あなたが書けないのは、あなたに才能がないからではない。
noteの記事編集画面ってめちゃくちゃ文章書きやすいですよね。シンプルで統一されてる。リア垢の連投ツイートみたく、いろいろ書きなぐりたくなります。
実は僕、ついこの前までかなりの遅筆でした。アイデアはいっぱいあるのに、原稿という形にならない。「今日かなり書けたぞ!」と思って文字数振り返ってみる。500字。精神崩壊。みたいな。まあ小説なんて、単純に文字数だけで語れるようなものではないんですけどね。
でも今ではなにがダメなのか原因がわかってるので、多少はマシになりました。そしてそれは少なくとも才能の有無とは関係ない。
こういうときって、ただ単に書くことと推敲することが同時に起こっているというパターンがほとんどなんですよね。
「ここもうちょっと上手い例えあるんじゃない?」とか、
「ここ主語ないよ?」とか「もう少し詳しく書いたら?」とか……。
自分が一番はじめに書く文というのは、この『編集者としての自分』をいかに思考の外に締め出すか、なんですよね。はっきり言って、こいつは有害以外の何物でもない。こいつがいる限り、僕の書きたいものは一生表に出てこない、とすら考えているほど。
自分で書きたいから書いているはずなのに、書く前に自分で思考を検閲して、ありもしない批判に忖度した結果、何も書けなくなる。こうやって振り返ってみるとバカバカしいにも程がありますよね。
こうした自分を排除するためにできることの一つは、ずばり『いっぱい書くこと』です。
いっぱい書くための解決策がいっぱい書くなんて矛盾してる? いいえ。
僕はいっぱい書くために自分の中の『書く』という行為に対するハードルを最低限まで落としました。
具体的な方法で言えば、メモや日記、文庫の余白にひとこと書き込んだり、ツイートを気軽に連投してみたり。
特にメモはかなり有用なのではないか、と思います。誰にも見せる必要がない。何でも書きつけられる。そして箇条書きで長くても数行。本当になんでも書きつける意識のため、書くことの多さに辟易とすることもありますが。
こうしてメモをしていると、少しずつ『頭の中を出力する』ということへの抵抗感が薄まっていきます。ツイートや投稿して人の目に触れるとなれば、それを見返して精査すればいい。
まず『書き手の自分』と『編集者としての自分』を分離させる。そして書きたいことは思いっきり書いて『編集者としての自分』にぶん投げること。
「とりあえず書きたいものは好きに書いたぞ」と。
「あとよろしく!」ってかんじに。
執筆ってそういう自己中な思考が必要なんだと思います。
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