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黒影紳士 season6-2幕 「暑中の残花」〜蒼氷斬刺〜🎩第三章 5 時夢来の影 6 岩窟

5時夢来(とむらい)の影

「……黒影、そろそろ時間だぞ。」
 黒影はそう言い乍ら入って来た風柳を見て、ネックレスの先に繋ぎ、ジャケットの胸ポケットに仕舞っていた、時夢来(とむらい※本と懐中時計で一対を為す、黒影の予知夢を反映し記録し残すアイテム)の懐中時計をじゃらりと引き出し、開く。時夢来本と合わせなければ、通常は単なる懐中時計だ。
「……十五分前ですか……。……ほら、サダノブ起きろっ!警邏とお楽しみのパン作り開始だぞっ!」
 と、黒影は嬉しそうに言ったが、サダノブはごろんと丸まったまま転がると、
「パンなんて売ってるのを買えば良いじゃないですか〜。何時間掛かるんですぅ?俺、食えれば十分っす。」
 と、まだ寝たいのもありウダウダ言っている。
「警邏もあるだろう!仕事だ、仕事っ!」
 黒影はパン作りの良さがイマイチ分からないサダノブに苛立ちを感じ乍らも、これなら起きるだろうと、仕事だと強めに言った。
「はぁ〜い。行きますよ、行けば良いでしょ。」
 寝起きが一番悪いサダノブも、仕事とあれば仕方無しにのんびり起き上がる。
「ははっ……今日も酷いな。狛犬かプードルか分からんよ。」
 黒影は相変わらず酷いサダノブの寝癖を見て笑った。
「ねぇ、A班が出発するわよ。」
 白雪が窓の外を見て、三人に伝える。
 A班を乗せたマイクロバスが、駐車場から敷地外へゆっくりと鍾乳洞に向かって出て行った。
黒影は其れを見届けると、何時もの調査バックと、予めパン作りに用意するよう連絡のあった持ち物を持っている。
「……じゃ、僕らも行きますか〜♪」
 黒影は心無しか……否、かなりご機嫌でこの旅館を出て直ぐの蔵造りの建物に向かう。

 ステンレス製の磨かれた作業台と、ボウル、材料が置かれている。
 黒影はコートとジャケットをハンガーに掛け……それに帽子を脱ぎロッカーの上に乗せた。
 黒いロングの腰からの前掛けエプロンをキュッと締めて、腕捲りをしている。
「なんか、フレンチ料理の達人みたいですけど……。」
 サダノブがこの姿を見たのは2回目ぐらいだっただろうか。
 確かに何を作ってもらっても美味いのだが、この格好も板についてしまうのが、羨ましくもある。
「サダノブのも用意したから、文句言わないのー。」
 と、白雪がルンルンで出したエプロンが……エプロンが……水色の布地に白い犬の絵柄で、黒影は其れを見るなり大爆笑し、
「はっ……ぁははっ……幼稚園の保育士みたいじゃないかっ!」
 と、腹を抱えて言った。
「ちょっとぉ〜!!先輩、何大爆笑してんすかっ!あんたの奥さんの趣味でしょうがっ!笑ってないで、何とか言って下さいよもう……。」
 サダノブは黒影に口を尖らせ言ったが他に無いので仕方なく着ている。それを聞いた白雪は、
「ええ?何が気に食わないの?可愛いじゃない。」
 と、全く理解出来ていない。
「ああ、ご尤もだ。白雪は悪く無いよ。ぁはは……確かに可愛い……ぁはは。」
 黒影はまだ笑いが止まらず、だが……問答無用で白雪は擁護するのであった。
「……絶対変ですよ、あんたら夫婦っ!昔っから言ってますけど。」
 と、二人に言っても無意味と分かりつつも、サダノブは一応に毒付いたのだが……だが……近づいてくる、風柳を見て驚愕すると共に、黒影につられたかの様に笑い始めた。
「何?何なの?……サダノブまでおかしくなっちゃったわ。」
 白雪はサダノブが見ていた方向を見る。
「ちょっと、風柳さん……其れなぁーに?何処にそんなエプロン売ってるのよ。」
 と、白雪は風柳の姿を見つけるなり、レースフリフリのフリル二段の後ろに大きなリボンの着いた、薄ピンクの花柄のエプロンを揺らしながら、腰に手を当て仁王立ちして言った。
「えっ?何か変か?……普段料理なんか、あんまりしないからなぁ。行きつけの店の店主に話したら、偶然使わないのがあるって、頂いてきたのだよ。」
 と、言うのだが……多分白雪は、その可愛らしさの欠片もなさに不機嫌なのは黒影にも分かる。
 「否……風柳さんらしいって言えば……そうかも。」
 黒影は笑いを堪え乍ら言った。
「幾ら何でも庄屋の前掛けエプロンは無いですって。……其れ、スクーター乗って配達行くやつですって。」
 と、サダノブが笑い乍ら思わずツッコミを入れる。
「……サダノブ、危ないって。危ない!それ、ご長寿番組のあれだろ?ギリだってギリ。ぁはは……否、今は貴重なんですよ、其れ。生地で売ればしっかりした帆布材だから、高値で取り引きされているんですから。」
 黒影はもう、褒める所が無くて生地を褒めて誤魔化そうとしている。

「はーいっ!皆さん用意は出来たようですね。この度はようこそ生出下さいました。私が今回、皆様のパン作り体験のお手伝いと、ご指導をさせて頂きます、友永 菜摘(ともなが なつみ)と申します。どうぞ宜しくお願い致します。
 ……今回は、お子様連れの方も本格的に楽しみたい大人の方にも、作れますが、待ち時間の多いパンになりますので、途中休憩や一度お部屋に戻られても、その間は此方で管理しますのでご安心して下さい。
 ……では、細かい工程を書いて作業台毎に配ってありますプリントを見ながら始めて下さい。最初の材料を重ねない箇所だけ、ポイントですのでご注意下さい。
 ……後は分からなければ、気兼ね無くお呼び下さい。一応、回って行きますね。」

「ほら、まだ二人共クスクス笑って。友永先生のお話し聞いてたの?」
 と、まだ笑いを堪えていた、黒影とサダノブを白雪は呆れて注意する。
「……あっ、ああ聞いていたよ。この手のパンは良く作っていたから大体分かる。塩とドライイーストを重ねちゃ駄目なんだよ。」
 そう言って黒影は慣れた手付きで、ボウルに強力粉を入れ、重ならないよう、塩、ドライイースト、砂糖を上に置くと、水を加え乍ら木べらで切る様に混ぜ、始める。
「はい、後は何とでもなる。サダノブも混ぜるか?」
 と、黒影はサダノブにパスした。
「その水……一気に入れないんですね。」
 サダノブが混ぜている途中で黒影は加え水を少し足す。
「あぁ、季節にもよるけれど、乾燥し易かったり……こんな風に混ぜても粉が残る時に少しだけね。」
 黒影が説明が終わる頃、サダノブの腕の馬鹿力であっという間に、混ぜ終えたのを確認する。
「よし!白雪、ボウルにラップしてっ!僕は先に車を回して来る。サダノブも風柳さんも着替えて!じゃあ!」
 そう言うなり、黒影はエプロンを外し乍ら走り出す。
 ジャケットを着て、片手に鞄と帽子を持つと、ハンガーから攫う様に反対の手で持ったロングコートは、襟を鷲掴みにし、大きく水平に広げてバサバサッと後ろに回し、肩に掛けて走り抜けて行くではないか。
「あっ、そうか……警邏か。」
 風柳が、黒影の慌て様を見て、ポンと手を叩き思い出す。
「え?今作り始めたばっかりじゃないですか?」
 と、サダノブは不思議そうに言う。白雪はラップを掛け終えると、
「……あら。これでもう、第一行程終わりみたいよ。案外、簡単に出来るのねぇ。」
 と、感心している。
「簡単って言っても、殆ど先輩がパパッと作って、パーッと出て行っちゃったから、イマイチ覚えられないですよぉ。」
 混ぜただけのサダノブはそう言った。
「とは言えサダノブは結局覚えても、プリントを持って帰っても作らないと、私は思うわぁ。私も作らないけど。あの人が楽しんでいれば問題ないわ。……きっと、次の休みに作ってくれるわよ。」
 白雪はそんな事を言い乍らエプロンを外して、料理のパン作りの最初と同じ様に、皆んなで交代で手を洗い、ある事に気付いた。
「まぁ、大変っ!黒影ったら……。」
 白雪は慌てて、ハンドタオルをエプロンを入れていたトートバックから出し、水で濡らして絞った。
「何?如何かしたんですか?」
 そう、サダノブが白雪の慌てた姿を気にした時だ。
 駐車場の砂利を擦り散らす様な、低音と豪快なザザザッ!と蹴散らす様な唸りは……。
「また黒影の奴、ド派手にドリフトかまして止まったなっ!お出迎えだ、急ごう!」
 風柳がその音で、夢探偵社の社用車は建前程の、黒影の漆黒に光るあのスポーツカーのご登場だと気付いて、二人を急かす。
 あのエンジン音が響いたが最後……。
 既に黒影は紳士の欠片も無くワイルドに仕上がっている頃だろう。
 あんまり待たせると、突っ込んで来るのではないかと、我が弟ながら、風柳は不安で仕方無い。
 刑事の義弟が旅館敷地で突っ込んだなんて、洒落にならず冷や冷やする。
 白雪、風柳、サダノブの三人は駐車場へと急ぐ。
「嗚呼!聞いてくれよ愛しのベイベー。俺の一張羅が台無しだぜ。」
 と、白雪が助手席に座ると同時に、すっかり一人称まで
「俺」になった黒影は、何かにがっかりしている様である。
「んふっ……。何年貴方と一緒にいると思っているのよ。それはこっちに任せて、安全運転するのよ。」
 白雪は、黒影が車の運転で豹変しても、全く動じずにそう言い、更に……
「はい。黒影……お手手こっちに見せて。」
 と、付け足し微笑んだ。
 黒影が両手を白雪の前に言われるがまま広げると、絞った濡れタオルで、手に着いた強力粉を丁寧に拭く。
「……白雪……。」
 黒影は少し感動気味に言った。
 あの潔癖症の黒影が、依頼を遂行する事に焦って、手も洗わずに車を回して来たのだ。
 白雪は黒影の手を綺麗にすると、ハンドルも拭いてやる。
「全く手間の掛かる人だわっ。そんな所も良いけど。……その大事な一張羅とやらも、着くまでには軽く叩き拭くから、問題無いわよ。」
 と、白雪は後部座席のサダノブと風柳に、コートと帽子を取って貰い膝の上に乗せ、白い粉をポンポンと叩き拭き始めた。
「……流石、俺の女だなっ!……俄然、負ける気がしない!あのチンタラマイクロバスより先に到着してやるぜっ!」
 と、黒影は言うなり、車を唸らせスタートダッシュした。
「ちょっと、安全運転よ!暴れたら、お洋服の汚れが落ちないわっ。」
 そう嘆き白雪は言う。黒影はサングラスで道の先を見据え乍ら言った。
「安全且つスマートなスーパードライビングで行くよ。法定スピード遵守!……サダノブに言われたんだ、僕には愛するベイベー達がいるからねぇ……ぁははっ!」
 と、黒影は笑う。法定速度ギリギリで走るが、山道を使って、半ドリフトを繰り返し、カーブを最短で切り替えて行く。
「……先輩、白雪さんは「安全運転」って、言ったんですよー。安全スピードだけじゃないですからねー。……で、今のうちにやっておく事は?」
 サダノブは身体が凄いG(重力)で右左とカーブの度に持っていかれそうになるが、何時もの運転に比べたらスピードが少ないので、慣れたものだ。
「立体地図自動制作範囲を指定。かなり狭い箇所もある。範囲を300メートルに絞れ。恐らく検索すれば、簡単な地図もwebに転がっているだろう。それは別表示で直ぐに表示出来る様に備考にピン留めしておいてくれ。
 僕の鞄に時夢来本がある。その形状の鍾乳石を探すのが死亡者を作らない何よりの手掛かりだ。
 分析対象にして読み込んでおく事。尚、丸対(対象者=この場合は依頼人の桐谷 清佳(きりたに さやか)に発信機を着ける。友人 原岡 友理(はらおか ゆり)も近しい関係者だ。念の為発信機を着けて貰おう。色が混同しないように、設定。以上!
 ……ほら、ちんたらマイクロバス、追い抜くぞ!」
 黒影は指令を言うだけ言って、マイクロバスに追いつくと、パトランプを手に持っている。
「ちょ、ちょっと今、データ操作しているじゃないですかっ!まさか……待って!遊びじゃなくて、本当に待って!」
 サダノブは何が起こるか分かり黒影を止めに入る。
 風柳と白雪も気付いて、車内の手摺りにしっかり捕まった。
 山道の道路は追い越し車線も無く狭い。
 黒影は署長からちゃっかり貰ったパトランプを出し、ニヤりと笑った。
「待っただと?この俺に言ったのか?……ぁはは、この俺を止めようとは笑止千万!……お、こ、と、わ、りー――だっ!」
 と、黒影は言いながら車体を思いっきり揺らして、内側の岩肌に沿って、狭い道を車体を横に立たせて走らせた。
「あぁ―ぁ。……―ぅわぁあ嗚呼――!」
 サダノブはまたやったと、フラフラになりながら絶叫するのであった。
 ――――――――――――

 絶叫も落ち着き、マイクロバスより早く到着する事に成功した、黒影一行はチケットを購入しに行った。
 サダノブは車内で言われた通りに、タブレットの暗視カメラを作動させ、映像から立体地図を作り乍ら歩いている。
「これは……。」
 黒影は思わず立ち止まる。
「ぅわ!……ちょっと、急発進急ブレーキは止めて下さいって、いっつも言ってるじゃないですかぁ。」
 と、サダノブはまたしても何時もの様に、黒影の背に打つかり文句を言った。
「……違うよ。危ないから、止めてやったんだ。足元を見ろ。」
 と、黒影はサダノブに下を見る様に促す。

6 岩窟

「何で此処だけ丸太何ですか?」
 サダノブは確認すると、黒影に不思議がって聞いた。
 足元には丸太で繋がれた吊り橋がある。
 アッパーライトが足元にあるだけで、思わずタブレットを持ったまま転ぶところであった。
「……ほら、横の看板を見てみろ。子供でも遊べるように、所々にアスレチックみたいになっているらしい。……が、その大事なタブレットPCを破損されても困るんでな。」
 と、黒影はしれっと説明した。
「そりゃあ、俺の心配じゃないっすよねー。」
 サダノブはそう拗ねてみるも、完全無視で黒影はひょいっと丸太の梯子を飛んで渡ると、
「如何だろうなぁ?……僕はいざと成ればこんなもの、鳳凰になって飛べば問題無い。サダノブがもし、犯人と対峙した時に狛犬か野犬では、足を取られるかも知れん。今のうちに場所を良く確認しておくに越した事は無さそうだ。まだこの先にも、飛び石のアスレチックがある。ガイドマップを開いて確認してみろ。」
 と、黒影は辺りを見渡し乍ら言うのだ。
 案外、何も考えずに下見と言う訳では無いらしい。
 黒影が注視していたのは、その鍾乳洞の空間の上……つまり、高さである。
 幾ら鳳凰になって足元は大丈夫になっても、上の鍾乳石に当たっては大怪我になるだろう。
 黒影にとっても、サダノブにとっても、厄介な地形には違い無い。
 然し、それはきっと犯人にとっても同じ事だ。
 ライトアップが少ない狭い通路は、空け開かれた空間との間を繋ぐ様に点々と存在する。
「……あら?黒影……後ろ。」
 白雪が黒影に声を掛ける。
「ん?」
 黒影は隣にいた白雪の見詰める、後方へ振り返った。
「……来た様だね。」
 風柳が黒影に言う。
 後方には、後から到着した鍾乳洞見学が先のA班の団体が、やっと追い付いてきたようだ。
 ガイドが一応程度に手持ちライトを持ち、誘導して来るのが見える。
「……この先にも、何ヶ所かアスレチックあるんでしたよねぇ?」
 と、サダノブが黒影に再確認する。
 何かを企んでいる様な目付きだ。
「……ああ、そうだが。」
 黒影はさっき説明したではないかと、適当に答えた。
「じゃあ、あのツアーに紛れ込んじゃいましょうよ!……そうしたら、アスレチックの前に注意を促してくれるし、警邏も出来る……一石二鳥でしょう?」
 と、名案が閃いたと言わんばかりに、目を輝かせて言うでは無いか。
「……だがなぁ……。予知夢が示した被害者が、依頼人とはまだ限らないんだぞ。其れに、団体様といちゃあ、いざと言う時に動き難いじゃないか。」
 黒影は別行動をしている理由をそう述べた。
「然し、あのA班内に犯人は紛れ込んで、依頼人を近くから狙うかも知んぞ。」
 と、風柳は黒影の言う事も一理あるが、近距離から依頼人が狙われる事も、依頼を受けたからには警邏の常識として考えておくべきだと、そう刑事らしい意見を言う。
 鍾乳洞の中は一見狭そうに見えて、その全長は数キロ範囲。
 隠れ潜む場所も多いにも関わらず、予知夢で見た殺害を事前に食い止め、尚且つもし依頼人が別件で狙われるならば、其方にも注視しなくてはならない。
「……必ずしも依頼人が死亡または、殺意をもって狙われているとはまだ限らない。依頼を受けたからには全うしたい。……が、其方を優先するならばボディガードと同じ、近距離で周囲を囲むのが好ましい。……まだこの鍾乳洞の把握すら情報として乏しいのは、何方にせよ不利と思われる。」

 ……何としてでも犯人より先に、この内部の地形を把握したい。予知夢の場所さえ特定出来れば……。

 黒影がそう僅かに、考えを揺らがせた一刹那の出来事であった。

「……何だ?!」
 近付いて来ていた筈のA班が、列を乱し騒めいているのに気付いた風柳が、咄嗟に声に出した。
 黒影がはっと見ると、小さいながらも混乱が起きているように窺えた。
「……サダノブッ!」
 黒影は走り出すと同時に、声を掛ける。
 風柳は二人で事実確認に行くのだと気付き、黒影を安心させる様に、白雪の隣に立った。
「……あら、私……風柳さんに未だ守って貰う程、か弱くなくってよ。」
 と、白雪はパニエ入りの白のワンピースの裾を、詰まらなさそうにヒラヒラさせて言った。
「……それは、母は強し……。否、ちょっと強過ぎな気もしなくも無いが、黒影の心配症が治らないのだから仕方無いだろう?」
 風柳は白雪の悍ましい影の技を思い出して苦笑う。
「……何時になったら治るのかしらん?私の旦那様の心配症は……。」
 白雪は溜め息を吐き乍らも、ロングコートを其れこそ蝙蝠の様に広げ、犬を引き連れ走る黒影を見て微笑む。
 ずっと黙って守ってくれた後ろ姿……。
 自分が見れない時は、信用の出来る仲間の横に預ける。
 だから何故だか……何時も置いてけぼりなのに、不思議と寂しいと然程思った事も無い。
 少しでも寂しがる素振りをすれば、心配そうな顔で事件も其方退けで慌てるから……寂しい顔をしないようにと、我慢していたと思っていたのに。
 ……違ったのよ。
 貴方の心配そうな顔があんまりに可哀想だから、困らすのを止めてあげようって思えたの。

 ――――――――――
「……何があったんですか?!」
 黒影は先頭で慌てふためいているガイドに聞いた。
「いや……まだ、良くは分からないのですが、後ろの方を歩いていた誰かが転倒したらしくて……。」
 と、ガイドが列の後方を照らしてみるが、光は届かない。
 其処は狭い通路になっており、低い階段だった。
 真っ暗な通路には、点々と足元を照らす小さなライトがあるだけ。
 ガイドは様子すら見ずに、後ろから徐々に届いた情報を伝えただけに違いなかった。
 こんな時の伝言ゲーム程、信用ならない物は無い。
 後ろから前に話が届くまでに、大事な事を聞き逃したり、言いそびれてしまう。
 伝わるのは極僅かな、本物かすら分からなくなった情報の欠片のみ。
「……分かりました。僕らで様子を見に行って、確認して来ましょう。ガイドさんは、他の皆さんをこの階段の下の安全な場所に、ゆっくり誘導して下さい。」
 と、黒影は伝える。
「分かりました。えっと……貴方方もこのツアーの?」
 サダノブを一瞥し、黒影にガイドは再び聞いた。
「否、ただの探偵ですが、救助の心得もある。ご安心下さい。この先に連れの刑事もいますから、怪しい者ではありませんよ。」
 と、黒影は何時もそのシルクハットとロングコートの漆黒の形(なり)の所為か怪しまれ易いので、先に安堵してもらおうと、そう答えた。
「……そうでしたか。私一人では後ろまでなかなか様子が見れなくて……この場を離れる訳もいかず困っていたのですよ。……助かります。……怪我でもしていなければ良いのですが……。」
 そう、ガイドは見えない列の後方に目を向ける。
「……大丈夫ですよ。大丈夫にします。」
 黒影は何の根拠もない、魔法のその言葉を言う。
 何故か言えば本当に大丈夫になってしまう。……そんな大事な言葉だ。
 そして、聞いた相手も何故か大丈夫になるのでは無いか……そう思わす言葉でもある。

 この言葉はね。自信無く言っては効果が無いのだよ。
 より不安で危なっかしい崖っぷちで、たった一つの迷いも無く言うのさ。
 藁にも縋る気持ちとまでは言わないが、迷いなき気持ちが……時に迷いない光に見える。
 其処から、立ち止まりそうな誰かを動かす見えない力を、僕は勇気だと何時も思うのだよ。

 黒影はA班の列……人が二人通れるか如何かの場所を、
「すみません。……失礼します。」
 と、帽子を押さえ、身体を当たらない様に岩肌に沿って横に向け、何度もそう言い乍ら列の後方へと向かう。
 サダノブは黒影が掻き分けた後を、追って行く。
 黒影は階段に座り込んでいた依頼人、桐谷 清佳(きりたに さやか)の異変に気付き走り寄る。
「如何されましたか?!何処か怪我でも?」
 狙われていたと言うのに……依頼人だと言うのに……何かあったらと、気が気では無かったのは言うまでも無い。
 思わず依頼人の手を取り、ふわりと黒いロングコートが空気を包み黒影が膝をついた後に、ゆっくりと広がり追った。
 地面が冷んやりと冷たい。
 鍾乳洞内は涼しいがマイナスまでは行かない筈なのに、薄らと薄い氷が溶けたのか、暗がりでもやや光って見えた。
 ……場所によっては……と、言うのも少し偶然の所為にし過ぎな気もする。
 ……まさかな……。
 黒影は頭に過ぎる不安を振り払った。
「あっ……黒影さん。誰かが……。」
 桐谷 清佳は不安そうに後ろを見て言うと、黒影と一度視線を合わせ、慌てて地に着いた黒影の取った手を呆然と見詰めていた。
 ……如何やら、押されたと言いたいらしい事は、黒影にも分かる。
「……先輩!先輩っ!」
 サダノブはその異様な空気に気付き、黒影を注意する。
「……何だ?今、近くにまだ犯人がいるかも知れないんだぞっ!」
 と、黒影はサダノブの忠告は無視して辺りを見渡し、列から離れる者はいないか、入り口へ戻ろうとする者はいないか目を凝らしていた。
「違いますよっ!そうじゃ無くて、手っ!」
 サダノブは桐谷 清佳に重なった黒影の手を見て、今度は分かり易く言う。
「……えっ?……あっ!すっ、すみません。」
 黒影がサダノブを五月蝿いと睨もうと思ったが、桐谷 清佳が下を向いて頬を赤めている事に気付き、咄嗟に謝罪し手を引っ込めた。
 黒影がゆっくり立ち上がると、サダノブはその肩をどついて、
「無意識にこれから嫁入りの依頼人を惚れさせて如何するんですかっ。パパが聞いて呆れる。」
 と、茶化す。
「……パパって、お前なぁ!鸞(らん※黒影の息子)はとっくに大学生だぞ?」
 黒影は眉間に皺を寄せ、そう苛々しながら言った。
「……童顔夫婦……。」
「はぁ?」
 思わずサダノブが発した「童顔」と言う言葉は、黒影が気にしているコンプレックスでもある。
「今、お前……僕だけじゃなくて、白雪の事まで言ったよなぁ!!」
 黒影の声が低く、今にも鳳凰の烈火の如く怒り散らす寸前だ。
「……いやぁ〜それは、若く見える奥さんで羨ましいって話しでぇ〜。」
 と、サダノブはロリータは口にせず、何とか怒りを抑えようと、そうはぐらかす。
 黒影が如何にも疑う様な目で、じろりとサダノブを睨んでいる。
 サダノブは堪らず、
「先輩!ほらっ、もし誰かが狙ったなら痕跡がまだあるかも知れないじゃないですか。」
 と、ニヤニヤと誤魔化した笑顔で言うのだ。
「こんな雨上がりの様な湿気た場所に痕跡なんか……。」
 黒影は話を逸らそうとしているだけな事に気付きつつも、座り込んだままの桐谷 清佳の周りを観察して回る。
「……此れは……誰が落としたんだ?」
 そう言いながら屈む黒影の姿を見ても、サダノブはそんな都合良く……と、半信半疑でその行動を見届けた。
 黒影は一枚の小さなメモ程度の固めの厚紙を拾う。
「……此れに、見覚えはありますか?」
 先程の声とは打って変わり、黒影は真剣にその紙を桐谷 清佳に見せた。
 サダノブも気になり覗き込んで其れを見ると、黒影が手にしたのは一枚の写真だと気付く。
「……花火……ですよね。……毎年花火は観ますが、此れが何かは全く……。」
 と、桐谷 清佳は其れだけでは分からないと言う風に、首を横に振る。
「……ポストカードの花火……。写真の花火……。」
 黒影はそう呟き、ポストカードに書かれた詩の様な物を思い出していた。
 何処にでも、夏になれば見掛けそうな打ち上げ花火。
 ――
 君が花火でウタふから
僕は途轍もなく悲しくなった
何故に今日描きたかった物を
違う人で夢見たのだろう

同じ花火を見ていた筈の君と

 ――
「……同じ花火を見ていた。同じ会場の違う場所?……観える範囲ならば広域過ぎて特定は難しい。……あの「ウタふ」は、何故カタカナなんだ?……まぁ、それは追々また幾つかお話を窺うかも知れません。お怪我は?」
 黒影はまだ考えるには情報が少ないと、頭を切り替え、依頼人に怪我等は無いか聞いた。
「……然程大怪我は無いのですが……。」
 と、桐谷 清佳は言うのだが、ゆっくり立ちあがろうとすると、少し蹌踉めき黒影は慌てて二の腕を掴み、転ばない様にする。
「……片足、挫きましたね?」
 黒影はその蹌踉めき方から、そう聞いた。
「……ちょっと痛めただけです。少し休めば治ります。」
 と、桐谷 清佳は微笑むのだ。
「……サダノブ、白雪と風柳さんを一度此処へ呼んでくれないか。これは無理をせず、休んで冷やしておいた方が良い。この先へ言っても、足元を取られるアスレチックもある。後で腫れでもしたら、途中で引き返すのも困難だ。」
 黒影がそう言ったのを聞くと、桐谷 清佳は不安そうに、
「……じゃあ、もう鍾乳洞も観れないですか?」
 と、落ち込んだのか小さな声で聞いた。
 黒影はそんなに鍾乳洞が観たい物かと、暫し考える。
 好きな人からすればずっと観ていたい物かも知れないが、危険ならば今度と言う日もあるだろうに。

 ……そうか……。今年だからだ。味覚が無くなった桐谷 清佳にとって、単に落ち込んだならば、友人の誘いを断ってパン作り体験がセットでは無い、他の食育や料理に関係の無い観光を選べば良かった筈なのだ。
 しかし、そうはしなかった。……僕が推測するに……。
「あのぉ……桐谷さん。貴方……もしかして、このツアー若しくは、この地に来るのは初めてでは無い。通例行事みたいなものだったのではありませんか?今回ばかりは、舌の感覚を失った貴方にとって、このツアーの楽しみは鍾乳洞見学の方になった。だからお友達の原岡 友理(はらおか ゆり)さんの誘いも断らなかったのですね?」
 黒影が試しにそう聞くと、桐谷 清佳は少し驚いた顔をしたが、
「ええ、その通りです。やっぱり探偵さんなんですね。……何もお話ししていないのに。あの、今季もパン作り体験の指導され、普段もパン屋で親子パン教室の先生のされている友永 菜摘(ともなが なつみ)先生とは、お料理教室を始めた頃からの長いお付き合いで。良く、この料理にはどのパンが合うだとか、話したり相談に乗って貰っていたのですよ。
 ですから、友永 菜摘先生がツアーでパン作りを教える夏休みになると、毎年一度はと……顔を見せに来たんです。
 ですから、味覚が分かる分からないでは無くて、友永 菜摘先生とお話しすれば、少しは気も落ち着くかなって……。それに今年は、婚約が決まった話もお伝えしようと思っていましたから。」
 そう、桐谷 清佳は毎年夏に来ていた事を黒影に明かす。
 だが、明るく微笑んだその声とは裏腹に、失ってしまったものへの喪失感を話した後に滲ませた。
 外見からは決して分からないものではあるが、普段当たり前に在ったものを突然失った時……また、其れを友人、知人に話す時……慣れた職を不本意に辞めざるを得ず、公表しなくてはならない時……。
 今は微かな笑顔で隠せても、計り知れない悲しみと苦しみがあったのだろう。

🔸次の↓「黒影紳士」season6-2幕 第四章へ↓(お急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)

お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。