見出し画像

西ノ島出身だからこそ思うこと、自分と島のあり方を見つめ直す。

西ノ島町出身、隠岐島前高校を卒業後、京都の大学に入学。そして大人の島留学に参画し、現在は岡山県で働く小林さん。

島出身だからこそ語れること、島への想いとは?

島根県の離島、隠岐島前地域で大人の島留学・島体験に参画した皆さんの来島前・来島後、そしてこれからについてお届けする「私、島で働く。」
その卒業生版、番外編となる「卒業生は、今。」

来島のきっかけから島での仕事・暮らし、自分自身の変化。そしてこれからを思い描く未来とは。
1人1人のストーリーをお届けしています。

小林さん 取材当時24歳
西ノ島町出身 大人の島留学第1号として参加


大学4年生の頃、大人の島留学第1号として参画。現在は岡山県でお仕事をされている小林さんにオンラインインタビュー。

西ノ島町出身ならでは、島の見え方や、島出身者としての想いを聞かせていただきました。


−ではまず、大人の島留学に参画された理由を教えてください。

参画当時は大学四年生。京都の大学で、地域経営を学んでいました。
勉強していく中で、「生まれ育った西ノ島で18年暮らしたけれど、地元のことって意外と分かっていなかったなぁ」と思いました。
良いってことは分かっていたけれど、何がいいのかを知らないまま島外に出てしまったなと。
もう一度、「学ぶ」という視点で島へ帰ってみたいなという気持ちがありました。そのころ「大人の島留学っていうのを始めるんだけど、第1号で来てみないか」と誘っていただきました。


−その当時はシェアハウスで過ごしていたのでしょうか?


最初は実家の西ノ島から通っていたのですが、海士町に住所を移動することになったので、空き家の清掃がスタートでした。
今、大人の島留学のシェアハウスとして使われている古民家は、すべて空き家の状態で。
軽トラを一台借りて、その中にゴミ袋をたくさん入れて、ゴミ捨て場に行って…
これを何十回も繰り返して、掃除して住める状態にしました。

大人の島留学第1号だったので、業務内容もその頃はまだ決まっていなくて。とりあえず住むところはあったほうがいいよね、ということでまずは清掃から。
とっても大変でした…笑

大人の島留学を一緒に作っていったという感じでしたね。


−大人の島留学生として実際に過ごしてみて、なにか気づきはありましたか?


高校生の頃までは働かずに、住んで、遊んで、過ごしていました。
大人の島留学としてUターンして、実際に住んで働いて、気づいたことが多かったです。

大学で一度島外に出て、大人の島留学で島に戻ったからこそ気づいたのが、「今は帰れないな」ということです。
正直、島で働くか、島外で働くか迷っている部分もありました。
今回の大人の島留学を通して、今の自分の気持ちと向き合えたことが、とても良かったと感じています。


−どの辺りでそう思うようになったのでしょうか?


島外の方だったら来てくれるだけでありがたいのだと思うのですが、僕は島民。
島に戻って働くなら、島で何かを成し遂げなければという思いがありました。
今の何も得られてない、武器のない状態だったら何もできないなという気持ちがあったので、外に出て色々勉強して、知識や技術を得てから戻った方がいいなと思いました。
今の状態で戻るのはちょっと違うなと。


−島で暮らしていた高校生の頃までと、大人の島留学を経験した今、
島の見え方に変化はありますか?


島の見え方が変わりました。そして、会いたい人が増えました。
西ノ島出身ではあるけれど、実は住んでいた頃、西ノ島からあまり出たことがなくて。
海士町にある隠岐島前高校出身だけど、船で通学して、帰りは船ですぐ帰る。知っているのは海士町の港周辺だけ。高校時代は一回海士中央図書館に行ったことがあるくらいかな?

大人の島留学で行動範囲がグッと広がったので、見え方が変わりました。
西ノ島にも行ったり、隠岐の島町に行ったり…隠岐の観光をしているような気持ちでした。

暮らしているだけではできなかった経験を、大人の島留学で経験できました。
島前高校の頃、あんまり関わりのなかった後輩と仲良くなれたのも嬉しかったです。
高校の後輩と、大人の島留学の仲間とみんなで夜な夜なパーティをしたりするのが楽しかった。みんなで外食したり、鍋パーティーしたり…ほとんど遊んでました。大人の島留学ならではの経験でした。
その時々によって島の見え方が変わるなと思いました。


−大人の島留学をした頃と、島外に出て働いている今で、
人生の見え方は変わりましたか?


島にいる時より、人生の選択肢が増えたと感じています。
今の仕事を辞めたとしても、島にいたら島で完結しちゃう感じがする。
島外に出ていたら、仕事を辞めても身近に仕事があって、ほかの場所にもすぐ行ける。そういう意味で、島外の方が情報が入りやすいのかなと思います。

逆に島にいると、情報が少ないからこそ島の人たちとより密に、仲良くなれるという良さもあると思います。

仲の良さゆえに、結構島のみなさん無償で色々なことをやってくれるんです。
でも自分もいつか島に帰ったら、きっと何かやる必要があるんだなって。
人のために何かをすることよりも、今自分自身もままならないのに、人のために何ができるの?って思って。
今は自分のために、精一杯生きていきたいと考えています。


−現在はどんなお仕事をされていますか?


今は住宅系の仕事で、マンションを建てたり、アパートを建てたりしています。
もともと、田舎で育って、大学では田舎のまちづくりを学んで。
田舎に注力していたのですが、都会の再開発とか、発展、コンパクトシティを何も学んでいなかったので、逆に興味がありました。

都会的なコンパクトシティ化はどういった思想を持って行われているのかな?ということを知りたかったので、この仕事を選びました。


−島での経験は、今のお仕事や暮らしにつながっていますか?


営業なので、島出身というのはかなり覚えていただけます。あとは、どんな人にでも気軽に話しかけることができるのも得意です。
営業スタイルも結構体育会系なのですが…その中でも割とメンタル強く色んな人に話しかけられるようになったのは、島で生まれ育ったならではなのかな、と思います。

暮らしの面では、潜りができることです笑
島に帰ったら潜るのですが、最近は帰れてないので潜れていなく…
今住んでいる岡山には海があまりないので、潜ることがまだできてないです。
あとは、親からサザエが送られてくるのでサザエご飯作ったり、海鮮料理が作れるところも島ならではかな?
なかなかサザエ3キロ実家から送ってもらえることとか少ないかなと思うので笑
実家から島ならではの贈り物が届くと、嬉しいです。


−今後はどのようにしていきたいなど、考えはありますか?


自分が一人前になったなと思えるまでは、今の会社で働きたいと思っています。
ゆくゆくは隠岐ではなくても、どこか田舎で生活したいというのと、自分1人で生きてみたいという気持ちがあります。
いろんな面で自立したいです。自給自足にも興味があったり…

島って決める必要はない。隠岐のことは好きだし、貢献したい。でも、島にいなくてもできることはあるはず。選択肢は広く生きていきたいなと思います。


−これからの島に対してはどのような思いがありますか?


島には戻らないって言っている中で、少しわがままかもしれないのですが、いつでも帰れる場所であってほしいなと思っています。

いろんな人たちが増えて発展していって、島が良くなっていくっていうことは、とても嬉しいこと。
ただ、島出身の人たちの気持ちの中には、なくなってほしくない部分もあると思います。とはいえ、島も残り続けないといけない。
いいところは残しつつ、これからも発展し続けてほしいなと思います。

いつでも帰れる場所、これからもあたたかい島でいてほしいです。

いつでも帰れる場所


(R5年度 大人の島留学生:柿添)


▼LINKS


この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?