聞かなくてもその答えはみなわかっている。

「作曲家、作詞家、編曲家、演奏者。日本音楽協会に登録する全会員の投票により、
今年最も優れた章を選出するヴァイナル・ディスク大賞。この一年を代表する、最も 売れて、大衆に愛された曲は?!」

 長すぎる前振りに、空席の目立つ観客席上をサーチライトが回る。
 そしてドラムロールとピンスポットがピタリととまり、指し示した光の輪にはミルク・シェイクの二人がいた。

「『ハニー・ムーン』 ミルク・シェイクです」

 スポットライトが自分たちを指していると気がついた瞬間、一人は背もたれに体を任せ放心し、一人は両手で顔を覆って泣き崩れた。
 カメラは疲弊しきった二人の姿を正直に映し出していた。
 抱き合うこともなく、ねぎらいあうこともない、静かな勝利。二人は満身創痍で芸能界への反乱をやり遂げたのだ。

「さぁ、お二人、どうぞ舞台へ!」

 番組のエンディングロールに、重いブロンズ像を、よろけながら細い肩に担ぎ上げる彼女たちの姿は痛々しく、いつまでも虚ろにさらされて続ける。
 客席には、もう白けた空気だけが溢れていた。彼女の事務所の人間以外、誰もこの授賞式に興味は無い。

 誰もが振り向きもせずに車に飛び乗り次の、東西対抗歌合戦を行うTHKホールへ向かうなか、ミルク・シェイクだけが逆方向へ向かうのを、俺は密かに見送っていた。



Dream a Dream


 眠る彼女の頬に口づけ、そっとおやすみといってベッドから這い出た。
 一年でもっとも寒い時期に、温め逢える肌が愛おしい。

 重く湿った空気を感じて窓のそとをみると、シーンとした夜の町に大粒の雪がぼたぼたと降り積もる。いつもより静かな部屋は、この世に俺たち二人きりと錯覚させる。

凍った公衆電話のコイン投入口を、吐いた息で溶かしながら、ありったけの10円玉を入れた夜が何度あったことだろう。
 夜中にもなれば外で食事するような店も、買い物するようなところもなかった。いつ仕事が終わるのかもわからないようじゃ約束もできない。真夜中にこの部屋を訪ねるのが唯一の逢い引き方法だった。

 いつも夜中、誰にも知られず、こっそりと逢ってこっそりと別れる。それでも一人より、ずっと心強かった。

 だけど、これからは違う。俺も彼女も、束の間何かを誤魔化しながら、いつまでもそこに止まっているわけにはいかない。

「アメリカの契約、やっぱり長期帰れない。あなたに会えないまま何ヶ月もなんて無理だから、あたし辞める」

 彼女達のアメリカ進出が決まり、契約書のサインをする日。彼女はミルク・シェイクを辞めるといって、途中で会議室から飛び出してきたという。

 「これ、ジャンジャン鳴ってる電話は事務所からなんじゃないの?」

「そうよ。アメリカからレコード会社とコーディネーターが来てて、事務所総出でおもてなし中。あたしが逃げたなんて気づかれないように必死なんじゃない」といって、彼女は電話線を無造作に引き抜いた。

「だれか様子見に来るんじゃないの? いくら電気消してたって、合鍵で入ってきたら見つかっちゃうだろ」

「大丈夫よ。もう、鍵は事務所に渡してないの。最近多少のわがままは聞いてもらえるようになったのよね。まさか電気が消えてれば、部屋に居るとは思わないでしょ。灯台下暗しよ」

「まぁ時間の問題だろうけど」

 そうさ、時間の問題だ。今日逃げたところで、いつまでもそうしているわけにいくまい。

「どうなの? 嵐さんはあたしと会えなくても平気なの?」

「平気なんかじゃないよ」そういってから、吐いた言葉をひどく後悔した。彼女を軽い気持ちで引きと止めて、じゃあ俺が彼女を幸せにできるの?

 カーテンの隙間から外を覗くと、人一人いない。街灯が一つついているだけの、静かな夜だった。

「ねぇ、君にとって幸せってなに?」

 脈絡のないような質問に彼女は驚き、大きな瞳で俺をじっと見つめた。そして諦めた様に、「そうよね」といって、押し黙る。もう彼女だってわかっているんだ。

「君と会えてよかった。そんな言葉なんかでは言い表せないほど、君と会えて俺は幸せ」

 彼女は、俯いたまま俺を見ない。

「今だってずっと君といたい。だけど・・・」はっきり言わないといけない。
「だけど、本当は一番欲しいものは何か、君にはわかってるんでしょ?」

 彼女は、黙って涙を流した。

 声を殺して泣く君の姿があまりに悲しげで、そんな姿を見るのがこれほど辛いとは知らなかった。

 強く抱きしめると、彼女は気持ちを抑えきれす声をあげて泣き始めた。俺も、泣いた。

 悩み、喜び、悲しみ、戦ってゆく人生のうえに“歌”がある。これはこの道を選んだ俺たちの生き方だ。彼女もきっと同じはず。だから決めた。
 
 もう一度、彼女の寝顔を目に焼き付け、このまま傘を借りずにそっと部屋を出た。
 灯りが消えた夜の街は雪灯りでぼんわり銀色に輝き、風に舞った雪は輪舞曲のように、俺の火照った肩に、睫毛に絡みつく。

 振り向けば、いつも彼女はひっそりとカーテンの蔭から俺の姿を見送っていた。彼女の髪に顔をうずめて、あの窓辺からながめる朝日はいつも眩しかった。

 今も彼女はあの窓から俺の後ろ姿をみているだろうか。

 俺は振り返らず雪に足跡だけを残した。



 「1979年 田中龍一率いる、新バンド「Son's Dragon」を結成。夏には米・Nipper Recordよりアルバム『マグダラのブッダ』をリリース」と、音楽業界誌「コンフィデンシャル」は伝えた。
 そして龍一バンドは、俺のバックを辞めると言った。

「嵐のバンドが嫌なんじゃないんだ。誰かの為に演奏するのではなくて、自分のバンドを作りたいんだ」と龍一さんは言った。俺には彼らをつなぎ止める資格はない。

 嵐バンドを辞めるからには、それ以上に大きなミュージシャンになって欲しいと心から望んだ。

 ミルク・シェイクはアメリカにおけるデビューシングルが『As Yet』と決まり、5月1日にホイヤー・ブラザースにより世界40ヵ国で同時リリースされることになったときいた。デビューから6本契約。長い渡航になるだろう。

 正宗は本格的にミュージシャンとしての活動を始め、悠は役者の道に進むことを決めた。みんなそれぞれの方法で戦っていた。それぞれ夢を叶えようとしていた。

 今、芸能界は大きな転換期を迎えていた。



「俺はもうやることはやったから。辞める」
 ハリーさんに突然、打ち明けられた。
「やっぱりドラゴンフライですか?」

「うん。いま再結成の話しが進んでてね。これから、ライフワークにしていきたいと考えてるんだ」

 噂程度には聞いていた。GSの再結成ブームが訪れているなかで、ドラゴンフライの再結成も決まるとか決まらないとか・・・。

 共に走り続けてきたチーム・アラシの一人がまた去っていく。
 話が決まって行く時、俺はいつでも蚊帳の外だ。
 ひたすらトップを目指し、考えることさえもせず、いつも全力で駆けてきた。だけど目指したはずのゴールは、たどり着いたと思った途端、いつでも霞のように消える。気付くと、一人また一人と、皆それぞれの道へと去って行ってしまう。
 俺は看板と共に一人取り残されたピエロだ。

「グループっていいですね。羨ましいな・・・」

「やっぱり俺は何よりもドラゴンフライなんだ。何と比べてもドラゴンフライに決まっている。俺の青春だから」と、ハリーさんは言った。

 このところハリーさんは他の歌手の仕事でも忙しく、今ではいろんな歌手の楽曲にクレジットされるようになっていた。そんな作曲家としての成功よりも、彼は青春の1ページを選んだんだ。

 俺もこの青春を振り返ったとき、ハリーさんのように胸を張って一番だといえるのだろうか。


 ハリーさんが書いてくれた最後の曲、「Dream a Dream」。
 彼女を待つ人の元へ返したくない思いで身を引き裂かれながら、成長してゆく男の姿を、富良沢先生は詞に書いた。

 今はよく分からないだろうけれど、大人になった時、きっとこの詞の意味がわかるから。先生はそういった。

 別れを繰り返し、たくさん傷付きながら、やがてこの歌を今よりうまく歌えるようになってゆくのだろうか。


 この年、富良沢鳥呆は、作詞家を休筆されることになった。
 そしてこの曲は富良沢先生とも、最後の曲となってしまった。






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「スタア誕生 1970-1979」サントラ  準備中


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