乙女ちっく第一主義から考えるかわいい論
かわいいものが好きです。
かわいくてどこかファニーな魅力を持ったものを見つけると、たちまちフラフラと心がロックオンされてしまいます。
私が描いている絵も、「乙女ちっく第一主義」で「乙女ファースト」を心がけています。
とにかく乙女。どっぷり乙女。かわいいは正義。
しかし「かわいい」ってふしぎな言葉です。そこには個々の主観が含まれていて、ある人にとっては「醜い」ものですらある人から見れば「スーパーかわいい」のです。ある意味主観の美意識でしかないのが「かわいい」であると乱暴に言い切ってしまいたくなります。
私はファニーフェイスが好きなので、私が描く乙女たちも一般的な美人とは言えないファニーフェイスの乙女とレディです。どうすれば「かわいい」を記号化できるのか?と試行錯誤の末今のスタイルに落ち着きましたが、5年10年経つうちにまた変化するかもしれません。未来のことは誰にもわかりません。
日本のかわいいの夜明けは竹久夢二先生を初めとする説が優勢ですが、私は錦絵の鈴木春信もめっちゃ「かわいい」に属すると思います。そうして考えると、春信も夢二も中原淳一も内藤ルネも、彼らが描く少女たちには肉体性が希薄なことが顕著に思われます。ロリィタさんもかわいいカルチャーの旗手ではありますが、過剰なフリルをまとう彼女たちも人間離れした「かわいい」を体現しています。
私が思うに、「かわいい」には生々しい人間らしさは不要だと言うことです。禁忌ですらあります。
かわいいは自己中。かわいいは人工美。
切ったら血の出る人間なんて私は描きたくありません。幼い頃夢中になった紙の着せ替え人形(ここら辺昭和を感じます…)みたく、ペラペラで吹けば飛ぶような無意味でみじんの意志も持たない虚無で無力で現実味のない役立たずの存在。そんな「かわいい」という純粋の存在でしかない乙女とレディを描いてゆきたいのです。
追記: 文章を読まれた方はお気付きかもしれませんが、私は嶽本野ばらさんの大ファンです(笑)。
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