黒影紳士 ZERO 01:00 〜双炎の陣〜第四章 事実と真実
第四章 事実と真実
「サダノブ、出来たか?」
黒影はサダノブに聞いた。
目覚めたら勲がおらず黒影は狸寝入りをしようとしていたが、サダノブが何か「勲の扮する黒影」の様子が変だと、マスターキーを管理人兼神主の滝田に借りて勲の部屋を訪れたのだ。
「やはり、犬の嗅覚は素晴らしいな」
と、黒影は茶化すだけである。
そしてサダノブにこうも言ったのだ。
「勲さんが一足先に調査を既に開始している。勲さんは僕等とは違い単独行動に慣れている。単独で調査のスピードも早く、影を使って移動も可能だ。
僕よりも先に犯人に辿り着くと想定出来る。勲さんに僕のタブレット端末取られた。
元から調査が早いのに、あんなに便利な物があれば尚更だ。
けれど、勲さんは能力者の犯罪者と対峙するのには慣れていない。急いで僕等は僕等のやり方で犯人を追うぞ。
サダノブ、僕のタブレット端末から勲さんの情報を盗め。元は僕のだから簡単だろう?」
「そう簡単に言いますけどねぇ~ウチのセキュリティ……どれだけ強いと思っているんですか?涼子さんじゃないと無理ですよ」
サダノブは日本一を誇るセキュリティが何を言っているのかと、黒影に言った。
「ああ……そうだった」
黒影は探偵ならば情報漏洩だけはいけないと、あの「たすかーる」の店長の涼子と独自開発をしていた事を思い出す。
「ちょっと……まさか、勲さんじゃあないですよね?」
サダノブはとうとう疑念を口にする。
「失敬な奴だな!社長も分からないとは酷い社員だ。ちゃんと僕だと分かっている癖に」
黒影はそう言って憤くれた。
「分かっていますよ。鳳凰の焼けた様な炎と、白檀の香りがする……。勲さんにすっかり騙されていたのが、自分でも腹立たしいんですよ。よくよく注意して見れば直ぐに分かった筈なのに……」
と、サダノブは悔しがった。
「急いでたすかーるに外注を出せ!良いな」
黒影は身なりを整え乍ら言う。
「其の物言いは紛れなく先輩っすね」
と、サダノブは呆れた。
「悪かったな!物言いが悪くて」
黒影は漆黒のロングコートを大きく翻した。
「行くぞ!」
真っ直ぐ見詰める目には、迷いと言う言葉の欠片も見られない。
突き動かす物はたった一つの「真実」
向かうは其の線、一本が辿る先である。
「あいよ、黒影の旦那」
相変わらずの真っ赤な着物を着て、暫くすると涼子が、黒影が待っていた「夢探偵社」を訪れた。
簪や着物、帯……至る所にさり気なく派手過ぎない程の朝顔があり、夏を感じさせる。
真っ赤な着物は派手だが、其の整った可愛いと言うより綺麗な鼻筋の通ったくっきりした目からは、美しい端正な顔立ちをしており、大人びて見える。
老けているのではなく、数々の人よりも濃い人生経験がそう、落ち着き払った女に見せているのだ。
其の真っ黒で長い髪には、誰よりも赤が似合うと、黒影も思う。
華やかさと言う言葉は、涼子を指すのだとさえ思う。
「黒影の旦那様にしては随分とお急ぎの様じゃないか。何か手伝える事があれば遠慮無くて言っておくれよ。其れと……」
涼子は言葉を急に濁した。
「分かっています。何が言いたいのか。マンションのセキュリティ管理は其方に全部任せていましたからね。構いやしません」
そう、黒影はさり気なく言わなくて良いと言う。
「でも、黒影の旦那!」
涼子は黒影の身を案じているのだ。
ゲストルームにした一室は、特に監視していた筈。
だから勲さんが黒影を眠らせた事も、命さえ狙った事も、出入りで分かっていたのだろう。
黒影と並ぶ程頭のキレる女だ。涼子には容易く推測出来たに違いない。
「涼子さん。勲さんの存在は、元を辿れば僕の影です。勲さんのしでかした事は、僕自身の責任に帰属する。……詰まりねぇ、僕だから勲さんの考えは手に取る様に分かる。だから、構いやしない。そう言っているのです」
と、黒影は勲を許すつもりでいる様だ。
飲み物に致死量の毒を混入した事も、睡眠薬で眠らせた事も。
全ては「事実」の為だと、黒影には分かっていた。
昔の自分を思えば……分かって当然だ。
犯人を捕まえても、証拠不十分では棄却されてしまう。
犯人を捕まえるだけでは駄目だと気付き、事件の「事実」さえも只管に追っていた。
犯人を追うだけで、本当は精一杯なのに。
何時も殺風景な部屋に帰っては「事実」「事実」と、まるで亡霊の様に力無く呟いた。
今もきっと……変わっていない。
目的の為なら何でもする。生きる為なら自分すら捨てる。
そんな危うさが、勲にはある。
何時も思っていたんだ。
追っているうちに、何時か反対の追われる側の人間になってしまうのでは無いかと。
そんな不安すら何処にも出せずに、彷徨っていた。
其の孤独な魂が、こんなにも大胆な行動に出させたのならば、理由はただ一つ……。
寄子さんの事だとは、黒影にも想像が付く。
「先輩……もしかして、飲み物に毒も……」
サダノブも二人の会話で察した様だ。
「知ったところで何も変わらない。勲さんは、僕自身だ。何か問題でも?」
黒影は文句は無いよなと、さも言いた気に睨むのだ。
「いえ、その……少し心配しただけです。だって勲さんが先輩を殺しても、勲さんは消えない!だけど、勲さんを殺したら今の先輩が消えてしまう。二人とも殺し合いみたいな喧嘩しそうで。何と言うか……気が気じゃないと言うか。似ているのに全く違うから、危なっかしいんですよ!見ていて」
と、サダノブは一回反りが合わなかったら、殺し合いの喧嘩に発展しそうだと、勲と黒影に対して思っている。
「ふむ……。有り得なくは無い。だが、其れは最終手段だ。勲さんは何かを変えたいだけだ。変え方が分からないから、あんな手段しか無いと思ってしまう。……未だ、今の僕より洞察力、観察力に乏しく、周りが見えていないのだよ。代わりに今の僕が其の煮詰まった考えに、答えをくれてやれば、本人も望んでる訳じゃあないんだ。だから、直ぐに諦めてくれるよ。其の点、利益の無い事はしない考えは、今の僕にも精通するがな」
そう黒影は勲に対して率直な意見を述べる。
黒影は時計を見ようと、何時もの様にタブレットでは無く、時夢来の懐中時計を開いた。
其の時だ。
ドクンッと強く黒影は心臓を刺された様な、衝撃を感じた。早まる鼓動が……治らない。
「何だ……これは……」
黒影は胸をグッと掴み苦しそうに顔を顰め、顔を胸に向ける。
「先輩?!」
「黒影の旦那!」
二人が如何したのかと、黒影を案じた。
「大丈夫だ。心拍が少し強いだけ。鸞や白雪とリンクした時の感覚にも似ている。……だが、明らかにもっと強い。……僕のリンク技は……願いと……僕の窮地が重なる事で起きているのかと思っていた。今回は勲さんがこの時代の「黒影紳士」に現れた事と言い……何かが変わった様だ。区切りとしては時計の二周目……詰まりニ巻の始まりとなる。何時も通り始まるなんて思ってはいなかったが……毎回こんなにしんどいリンクなら、これから先が思いやられる」
そうは言っても、言葉は息が上がり途切れ途切れ。
これで犯人とカチ会ってしまったらと、サダノブは不安になったが、直ぐにその不安を払拭する。
何時迄も黒影に頼っているようじゃと、護るなどと言う事が到底先に思えたからだ。
「でも先輩……。どっから如何見ても今は窮地には見えない。やっぱり何処か身体でも?」
と、サダノブが心配するも、黒影は黙って考えている様だ。
今は答えが出なくとも、黒影がそのうち何時もの様に答えを否応無しに引き出すに違い無かった。
……何て、お馬鹿なサダノブの考えはこうだ。
勿論、僕だから答えは其の内……否、今分かっている。
――――…………遡る事、第一章の目覚め。
僕はサダノブより早く目覚めた。
サダノブが起きた時点で、先に目覚めていたのは白雪、風柳さん、僕となる。
読者様も今回はサダノブ視点だったので、サダノブと同時に目覚めた。
正確に記そう。
僕が一番早くに目覚めた。
理由はそれなりにある。
第一巻最終回から、その間に番外編があり今があるが、最終回の訪れで「黒影紳士」と言う物語は0時きっかりとなる。
此の物語は時空と密接に関わり、其れはseason1から season2迄十数年と時を超えて再び始まる事に由来する。
season2から始まったのは短編完結では無く中編。終わりどころが無く進む。
season2の冒頭から現れたのは、「時夢来」と言う予知夢が本と一対になり、記録出来る懐中時計の存在。
season2ではこの懐中時計が、数々の時空に関する事件や騒動の引き金となるのだが……。
勿論詳しくは読んで貰いたいところなので割愛するが、僕が目覚めた時、既に鎮魂歌(レクイエム)が最後に眠りに就いた時より増えていた事に気付いていた。
「おい!創世神!……棺桶が増えているが、貴方が用意した鎮魂歌だ。貴方が眠っていないなら、これは「黒影紳士の書」か?」
と、僕は叫んだ。
『だから何処の物語に、主人公が創世神を呼び出す物語があるんだ。威厳が無くなるから止めろと言っているだろう?』
創世神は気怠るそうに舞い降りて来た。
青光りする漆黒の翼を携え、黒影と似た紳士風情だが、山下りハットに臙脂の花のコサージュを風に揺らす。
「威厳なんて物は如何でも良いんですよ!貴方が何者か皆んな知ったのだから」
と、黒影は言う。其れは此の際、黒影自身の話になるので伏せておこう。然し、黒影自身が創世神を必要としたのは、創世神が「黒影紳士」其の物に詳しい点である。
何故詳しいかは、過去の黒影も現在の黒影も記憶した完璧な存在とも言えよう。
黒影は自分の事さえ、急ぎ行く毎日に置いていく。
……そう、過去の勲の事さえも、生きる事に必死な限り不必要な物として、人は「過去」を切り捨てて前へ歩かねばならない。
無論、黒影だって例外では無い。
だが、過去の事件の記憶が今の事件に繋がる記憶になったり、経験にもなる。
出来るだけ覚えていたかった黒影が作った存在とも言える。
『其れが気になるのか?』
創世神は増やした棺桶を一瞥し、確認する。
「気にしないと思います?此の僕が」
と、黒影が答えると創世神はこう言った。
『先の楽しみにしておけ。二巻からのな。敵では無い。お前も良く知っている……』
創世神はこれからだと、其れ以上は言わなかった。
だから、毒を盛ろうとしても、眠らされると思っても勲を信じた。
自分を信じるのは当然の事だ。
例え……別の人生を歩んだとしても、何の理由も無しに殺しが出来る様な自分ならば……そんな己等要らぬ。
創世神が「敵では無い」と言ったからには、脅かされたが害は無い。
致死量の毒以上の毒を本気ならば盛るだろう。
自分の事ならば、そうする。
迷いがある……。
だから、致死量で気付かれ全部は飲まないだろうと思っても、其れ以上増やせ無かった事も、今の黒影には分かる。
ふと、誰が入っているのかと考えていた時、大事にネックレスに繋いで胸ポケットにしまっていた時夢来の懐中時計が落ちた。
ネックレスはプツりと音を立てて、時夢来を拾おうとすると、其の行動より早くサラサラと首から滑り落ちて行った。
黒影は拾おうと上半身を下げ、時夢来に手を伸ばした儘、時を止めた様に身動き一つ出来ずに、其の目を見開く。
時夢来からは12本の影の筋が広がっている。
揺れ動く……奇妙な影は自然界の光と影の正立を乱し、蠢く生き物の様であった。
「……何……です?……此れは……」
影を使い熟す黒影でさえ、こんな不気味な影の気配を感じた事は無い。
『其れが時夢来の本来の姿……に、成り掛かっているものだ。そんな邪悪に感じるものでさえ、お前の物だ。敵では無い……気にするな』
と、楽観的に創世神は答えるが、途轍もない底無し沼の様に……邪気に満ちた物にしか見えない。
創世神が何も言わなければ、今直ぐにでも鳳凰の力を出しただろう。
「さっきから敵では無いと軽く言いますけどねぇ……。流石に此方は飼い慣らせる気がしないんですよ」
と、黒影は創世神に皮肉めいて言った。
『飼い慣らせる物ではないが、其れが黒影自身の役割其の物だ。黒影だってもう気付いていただろう?主人公では無かった。かと言って自分は何なのか……其の答えだ。次期創世神である意味も軈て気付く。創世神とは書くだけでは無い。「黒影紳士」にとっては、其方の方が重要な役割りなのだよ』
と、創世神は言うが、黒影には其の意味が全く分からない。主人公は飲み込んだ誰でも構わない……そうであったが、そんな前の時計一周の時代は終わった。
烏と姿を変え、空に帰る創世神を見送る。
青い空にくっきりと見える影が小さくなるまで。
……時夢来……12方位。
「……時……か」
―――――
鼓動が治る頃には、目覚めた時には分からなかった何かに、気付き始めようとしていた。
……僕の影は……。
どんな犯人でも追跡しようとする。
ある一定の犯人だけは未だ追跡出来ない。
勲が現れた理由が、其れならば!
「早く!勲さんに追い付くぞ!」
黒影はサダノブがエンジンを温めていたバイクに飛び乗る。
調査用鞄も持たずに。
「ちょっと、何やってるんですか!危ないですって!」
黒影がサダノブから両手を離すので、サダノブは心配になって声を掛ける。
「良し!勲さんのタブレットの中身が全部見れる!流石たすかーるは違うな……。紫さんは、ほぼ単独で動いてる。……過去は確かめられない。何かの能力で確かめたところで立証不可能だ。だから、現在も犯行を続けているかもしれないと考えたんだな。動物殺傷の件で、辺りを聴き回っているようだ。……勲さんは、現在被害者聴取をしている……」
黒影はサダノブ其方退けで、また考えている事を口にして頭に整理している様だ。
「だから、タブレットし乍らは流石に……」
と、サダノブが言うと、思いっきり右肘を引っ張るのだ。
「危なっ!」
サダノブはそう言って振り向こうとすると、
「危ないはこっちの台詞だっ!勲さんと同じ方角へ行って如何する?!勲さんは影を使って移動すると言っただろう?移動速度は無いに等しい。向かうは紫さんの先手だ!悪いが紫さんのデータ、全て此方が利用させて頂く!」
と、言うでは無いか。
「あっ、狡いんだぁ〜。紫さんと行動すれば良いじゃないですか、敵じゃあるまいし」
そう、サダノブは何て人だと呆れたが、
「それじゃあ遅いと言っているんだ!もう既に何件かの動物殺傷事件のデータが纏まりつつある。此の時点で、葵さんはサイコパスだから、もう犯人を絞り始めている。風柳さんと白雪に、葵さんを止めて貰うしかない!信じて貰うんだ……依頼人に。其れが出来るか出来ないかで勝負が決まる!サダノブ、二人に其の事を伝えてくれ!」
と、とっくに次の事を考えていたのだ。
サダノブが、連絡し易い様に、ヘルメットに内蔵している無線を一時、風柳へと繋いだ。
その間黒影はバイクの騒音でサダノブの会話は遮断されるが、優先事項なので気にせずタブレットに表示させた、紫の集めたデータを見ている。
……共通点……。
……先ずは場所。大学、病院、学会が多い。医者、研修医、医大生の可能性がある。
此処から線で外れた物を結ぶ。移動は車だ。範囲を五キロ毎に囲んで見るか。
そうか……通学範囲では無い。職場への範囲。卒業しても学会へは行く。しかし、大学へ……。教授、準教授レベルが、此の動物のご遺体を見るからに下手な縫合では成れる訳がない。
縫合が下手だと拙いのは……腹部だけならば産婦人科だと思ったが、動物のご遺体画像から色んな箇所であると分かる。……詰まり、外科の劣等生。
劣等生だが、其れで許され卒業してしまった。
そんな事が許されるのは……医者が家業だからだ。
「サダノブ、此の医大の教授に、アポイントが取りたい。遠並(とおなみ)医院の院長 遠並 英(とおなみ すぐる)先生の跡取り息子 遠並 彰(とおなみ あきら)先生について聞きたいと。警察から先に連絡を入れて欲しいんだ。不正取引で卒業した筈だ。其方は根気強い警察の調べに任せる。僕は此処だけの話でさっさと、裏が取れれば構わない。」
サダノブは無線を彼方此方に黒影が切り替えるので、
「今のも風柳さんに話せば良いんですね?今、話ていたでしょう」
そして、サダノブが其れを風柳に伝えると、風柳は相槌を打って聞いていたが急に、
「待て。話は分かった。そう、伝えてくれ」
と、突如低い声で言った。
白雪と葵の部屋の前にいると、葵が出て来たからだ。
「其処……退いて貰えませんか。少々用事が出来て、出掛けて来ます」
葵は薄い笑顔でそう言う。
「黒影が今は出ないで欲しいと」
風柳には其の薄い笑顔が、殺気じみているのが分かる。
「此れは上司命令だが」
葵は薄い笑顔を崩さない。
「此方は、能力者犯罪特務課……そんな者は関係無い部署ですからねぇ」
と、風柳まで薄い笑顔で、今にも虎に成り飛び掛かりそうである。
此の空気を諸共せず……と、言うか、読もうにも読めない人物が一人……。
「黒影が出ないでってお願いしたのよ?貴方、黒影を頼って来たのでしょう?それなら、最後迄信じなきゃ駄目よ。黒影は依頼人に最高の成果を上げてくる。それは、依頼人もまた黒影を信じてくれなきゃ成立しないわ。何処のお偉いさんでも同じよ。黒影が動かないで欲しいのは、貴方のアリバイを作る為でしょう?今、動くならば貴方は上で指揮する者に向いてない。本当は分かっているんでしょう?ただ待つのが辛いだけ……今動くのは得策じゃない。そう思ってるわ」
白雪は、葵に言った。
確かに白雪ならば一般人で、命令が如何のとは関係ない。
「だけど、無能な探偵に頼んでしまったようだからね。僕ならばもう犯人に気付いている。だから行くんだ!退いてくれ!」
そう葵が軽い白雪の肩を押し退けて、白雪が床に手を付きそうになった時である。
「あら……困った依頼人さん」
そう言って、白雪は影を広げて蠢く手や顔の影を出現させる。
「皆さん、あの方の足、掴まえていて貰えるかしらん?」
と、言うと足早に行こうとした葵の足を、幾つもの真っ黒な手が止めたのだ。
「何だ?これは!」
葵は己の足元を見てぎょっとする。
「事件で殺された人達の無念、残留思念の塊よ。あまり失礼な事は言わないでね。皆んな、意思があるのだから。成仏するまで、私が預かっているだけよ。貴方も警察ならば、此の子達を蹴り飛ばして、走るなんて出来ないわよね?貴方が気付いた事に、黒影もとっくに気付いたわ。見損なわないでよ!ウチの旦那様は世界一の探偵よ!?サイコパスだか何だか知りませんけどね、それよりも事件経験も長いし、場数が違うのよ!だから、先に……貴方に動いて欲しくなくて、私達に様子を見る様に言ったわ。貴方の愚かな行動も察してね。今、アリバイを作れる……だから、落ち着く様に言ったのが理解出来ないか知らん?」
と、白雪は一般人を良い事に、葵に説教をする。
「だから二人……ね。恐れ行った。暇なんだ…少し、カードゲームでもしないか」
葵は、諦めるとそう言って、優しく微笑んだ。
こんな強い一般人を仕向けるとは……黒影も中々に面白い奴だ。
そう思ったからだ。
風柳は其の儘、白雪と葵の部屋に入ると、大東講堂付属医大(だいとうこうどうふぞくいだい)に、黒影が外科の教授に会いに行くからと、警察署にアポイントの手配を取って貰った。
「やはり、大東講堂ですよね。黒影さん……本当に気付いていたんだ」
カードを切り乍ら、風柳の電話の遣り取りを聞いていた葵は、ボソッと言った。
「ほらね?私の旦那様は世界一の探偵なの」
と、白雪が言うと切っているカードの間に指をスッと入れ、一枚を飛ばした。
「ハートのクィーンは何時だって私の物よ」
白雪はそう言ったが、風柳には何の事かさっぱり分からなかった。
「そうでしたか。それは大変失礼しました。女王様には、イカサマも上級でなくてはねぇ」
と、葵も可愛いロリータの服で騙されていたが、そういえば今年裁判官になったばかりの息子もいたのだと思い出し、そう言って笑った。
「俺も入れる次元のカードゲームにしてくれないか。七並べだ、七並べ」
と、風柳はカジノじゃあるまいしと、本気の二人に溜め息を吐くのである。
――――――
「其れで……本当の所は如何なんです?遠並(とおなみ)医院の遠並 彰(とおなみ あきら)先生について、遠並 院長から何か取引きがあった様ですが。表向きは如何でも良いのですよ、僕は。遠波 彰先生……ナースに聞いたら、相当問題を起こしているそうじゃあありませんか。あんなのに、卒業証書を渡した分だけの、責任ぐらい取って貰っても構わないと思いますけどね。嫌なら良いんです、後で徹底的に此方で調査しましょう?……時間が無いのですよ。今ならば、多少の逃げ口は作って差し上げると言っているのです」
そう、黒影は勿論しらばっくれる外科を教えている行平 信夫(ゆきひら しのぶ)教授に、提案した。
「私の教え子にそんな出来損ない等存在しません。それとも、何です?此の私がそんな出来損ないの為に態々、利益も無いのに裏金等で飼い慣らされ、卒業させたのだと言いたいのですか?……確かに、医学やら法大やらはそんな話を聞くが、だからと言ってそれが常識みたいな言い分をされるのは、大変不愉快ですね」
と、平行 信夫は不快さを顕著に表情に表し、直ぐにでも帰れと言い出しそうである。
「では、せめて遠並 彰の成績表ぐらいならば、見ても構わないですよね?貴方の教え子に劣等生等いないと、豪語されたからには……此方も暇で来ているんじゃあないんです。それなりの根拠無しに、手ぶらで帰る訳には行きませんね」
黒影は一歩も引く気は無いと言う態度で、仁王立ちしたまま、腕を組んで……今直ぐ出してみろと牽制するかの様に顎でクイッと急がせるのだ。
サダノブはバイク置き場に置いて来た儘。
もし、相手が能力者だとしても、黒影は態度を変えるつもりは無かった。
必ずあるんだ……此処に、事件と成る鍵の断片が……。
勲が言う真実を重ねた上の証拠……。
勲が回収しに来る前に……此の「事実」を掻き集めなければ、過去の事件を立証するなど、遠い遥かな夢だ。
己の「過去」である勲が出来る事ならば、「今」の僕に出来ない事等無い!
例え違う運命を辿っても、僕は僕で在る限り、其れがブレる等と言う考えは無用である。
「全く、そう言う物は書類がいるのでしょう?だが、其処迄言うなら仕方無い……。ただの成績表程度ならお見せしましょう。遠並 彰君は実に優秀な生徒でした。生徒の中でも群を抜いてね」
行平 信夫教授は机から、スッと一枚の成績表を取り出して見せた。
黒影は其の瞬間を逃さない。
己の影の手を伸ばし、其の引き出しを動かない様に握り締め、止めたのだ。
そして不気味な事に影の顔まで伸びると、中から目玉だけが二つギロリと白く光り、黒い瞳がギョロギョロと引き出しの中を観察している。
行平 信夫教授は、其れに恐れを成し、影に当たらぬ様下がると、スライド式のホワイトボードに背中を軽く打った。
「おや……驚かせてすみませんね」
黒影は悪ぶれる事も無く、無表情にそう言うと、手を上げ影を引っ張る様に元に戻した。
「何故、僕が遠並 彰の成績を気に掛け、聞くと分かっていたのでしょうね?連絡が来て、準備した成績表等に意味は無い。インクが未だ真新しい。他の紙に写っていましたよ。インクの香りもした。印鑑迄は電子じゃないんですね。何故、捏造を取り急ぎしなくてはならなかったのかを、聞きたいのですよ。他の生徒の成績表はデスクの引き出しに無かった。警察から誰か来ると言われて、慌てて用意したのが、遠並 彰の成績表だけとなると……明らかに不自然な事をした物だ。詰まり、全ては逆……。遠並 彰は出来が悪かった。故に、大病院の院長である父、遠並 英院長に頼まれた。大病院の次期院長になる者が留年なんてさせられない。何とか卒業させてくれと、貴方……言われて、負けたのですよ。
今の僕にも……其の時、己にあった理性にも。これから、僕よりもしつこい奴が、貴方を何処までも追い詰めに来るでしょう。僕で手を打っておいた方が身の為ですよ」
黒影にとっては此れは脅しでも何でも無く、本当の事を言った迄であったが、
「偶然だっ!……そうだ、特別に出来た生徒であったから、つい自慢しようと、何時も取って置いただけの事。インクが何だって?気の所為では無いのかな?後、数分でそんな物、乾き切ってしまう様な物を、しっかりと見もせず、言い掛かりも甚だしいな」
などと、行平 信夫教授は見苦しい言い訳を始めた。
「今の化学捜査舐めてるんですか?……インクの文字がどの程度前の物ぐらい分かるって、教授だってご存知でしょう?……見苦しい……」
黒影が呆れてそう言い返した時だ。
「ならば、力尽くで吐いて貰えば良い……面倒な事に時間を割く必要は無い。先程の何処までも追い詰めに来るみたいな奴とは、まさか此の私しの事ではあるまいな」
と、黒影は其の落ち着き払った己そっくりの声に、背筋を凍らせゆっくり振り向いた。
…………勲だ。
黒革の手袋をキュキュと音を鳴らし、はめながら悠然と歩いて来る。
獲物を見付けた其の瞳は何処までも堕ちて行きそうな青い深海が地獄。
影は今にも如何してくれようかと、騒めき色んな形に変わり乍ら、勲を包んでいる。
「其れが証拠物件なのだろう?私しが頂戴しておきましょう」
そう言うなり、黒影さえも見えない速さで、気が付けば影の先に成績表をヒラつかせていた。
何て静かな……死にも似た殺気だろうか。
黒影は我が影乍ら、勲の静かな怒りに一筋の冷や汗を頬に伝わせた。