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「黒影紳士」season2-3幕〜弔〜 🎩第ニ章 井戸の弔

――第二章 井戸の弔――

「明日のスケジュールを風柳さんと此れから立てるから」
 黒影がそう言ったので、サダノブと白雪が其々の部屋に戻ったのを見送ると、風柳は黒影に聞いた。
「何を考えてる?」
 と。黒影は、
「やっぱり刑事の勘の前では嘘は吐けませんねぇ。……正直、今回の事件にサダノブを関与させたくない」
 と、真面目な顔付きで答えた。少しヒリついた空気になる。
「……犯人の情報が未だだったな。サダノブが誰かを突き落とすとでも言いたいのか?」
 風柳は黒影に聞く。
「僕の予知夢は影絵だけです。今のところ、はっきり言えるのは背格好が似ているとしか……」
 黒影が言葉を濁す。
「……そうか。……お前がそう言う時はサダノブ君だと信じたくないからだ。だが、容疑者としてみている」
 と、風柳が言うと、
「サダノブみたいに心を読める時があるんですね、刑事にも」
 黒影は軽く言って、力無く小さく笑った。
「其れはお前が隠したがるからだ。読んでいるんじゃない。刑事の勘が隠された物を明かそうと渇望するだけだ。……そうだ、お前がもし本気でサダノブ君に人を殺めて欲しくないと思うなら、良い事を伝授してやる」
 其の言葉を待っていましたと、黒影はワインをごくりと飲み干して、少し食い気味に前のめりになった。
「……今迄必要無かったが、聞きたいのは此れだろう?……尾行の極意」
 そうだと言わんばかりに、黒影は風柳の其の言葉ににやりと笑い頷く。風柳は少し考え、
「……黒影でも出来る範囲となると限られるな。お前の格好は目立ち過ぎるし、他に比べて色白だわ、身体的特徴も見れば直ぐに特定し易い。……まともに尾行するな。近過ぎず離れ過ぎずが良いと言うだろう?だけど其れは距離だけに言えた事ではない。引く時と近付く時を考えるんだ。此の村で有名人なお前には、其方の方が合っている。知りたい時に思いっきり近付く、其れ以外は引くんだ。やり方は何でも良い、兎に角引け」
 と言った。黒影は分かったと言う様に頷いた。
「……黒影……俺だってサダノブ君を態々彼方(犯罪者)側の人間にはしたく無い。……頼んだぞ」
 と、風柳は黒影と想いは同じだと告げた。
「そんなの、分かっていますよ。其れより其の被害者メモの三人、一応遺族にも明日会わねばなりません。朝、昼、晩の井戸調査の間にです。僕は尾行があるので全部に付いて回れる保証はありませんから」
 そう言うなり、意地悪そうな笑みを浮かべて、風柳の手にあった徳利をひょいと持ち上げ没収した。
「……足で稼げか……。其れにしても厳しい息子だ」
 と、風柳はぼやく。
「おや、僕は十分出来た息子ですよ」
 そう言うなり、笑って自室に向かった様だ。

 ……ホント、俺の息子にしちゃあ出来過ぎてらぁ……。
 風柳はそんな事を思い乍ら、あっと言う間に眠りに誘われて行った。
 ――――
 夏の朝は早い……。

 黒影が起こされたのは早朝の三時過ぎた頃だった。
「お布団、そのままにしておきますから」
 古塚 玲子がそう言ったので、
「助かります」
 と、黒影はにっこりと笑って軽く会釈をする。すると、古塚 玲子はきょとんとした目をした。
「如何かしましたか?」
 黒影が聞くと古塚 玲子は、
「いえね、あんまりにあの時私を止めた時の黒影さんと、今の黒影さんが別人の様に見えて」
 と、笑い乍ら出て行った。
「……悪夢でも見たのでしょうね……」
 黒影はそう呟いて、帽子を取り漆黒のロングコートを翻した。

 酒臭さは残っていたが、何とか風柳も目を覚まし黒影と百首 護の家を出て井戸へ向かう。
「……寒いなぁ、夏だって言うのに」
 肩を丸めて風柳が言った。
「酔い醒ましには丁度良いじゃあないですか。……其れにしても山は朝と夜に冷え込むと言いますが、此の村は異常に冷える。スマホで現在の気温、分かりますか?」
 黒影は風柳に調べるよう頼んだ。
「26度!?そりゃあ冷える訳だ」
 真夏の昼の気温と比べたら、薄手の服装で来たのだからそう感じたのも無理は無い。黒影は、
「……サダノブの真似ですか?」
 と、寒がる風柳に嫌味を言って笑った。
 黒影は井戸の周りから少し離れて観察する。
「此処……」
 そう言って手を伸ばした先に、何かが擦れた跡がある。
 もう少し屈んで近付くと、其れが縄の様な物の跡だと分かる。
「調査員か鑑識が出入りした時に付いたんじゃないか?」
 風柳は其れを見て言った。
「否、後です。数人の足跡の上にあります」
 周りは未だ舗装されていない土だったので、黒影はそう断言する。
「後は……落ちると言えば此れですね……」
 黒影は井戸の蓋を軽く持ち上げた。
 しっかり板と板は重なり、サイズも申し分無い。態々取って落ちようと思わなければ落下しない程度だ。
「何か……妙ですね……」
 黒影が何かを見付けた様だ。
「何だ、何が在った?」
 風柳は思わず黒影の持っている蓋を覗き込んだ。
「此処です、此処。裏の一部の留め糸が妙なんです。此の糸、撚り合わせて表の糸と同じ糸に見せ掛けていますが、色は似ていても材質が違います」
 と、言うのだ。風柳には一見同じに見えて、
「何処から如何違うんだ?」
 と聞くと、黒影は指差しで糸を擦(なぞ)り乍ら、
「此処から此処の間です。少し膨脹しています」
 と教える。風柳は指摘されてやっとほんの僅かの違いに気付いたが、
「此れが何だって言うんだ?まさか其れが転落死の理由だなんて言わんよな?」
 と、言う。黒影は溜息を一つ吐くと、
「風柳さんが昨夜話していた、”事故が多発するトンネル前の話”で言うところの、”偶然にも合致してしまった条件”の一部です。もし、其れを誰かが故意に条件を整えたとしたら?」
 と、聞いた。
「其れは……作為的になるだろうから、悪い悪戯じゃあ済まされんな」
 と、風柳が答える。
「そうです、悪い悪戯どころじゃあないです。引っ掛かれば必ず死ぬ、謂わば誘導殺人ですからね。……もう少し待ちましょう。時間の経過で解ります」
 黒影はそう言ったが風柳は思わず、
「其れは分かったが後どのくらいだ?其のコート貸してくれ」
 と言う。勿論黒影は、
「無理ですね」
 と、答えた。

 ――朝が次第に明けて来る。
 未だ変化は無く、風柳と黒影は井戸にいた。

 ――その二時間後の七時頃、やっと動き始めた。
 白雪とサダノブは起きて朝食を頂いている頃。

 其れ迄微動だにしなかった黒影も、蓋を裏返したまま見ていたが、ある変化にフッと立ち上がった。
「……来た……」
 そう言って風柳に時間を確認する様、風柳の腕時計を爪先でトントンと軽く叩く。寝ていた風柳はその音でバッと起き、
「何か、変わったのか?」
 と、聞いた。
「変わり出しています。後は戻る時刻……」
 黒影が糸を指差して風柳に見せた。
「何だ、こりゃあ」
 此れを見た風柳は呆気に取られ、間抜けな声を出した。
「まるで子供騙しだな」
 と付け加えたのも無理は無かった。
「そうですよ、到底まともな大人が考えないから、実にシンプルに見落とされたんですよ。此の繊維は紙製のスポーツタオルに似た繊維の様です。朝露を餌に、こんなに伸び切っている。くしゃくしゃにしたストローが水を含む様にね。……だからほら……蓋を曲げれば板と板の間はガバガバです」
 と、軽く曲げて見せた。
「確かに板は間が緩くなれば、少し隙間も開き歪む。……然し此れで人が落ちるとは考えられないが……」
 と、風柳が首を傾げる。黒影は其れを見て笑い乍ら、
「……まさか、こんな間から人が落ちるなんて、僕だって思いませんよ。内側に落下防止の縁があろうが、十字に折れるだけで十分なんです。大人一人の体重を落とすならね」
 と、再び蓋を井戸に設置し直して、上から中央を思いっ切り押した。カランカランと音を響かせ乍ら、蓋は吸い込まれる様に井戸の深く闇に落ちて行った。
「……こうやって、被害者も落ちて行ったと思うとゾッとするな」
 蓋の落ちた先を見て、思わず風柳が言った。そして其の時或る疑問が浮かび言う。
「なぁ……被害者達は何故、こんな蓋の上何かに登ったんだ?」
 その問いに黒影は此の井戸へ来る迄の、百首邸より見て向かいの村人達が住む居住区域への一本道を指差し、
「あっちから被害者は来たんです。此の井戸の上にあるロープを見て……。そして、何らかの理由で井戸へ降りようと思った。すると此の井戸の裏側……つまり百首邸側の方角の上部に、下へ降りる際に縄梯子を掛ける為の引っ掛けが在るんですよ」
 黒影は立ち位置を変え、村人の居住地側からの一本道に風柳と立ち説明を続けた。
「ほら……当然此方からも見える。ただ、此の井戸は外周が長く周るのは少し厄介だ。……で、被害者はこう思う。登ってロープを掛ければ良い。其のたった一瞬の横着が、三人もの大の大人を井戸底に引き摺り込んだのです」
 と。
「そんな横着で人が死んでたまるかっ」
 思わず風柳は言ったが、黒影は其れに対して、
「否、ただの横着と言うだけではありませんよ。人目に付かずに此の井戸を降りようとした者だけに、トリガーが引かれ此の井戸に落ちる様に成っている。犯人は被害者にロープが置いて在る事を知らせるだけで良かった。此処から降りたと知られたくないとあれば、降りられるチャンスを伺い、チャンスを見付ければ出来るだけ早くに身を井戸に潜めたいと思った筈です。ただでさえ入らない様に注意喚起されていたのですから。被害者に共通した目的は一つ。此の中の有害物質を再び解放する事。何故そう思ったかは遺族にお会いして裏を探って下さいね、風柳さん」
 と、説明するだけして去ろうとする。
「おい、黒影は何処へ行くんだ」
 と風柳が聞くと、
「……風柳さん、さっきまで寝ていましたよね?交代です。僕も仮眠を取りたいので。あっ、後で日がもう少し上がったら乾燥して紐が戻る筈です。被害者の死亡推定時刻は其れ迄の筈ですから確認しておいて下さい。」
 そう言い残して姿を消した。

 ――――
 ゆったりと時間は流れ、庭の笹の音が微かな風で流れる。
 風鈴の音は時折子守唄の様に澄んだ音を奏でた。

 黒影が次に目覚めたのは正午前だった。
 少し汗ばみ支度を整える。其れでも、やはり拘りの黒いロングコートは羽織っていた。
「……あっ、黒影」
 白雪が黒影に気付く。応接間に行くと白雪とサダノブが出迎えた。如何やらサダノブはチェスを白雪から教えて貰っていたみたいだ。
「惨敗ですよぉ、先輩。あれ?先輩此の暑い中、まさか其のコート着るんですか」
 流石のサダノブも呆れて言った。
「ああ、暑いから要るんだ。焼け付く様に暑い日は日除けにもなるし、突然の夏の雷雨でも被れば良いだけだからな」
 と、黒影は答えたが、サダノブには砂漠の中をラクダを引いて行き交う旅人の姿しか想像出来なかった。
「其れより墓参りは如何した?」
 黒影がサダノブに聞く。
「あぁ、此の村じゃあ夕方に行くんですよ。晴美と丈雄も一緒にって言うんで、今から家で集合の約束をしたんです」
 と、答える。
「サダノブ、家に帰って大丈夫なのか?」
 そう黒影が心配して聞くと、
「ええ、大丈夫っす!今、親父、仕事してると思うんで」
 と、答えた。
「仕事には影響無いのか?」
 との問いに、
「……仕事の時は変わらない親父でいてくれるんですよ。家にさえ帰らなきゃあ……」
 サダノブはそう言って視線を落とした。
「……悪い事を聞いてしまったな。もし良ければカウンセリングの一環として、自宅訪問もしたいのだが……」
 と、黒影が言うと、
「汚い家ですけど、大歓迎です!晴美と丈雄も、先輩の事聞きたいって言っていましたから」
 サダノブは嬉しそうに言った。

 ――――
「ホントに汚いな……」
 思わず黒影が口にした。
「男の一人暮らしなんかこんなもんすよ。俺がいたって似た様なもんです。何しろ、母ちゃんの物全部動かすのすら親父、嫌がるんですから」
 と、サダノブが言った次の瞬間に、白雪は腕捲りをし窓を全開にした。
「何言ってるのよ!お母様だって一生懸命、家族の為に毎日綺麗にしてたんでしょ!家族が不健康に成ったら何て悲しむ事かしらん!ホント、男って女の気持ちが分からないんだからっ。……さぁ、二人もさっさと手伝うのよ!不衛生ったらありゃしない!」
 と、言うなりテキパキ掃除をし始める。
「……でも其れじゃ、親父が……」
 サダノブはおどおどして言った。
「つべこべ言わない!動くっ!」
 白雪の叱咤に負けて、サダノブは食器を片付ける。
「先輩まで、すみません……」
 テーブルを拭いていた黒影に、サダノブが申し訳なさそうに言った。
「構わないよ。此れでも粗方の家事は分かる。」
 そう言ってはいたが、やはり黒影は神経質な所が少し在るのか、テーブルの隅の汚れを爪楊枝でスーッと掻き出していた。
 ……生活力、高過ぎです、先輩!
 思わず突っ込みたくなるサダノブだったが、其れより気になる事がある。
「あの……親父、大丈夫でしょうか……」
 黒影に聞いた。
「ああ、毛頭こうする気でいた。別に捨てる訳じゃ無い。……部屋の衛生は精神的にも良いものだ。……其れに、大事な思い出は飾って置けば良い。少しずつ減らせる様になれば、軈て本当に大事な思い出だけが残る筈だ。人は多くの思い出や記憶を抱えたまま進めない。今を生きるのに、新しい記憶を拾って行けなくなる。だから時が止まった様に錯覚する。そうならない様に、最小限の大事な思い出だけを持って歩けば良い。……持論だがな。全部捨て無くて良い……必要な物を必要なだけ持ってさえいれば。」
 と、黒影はサダノブの母が使っていたであろう品々を、仏壇の脇のスペースを片付け、箱にスカーフを被せただけの簡易的な台に、一つ一つが良く見える様に……重ならない様、丁寧に並べた。
「先輩、有難う御座います!此れで母ちゃんも喜んでくれてます」
 其の仕上がりを見たサダノブは、今まで生活のゴミや汚れで霞んでいた母の思い出に、心震わせそう言った。
 ”母ちゃんの場所……ちゃんと在るよ”
 と、仏壇の母の遺影を見上げ、心で言って伝える。
 暫くして、晴美と丈雄が来た。
「おう!待ってたよ!今、師匠とお嬢様もいるんだぜ!」
 と、サダノブは二人を招き入れた。部屋はすっきりと片付き、黒影と白雪は勝手にお茶を作り飲んでいた。
「まぁ、素敵!本当のお嬢様、初めて見たっ!」
 晴美は白雪のふわふわのスカートと、大きな帽子を見て目を輝かせた。
「くっ、黒影さんですよね!以前は助けてくれて有難う御座います!俺、俺もあれから黒影さんやサダノブみたいに強く成って、此の村の皆んなを守れる様な男に成りたいって思っているんです。如何か、如何か!俺も弟子にして下さいっ!」
 と、丈雄が黒影を見るなり一目散に走り寄り、頭を下げてそう言った。黒影はサダノブの立場も考えてやるかと一息付くと、
「すまないねぇ、もう弟子はサダノブ君で十分足りているんだよ。……サダノブ君は優秀だから」
 と、本当は人手不足だが、此れ以上誰かの世話係なんか出来るかと、落ち着き払ってそう言った。
「そうですか……。残念だけどサダノブがそんなに活躍しているなんて……なっ!俺、何かあったら何時でも力になるから、何時でも連絡くれよっ!」
 と、サダノブに丈雄は言った。
「俺は優秀だから今のところは足りてるよ。でもまあ、此処ぞと言う時は頼んだぜっ!」
 と、丈雄の胸ぐらをサダノブはコツンと拳で軽く押した。
「おうよっ!」
 丈雄は満更でも無い満面の笑顔で言った。
 夕方になるまで白雪と晴美は帽子を取り替えっこしたり、流行りの洋服や音楽の話題で盛り上がっていた。
 丈雄とサダノブは未だ熱く友情を語り合っている。黒影は退屈過ぎて転寝でもしようかと、帽子を深く被った時だった。
 ガチャガチャと玄関の鍵が空く……其処にいた人物を見て黒影は思わず立ち上がった。
「おや、桃花(とうか)、サダノブ、帰っているなら連絡をくれれば良かったのに……」
 サダノブの父親が帰って来たのだ。今は合わせたくないと思っていたので、黒影は注意深くサダノブの父、佐田 明仁を見ていた。
「ああ、ごめん……急に帰りの電車のチケットが取れて……」
 サダノブの顔が引き攣っている……拙い。
 黒影は話しがあるからと、白雪に晴美と丈雄を連れジュースでも買って、先に墓参りに行く様に勧めた。三人が出たのを確認すると、黒影はその場に残りサダノブと其の父の明仁の話を聞く。
「桃花、本当に寂しかったんだよ。お友達は如何?元気にしていたかい?」
 佐田 明仁が今度は桃花に話し掛けている様だ。
「うん、皆んな元気だった。お友達がね、今度お洋服のお店を開きたいって言うから、此の方に来ていただいてアドバイスを貰っていたのよ」
 と、サダノブは声色こそ変えないが、女言葉で一人二役をこなしている様だった。
「初めまして、お邪魔させて頂いております。東京で小さなブティックを経営しています、黒田 勲と申します」
 と、黒影は帽子を取り丁寧に嘘の挨拶をした。
「そうですか。東京から態々こんな遠く迄……妻の頼みの為にすみませんねぇ。如何かご助力をお願いします。……おっと……時間だ。……申し訳無いが私は忘すれ物を取りに来た筈なのに、其れが何だか忘れてしまった。最近物忘れが多くて……あはは。貴方はお若いから未だ縁遠い話でしたな。では、仕事があるので私は此処で……」
 と、佐田 明仁は出ようとしたが、
「あっ、アナタ!またアドバイスを窺ったらお友達に報告しに行って上げようと思うの。またお暇をもらってしまうけれど良いかしら?」
 サダノブが聞いている。奇妙な光景だ。
「君の頼みなら仕方ないなぁ。分かったよ、行って来ると良い。サダノブはまた付いて行くのか?」
 やはり会話は別々で成り立っている。
「ああ、俺も行く!其れなら父さんだって安心だろ?」
 サダノブは本来のサダノブで答えた。
「それもそうだな。何も心配する事なんか無いけれど、桃花は慌てん坊さんだからね。今度はちゃんと連絡しておくれよ」
 と、佐田 明仁が言うのでサダノブは器用に、
「いってらっしゃーい」
 と、
「連絡しまーす」
 を少しずらして二人分言った。
 佐田 明仁は手を振り、にこやかに出て行った。

「……はぁ、疲れた」
 サダノブは肩の力を抜き、ごろんと床に大の字で転がった。
「二人分の会話じゃ当然だよ」
 黒影は苦笑いし乍らサダノブの頭を撫でた。
「先輩……あれ、治る?」
 その質問には黒影も思わず首を傾げてしまう。
「……さあな。かなり時間が掛かりそうだ。其れにしても掃除した事は気にならなかったみたいだな。仏壇も見ていない。桃花さんの物が無いのに探さなかった。其れに物忘れもやけに気にしているな。僕の事も忘れている。健忘の類いか?解離性障害にしては家と仕事先で、こんなにもきっぱりスイッチのオンオフが切り替わるのだろうか?精神的な何かと言うより、規則性がまるで無い。サダノブ……今度職場のお父さんにも会っておきたいんだが……」
 と、黒影はすっきりしないまま、サダノブに提案した。
「ええ、良いですけど、今の事忘れていますよきっと」
 と、サダノブが言うと、
「構わないよ。何度もブティック屋のふりをするより、今度は前回会った黒影で会えるだけ少しマシだ」
「それもそうですね」
 と、黒影の言葉にサダノブが言って、二人で咄嗟に付いた嘘を思い出して笑った。
 ――――
 墓地へ黒影とサダノブが向かうと、白雪と晴美と丈雄が、暑さに負けてだらりと待っていた。
「白雪さん、あんまり汗掻かないんですね」
 晴美がマジマジと聞いた。
「淑女は香水はすれど汗は掻かないものよ」
 そんな事を言っているが、レースの扇子で顔ばかり仰いでいるだけだった。
「もう、レディを待たすなんてっ!」
 と、黒影とサダノブを見つけた白雪が腰に手を当て仁王立ちする。
「すまん、ちょっと調査が入ってな……急ぎで終わらせて来たよ」
 と、黒影は誤魔化す。
 ――時刻は15時を回ろうとしていた。
「おーいっ!やっと終わったぞー!」
 風柳が皆んなの姿を見て走って来た。
「聴取もして来た。墓地の場所を聞いたらこの先に向かったって、見掛けた人から聞いて走って来たぞ」
 と、ゼェゼェ息を切らして言うのだ。
「何も探さなくたって、何かあれば迎えに行ったのに」
 そう黒影が言うと、
「サダノブ君のお母様の墓参りだったら、俺が行かない訳にはいかんだろ」
 と、風柳は言った。サダノブは、
「え?何でですか?」
 と、聞いた。風柳は、
「そりゃあ、大事な息子さんをお預かりさせて頂いていますってご挨拶だろ」
 と、言った。
「意外と律儀なんですね」
 そう言ってサダノブは笑った。

 ……母ちゃん、父さんも何時か此処に連れて来るからね……。
 だから応援しててよ……。

 ――――
 墓参りを無事に終え、昼間に風柳が百首 護に井戸の蓋の糸の件は話しを付け既に直しておいたので、安心して百首邸へ戻る。
 風柳は日中走り回っていたので、流石にクタクタの様だ。
「皆さんお疲れ様です。今、シェフが夕食を作っていますから、喉でも潤してもう少しお待ち下さい。先に入りたい方はお風呂も沸かしてありますので、ご自由に如何ぞ」
 と、古塚 玲子は戻ると、用意していたであろう汗拭き用の冷えたタオルを各々に手渡した。
「本当に何から何迄有難う御座います」
 黒影が古塚 玲子に礼を言う。
「私は主に言われた事をしているだけです。私は気が効かないもので、代わりに何でも主が考え動かして下さるんですよ」
 と、笑って応接間に通してくれた。
「軽く扇風機、掛けておきました。調整で分からなければまた呼んで下さい。では、私もお食事のお手伝いがありますので……」
 そう言って出て行く。
「はぁー、涼しい!」
 風柳は誰よりも早く、扇風機から一番近くのソファーに座り、寛ぎ始めた。流石に今日は全員、冷たい冷茶を飲む。
「寛いでいるところ悪いのですが、落下した三人の被害者遺族の聴取の結果を教えて下さい」
 黒影はだらしない風柳に、注意する様にムッとし乍らも聞いた。
「夕食の後じゃ駄目かぁー?」
 思わず風柳は言ったが、
「今日は仮眠だけであまり寝ていないんです。風柳さんも早く寝たいのでしょう?だったら、時間が空いている今のうちに調査報告して下さい」
 黒影も何処と無く、あまり眠れずに疲れたのか機嫌が悪い。其れを見た白雪はパタパタと何も言わず応接間を出て行った。気にはなったが、トイレかな?とも思い、誰も其れ以上の詮索はしなかった。
「其れもそうだな。じゃあ先に調査報告だ」
 と、風柳は警察手帳を取り出した。

 「第一の被害者は 小澤 渉 (おざわ わたる)56歳。
 元歯医者で、現役を退いたばかりだった。引退後は再生プロジェクトに参加し、ホタルの会の会長をしていた。深夜四時から朝の七時の間に死亡されたとみている。早朝に通り掛かった村人の少年が、自宅に戻り母親に伝え午前九時に遺体として発見される。

  第二の被害者は 秋田 登(あきた のぼる)47歳。
 建設会社運営。死亡推定時刻は、早朝五時から八時の間。
 昼に井戸内の扉点検で午後一時半に発見される。

  第三時の被害者は 唐島 弓弦(からしま ゆずる)51歳。
 元鉱物、地層学者。二ヶ月前からこの村に滞在したばかりだ。死亡推定時刻は朝六時半から九時半。
 こちらも朝通り掛かった村人が、蓋が無いのを不審に思い発見された」
 と、風柳はどんな人物か、死亡推定時刻、発見状況を報告した。
「井戸については被害者は如何思っていたんですかねぇ」
 黒影は勿論、言われる迄も無く聞いて来ただろうと勘繰る様に聞く。
「全く……刑事の足をなめてもらっちゃあ困るな。勿論泣言も全部、根掘り葉掘り聞いて来た。
 ……小澤 渉は井戸の中にずっと有害物質を保管する事を快く思ってなかったそうだ。妻によると、再生プロジェクト後に、蛍が減っている、何か影響があるんじゃないかと最近気にしていたそうだ。

 其れから建築会社の秋田 登も井戸についてあれが無ければ開発が進むのにと、惜しがっていたのを同僚が聞いていた。

 そして、鉱物、地層学者の唐島 弓弦は研究者と言う程では無かったので、村人からしたら研究者だとしても贄にするでも無いとされていたが、熱心にあの壊れた儀式の崖を調べていたのを目撃されている」
 黒影は此等の報告を聞いてある共通点を見付けた。
「成る程、分かりました。やはり推定死亡時刻は、あの紐が大きく弛み始めた七時前後でしたね。他の人が落ちずにいられたのは理由が在った様です。被害者三人は井戸に此のまま有害物質が在るのを許さなかった人物なのです。仕掛けた犯人の思惑を考えると、指一本触れさせないと言う強い意思が感じ取れます。単にプロジェクトの中の誰かとは未だ限定出来ません。悍ましい歴史を繰り返したく無いと、恐怖に思う程の者の成せる技かも知れないからです。被害者の年齢層がやや高いのも、幼い頃から科学を良しとしない此の村独特の考えで育って来たのかも知れません。壊せばまた田畑や自然が消える。其れでも反対する理由がある。
 第一の被害者 小澤 渉はホタルがいなくなる……例えば汚水またはあの井戸底の有害物質が地表から漏れ出ていると考えた。だから独自に調べたくて入ろうとした。更にプロジェクトを中断させようとした。脅してまでプロジェクト予算を狙ったかは定かではありませんが、証拠を掴めば出来ない事ではありません。

 第二の被害者 秋田 登は「あれが無ければ開発が進む」と言う、”あれ”は有害物質を憎んで……では無く、其れを留める三枚の扉を破壊する目的で井戸に入ったと考えた方が自然です。もし有害物質を取り除けたとしても、此の村はもう十分再生プロジェクトにより田畑や川が再生し、新たな開発地には向いていない。此処を有害物質で再び根絶やしにすれば、この地を追い出さなくても離れる者も増え、ガラ空きになる。その機ならば開発費用も掛からない、開発に適した場所に成ると考えたのでしょう。人がいなくても成立する開発となれば、エネルギー開発なんて話があったかも知れません。此方は再確認の必要がありそうですね。風柳さん、お願いします。

 そして、鉱物、地層学者の唐島 弓弦は崖倒壊の前から来て崖を調べていた。儀式の間に崖が偶然崩壊したと僕らは思っていたが、そうじゃあ無い。あれは唐島 弓弦が人為的に壊したのでしょう。あの悍まし儀式を止めようとして。然し、此処であの儀式を止めたいと個人的に唐島 弓弦が確かに思ったとしても、あれだけ綺麗に全てを崩壊させるのには爆薬がいた。弱った地層に小さな爆薬を仕込まなければ、それこそ天災でも無い限り、ああは行きません。もう一人いたと見て間違いない。そして目的を達し、証拠を消し去りたかった真犯人に誘導され、まんまと罠に落ちた。……少しずつ裏が分かってきましたね」
 黒影は風柳にそう言って、楽しそうににっこり笑った。
「おいおい……謎を解いたと思ったらまた謎か。俺達は、此の村と随分と気が合うなぁ」
 と、思わず風柳は言って苦笑した。
「夏休みの課題にはこのくらいが丁度良い……」
 黒影は外の和風庭園を見乍ら言った。
 窓の外で蝉の死骸が一体転がり落ちた。

 ……何を先行く命哉……急がば回れど先行かん
 選ぶも無しに灯り入る
 欲人呑み込む井戸の底
 ……解かねば弔う事も叶わぬ……

「黒影ーっ!はい、上げる」
 白雪が飲み物を何か持って戻って来た。
「古塚さんにお願いして、一緒に作ったの」
 と、ご機嫌で言う。
「アイス珈琲か、丁度飲みたかった」
 そう言って黒影は一口飲んでみる。
「ただのアイス珈琲じゃないのよぉー」
 と、白雪は黒影に楽しそうに言った。
「……此れは……」
 黒影の顔が少し明るくなったのが、サダノブにも分かった。
「……粗目(ザラメ)だな」
 と、さっきまでの推理モードの顔がすっかり和らいでいた。
「あったりー。暑いと皆んな苛立って仕方無いから。あっそうそう、二杯半も入れたのよー。古塚さんが言うには、冷たいと味覚が少し鈍るから、少し多めでも何時も通りの甘さに感じるんですって」
 と、白雪が話す。
「其れは良い事を教わったな」
 黒影は朗らかな笑顔で白雪の頭を撫でた。黒影にとって白雪は大切な人で、妹の様でもあって、専属秘書でもあって、皆んなのムードメーカーでもあり……何より安らぐ空気の様な人なのだとサダノブは思った。能力者である前に「人として」を大事にする、黒影の事が少し分かった気がした。
「サダノブと風柳さんの分もあるのよー」
 そう上機嫌な白雪が言うが、風柳は、
「俺はお茶が未だあるから皆んなで飲みなさい」
 と言って、新聞を取って読み始めた。新聞が小さく揺れている気がしたが、扇風機の風の所為かとサダノブは思った。
「サダノブは白雪様特性のアイス珈琲、勿論飲むわよね?」
 と、半脅しで聞かれて、
「ええ、勿論頂きます」
 と、答える。
「あっ、あまぁああー!」
 サダノブは一口飲んで、絶叫した。
「そうか?」
 黒影は幸せそうに飲んで、
「飲み物に関してだけは甘党なんだよ。自分でも気付かなかったんだが……。ほら、其処の風柳さんなんて、さっきから笑っていたじゃあないか」
 そう、黒影は言って風柳を指差す。風柳はチラッと新聞を下げると、涙目で笑っていた。
「風柳さぁーん、先に言って下さいよぉー!」
 と、サダノブは泣き付いた。
「まだまだ洞察力も推理力も足りんな、サダノブ」
 黒影はそう言って、幸せそうに残りのアイス珈琲に舌鼓を打つのであった。

🔸次の頁三章へ (此処からお急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)

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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。