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50年前に考案された「高嶋(かぎ針)タッチング」開発秘話

 こんにちは! owarimao です。レース編みのいろんな技法に興味があります。先週は「タティングレースとマクラメを融合させた作品を作れないか?」という企てについて書きました。

 いま作っている最中です。時間がかかりそうなので、来週までの完成をめざすとして、今日は面白いタティングレースの本をご紹介します。その名も『高嶋タッチング』(1974)↓

 ちょうど50年前に出た本です。タイトルに『高嶋タッチング & 加納紋様レース』とあることにご注目ください。この本の裏表紙はこんなふうになっています。

 つまりこの本は、2冊の本を背中合わせにくっつけたような変わった体裁の本なのです。出版社の記載がどこにもないので、たぶん二人の著者による自費出版だと思われます。
 「加納紋様レース」のほうは、かぎ針でモティーフを糸を切らずに続けて編む、いわゆる連続編み。これもまた別の機会にご紹介したいですが、今日のテーマは「高嶋タッチング」のほうです。

 「高嶋タッチング(タティング)」とは、高嶋寿子氏が考案された、シャトルを使わないタティングレースの一種です。シャトルのかわりに「高嶋針」という独自の針を使います。かぎ針編みに使うふつうのかぎ針とは、似て非なるものです。

 実は私は最近まで、この「高嶋針」と「タティングニードル」は同じものだと思っていました。でも違うんです。前者は英語では「hook」にあたり、「needle」ではありません。使い方も少し異なるようです。現在は高嶋妙子氏(寿子氏の娘さん)が広く指導しておられ、針も入手できます。

 「ニードルタティング」と「高嶋(かぎ針)タティング」についてもう少し知りたいと思って調べました。
 日本語版のウィキペディアには、これらの記載が何もありません。日本ではまだ「タティング=シャトルを使う」という考えが強いようです。
 でも英語版だと「Technique and materials」 という項目があって、ここには「Shuttle tatting」のほかに「Needle tatting」「Cro-tatting」のこともかなり詳しく載っています。驚いたことに「Cro-tatting」の中には、高嶋タティングに関する記述もあるじゃないですか。

 トシコ・タカシマによって開発された「タカシマ・タティング」という手法が日本にはある。タカシマ・タティングは、片方の端がフックになった独自の針を用いる。ただしそれほど普及していない(日本ではタティングといえばまずシャトルであり、ニードルタティングは事実上知られていない)。

Tatting - Wikipedia

 わざわざこんなことが書いてあるところを見ると、日本は「タティングレース先進国」として認知されているのかもしれませんね。日本の手芸の本は海外でも人気があるようですし。

 タティングそのものの歴史は長く、起源はよくわかっていません。でも比較的新しい「ニードルタティング」については、19世紀に考案されたらしいことが上に書かれています。「タティングニードル」が商品化されたのは20世紀に入ってからだそうです。
 日本製はまだないですが、さいきんは日本でもニードルタティングの認知度が上がってきたみたい。下のような組織がすでにあり、本も複数出版されています(私も一冊買いました)。

 ところで高嶋先生の著書に戻りますが……この本の冒頭に載っている著者の言葉を、ぜひご紹介したいと思うのです。これが今日のメインです。

 私は小さい頃よりタッチングが好きでした。操作も簡単ですし、でも其処には小さい器具のシャッターに糸を巻く手間、細い糸だけと制限された事、又簡単な操作の中に微妙なこなし方が要る事等やはり受け入れ難い点が多々有ります。この難点を克服出来ればと私の頭の中は常にあれでもない之でも駄目と其事で一杯でした。

『高嶋タッチング』1974

 糸をピンと張るかわりに、目を棒に作っていけば良いのでは……とかぎ針で試してみました。リング編は案外簡単に出来ました。これなら太糸使いもアフガン針で出来ます。ところがブリッジ(注:チェインともいう)を作るところで行き詰まってしまいました。シャトルのように簡単には出来ず、最初は鎖編で代用しておりましたがブリッジとは程遠く、明けても暮れてもブリッジ、ブリッジの毎日でした。

『やさしく編めて たのしい かぎ針タッチング』1980
日本ヴォーグ社、1980年

 或る夜ふとした時、頭をかすめたヒント、ヒラメキ。之だ!! と寝床より飛起き試作しました。出来た!! と大声を上げました。出来るでは有りませんか、数年来の念願!! 一瞬にして成功したのです。此の時の喜びたとえ様が有りません。今から思いかえし考えても不思議な心境でした。唯々ぼう然とするのみ、そして1ヶ月程と言うものは、何にも手につかず全てがうとましく放心状態と言うのはこんなことかと思う位でした。
 それからぽつぽつ家で手造りで針の研究をしました。あれやこれやと工夫して……そして、クロバーさんに走り、色々と絶大なる御力添を得てやっと今日のタッチング用高嶋針が出来ました。

『高嶋タッチング』1974

 いかがでしょうか。創意工夫にかけるこの熱意、この粘り強さ。まさに「開発秘話」という感じですね。こういうお話は本当に面白いと思います。
 「ノーベル賞受賞者が入浴中にアイデアを得た」という話を聞いたことがありますが、高嶋先生も、寝床に入ったとき閃かれたんですね。考えて考えて考えて、それでもらちが開かなくて……そんなときふと体がリラックスすると、不思議なことが起こったりするようです。
 いま日本ではたくさんのタティングレースの本が出版され、デザインもずいぶん洗練されてきています。その土台には、高嶋先生のような方がおられたことも記憶したいと思います。

高嶋寿子 氏
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