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この世界に平和は存在しない。


この世に平和は存在しない。あるのは平和主義か、偏った平和教育だ。


平和とは何か

そもそも平和とは、争いが起こっていない状態。さらには社会的、個人の精神的調和のとれた状態として捉えられる。
戦争や内戦がなくても、社会が乱れ治安が悪いと平和とは言えない。

ここでいう平和とは個人に対する公平の意味もある。貧富の差や男女人種の差別も含む。

全人類がこれまで増え続け、平等に公平にしようとしてもなかなか簡単にはいかない。
少しの差から、大きな差が生まれ社会から離される。学校のいじめもそう。
個人対多勢の戦争がある。

歴史の中で宗教や集団、派閥があれば必ず統一を図れば失敗し、新たな内乱などが起き犠牲者を出す。もはや争いを好んでいるようにも思える。

日本が終戦してまだ100年経っていない。
アメリカに完全に潰される前に、アメリカ傘下へと誘われた日本。いいように使われて捨てられる日が来るかもしれない。


偏った平和教育

私はいうまでも無い広島県民だ。被爆地に生まれ「平和」という教科が存在するくらいの肌感で触れてきた。
1945年に投下された2発の原子力爆弾のことを忘れてはならない。
戦争で失った街や人、記憶を忘れてはならない。と
そう教えられた。そしてそれを後世に伝えようと。

日本は原子力爆弾が落とされる前にはすでに負けが決まっていた。落とされる起因はいくつか説が唱えられているが、米露間の緊迫もありアメリカが先手を打って日本を抑えたという説もある。

当時の写真や被爆者の体験談、資料館での現物、原爆ドーム。家からそう遠く無い距離で学ぶことができた。
しかし、日本が太平洋戦争で行ってきた各国、各島々への惨たらしい行為は語られない。
奴隷や殺戮、アメリカ兵への侮辱的な殺害後の行い。あんなに残虐的なことも行い、太平洋や東南アジア圏で暴れまわっていた我々の国の軍についての話は聞かない。

これってどうなの。

広島に原爆が落とされた1945/8/6 8:15
この正確な時間と壊された街、家、家族のことだけを何度も刷り込まれ、被害者であることだけを肯定している。

何のために世界大戦は行われて、何のために血を流したのか。ももたろうの鬼側からしか語られていない。


確かに戦争は忘れてはいけない記憶だと思う。そして、今を生きる若者にも伝える必要はある。教育機関もそれなりの配慮が必要だし、広島長崎沖縄で偏りのない記憶の伝承がキーになる。

第三次世界大戦はいつ起こるかわからない。
我々が生きている間に起こらないとも限らない。

令和元年、平和の概念を改めるきっかけになると幸いだ。




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