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息子へ/「恋」を「因数分解」に例えるシーンがあるかも知れないから、勉強しておけ。

 2015年2月24日 ––––

「勉強は、何かの役に立つからやるんちゃうんよ、
 何の役に立つか分からへんから、やるんよ」


 母から、よく言われた言葉。

 たとえば––––因数分解。
 レコード会社で働く僕は、実用的に使ったことなんてない。

 でも、それを知らないと、
「恋の因数分解」ってタイトルが持つ
 歌の深みが分からない。

 恋を因数分解するとは、どういうことだろう?

 本来の因数分解、ようは、数学であれば––––それを構成する「素数」=「1と自分自身以外の約数を持たない自然数」を明らかにする––––極端な意訳にはなるけど、それ以上、割り切れないところまで分解すること。

 ––––これが分かると、「恋愛」における「割り切れないこと」って、何だろう?––––って疑問にたどり着ける。

 まずは「恋」と「愛」に分けてみるか……まだ、割れそうやな。でも、嫉妬って割り切れない気持ちかも––––とか。エロがそれ以上割り切れない素数みたいな存在か問われると––––???––––でも、むしろ割り切った情事とかあるしなぁ~、と、ここまでくると、それは、もはや文学か。

 こんなふうに「歌のタイトルの深みを理解するために、因数分解を勉強したんだ!」と、何らかしら自分の生活にコネクトできたとき、それを勉強してくれた過去の自分に感謝する––––それを教えてくれた大人にもね。

 実は、これ––––大学や専門学校で講義する際に「勉強することの意味」というテーマを話す際に使うフィクション––––「恋の因数分解」という歌は、僕の音楽人生には存在しなかったけど、この例を挙げて、テーマをより正確に伝えられて良かった––––あゝ、きっと、僕は、このために、因数分解を勉強しておいたんだ––––と思い込むことが大切。

 歴史も、数学も、古典も、すべてが役に立つはずだと断言してしまうのも乱暴だけど、役に立つかも知れないということだけはたしかで、もっとズルく言えば、最終的には、無理矢理にでも、役に立ててしまえばいいとさえ思ってる。さっきの「因数分解」のように––––

「せっかく、勉強したのに、
 結局、あの知識って使ってへんなぁ……
 あんなに苦労したのに、悔しい」

 で、止まらず、

「ようし、ならば、使ってやれ!」

 と、価値があったと思い込みにいくこと––––

 なかば強引にでもメリットに繋げる思考回路は、次の勉強のモチベーションにもつながる。自分のやってきた学びが「的外れ」ばかりでも、未来、やる気も下がってしまうだろうし。

 だから、知識を入れるだけじゃなく、
 なるべく、使うことも意識してみて。
 知識を使うのは、結構、楽しいものだよ、息子よ。

 学校では、どうしても、知識を受け取る授業が多いけど、
 社会に出ると、それを橋渡す機会が増えるんだ。

 話は逸れるけど––––少し、父の仕事の話をさせてね。



 音楽業界の「育成」––––これには、いつも、頭を悩ませる。必ずしも潤沢な予算が用意されているわけじゃないからだ。

 常に、リソース(ヒト・モノ・カネ)には限界があり、そのたび、仕事でも、人生でも、取捨選択が迫られる。

 結果、不得意というのは、
 必ずしも伸ばさないといけないものではなく、
 ときに、切り捨てるべきってことを、学んだ。

 誰もを魅了するダンススキルの持ち主に歌の才能がないとき、(ボイストレーニングをやらせるくらいなら)演技を覚えてもらったり、歌詞を書けるように本を読んでもらったり––––あるいは、ほぼ百点満点のダンススキルをあとコンマ数点でも伸ばすとか––––とにかく、どれだけレッスンしても必要最低限のラインまで達することのない「短所」や「どうしても嫌いなこと」を、真剣にやらせない––––

 何かを捨てることで、得られるものがある。
 それが、合理性ってやつだ––––
 父は、そこに、冷ややかさではなく、
 温かみのある人間らしさを感じる。

 不得意なものであれば「最低限」を––––
 得意なものであれば「上限」を––––
容赦なく、温かく、見極めるためには、
「何かを、誰かを、本気で好きになった経験」
が必要だ。

 冷静は、情熱と共にあって、
 合理的判断の尺度を築くための蓄積は、
 夢中にしか築けないと、心底、思ってる。

- - - - -

【 3段階ある「好き」= 好きの深さと広さは共存するし、汎用性が効く 】

「世界には、自分以外のすべてにとって良いことでも
自分にだけは、良くないことが存在する」

- - - - -

 本気の「好き」で構築された「物差し」は、応用が効く。

 あらゆる物事や岐路にあてて––––

・君のリソース(トキ・カネ・モノ)を割くべきもの
= 伸ばすべき素質や可能性

・切り捨てるもの
= 絶対、やらない努力や無駄

 を、見極めていける。

 ブランディング(信頼)ってのは、「何をするか?」じゃなく、「何をしないか?」で、決まるんだよ、きっと。

The world will not be destroyed by those who do EVIL, out by those who watch them without doing anything. –––– 悪い行いをする者が世界を滅ぼすのではない。それを目にしながらも何もしない者が世界を滅ぼすのだ。

Albert Einstein

 だから、「しない」ことの選定を悪用すると、もしかすると(アインシュタイン曰く)世界滅亡さえ起こせてしまう。裏返せば、それだけ「何をしないか?」は、パワフルってことだ、息子よ。



 ––––勉強の話に戻る。

 言うまでもなく、人生にも限りがあり––––

・どの才能を、伸ばすべきか?
・どの不得意を、克服すべきか?

 を、ちゃんと判断することで、生きて未来に「あれをやっておいて良かった」と思える確度が高まり、必然、死ぬ瞬間に「あれだけは、やるべきじゃなかった」なんていう悔しい未練をなくすことができる。

 後悔を、先に立たせてやれ。

 無駄を削ぐ判断に必要な「物差し」を得るためには、
「好きなことに、夢中になれ! 熱くあれ!」
 と、声を大にして言いたい。

 真剣に好きなことは、ほとんどの凡人にとって、結果に直結するものではなく、途中経過(プロセス)にこそ必要なもの。

 全員が全員、夢を叶えられるわけじゃない。
 それでも、一度は、夢中になるべきだ。

 その上で「勉強を楽しむ」というのは、乱暴だと思うんだよ。

 勉強には2種類あるという事実を、
 残念ながら、されど、希望として、伝えておきたい。

 1つは、忍耐や努力を要する辛い勉強––––いわゆる勉強。
 もう1つは、勉強っていうことにすればいい楽しい勉強。

 テストに向けて、問題集を解くのも勉強だけど、
 漫画を読むのだって、勉強なんだ、間違いなく。

 前者を勉強、後者を遊びと呼び分けるから、
 前者は、より辛いものになるし、
 後者は、罪悪感の源みたいになってしまう。

 人類というのは、とことん、分断を好む。
 それは、本当に悪しき因習だと思う。

 一般的には、後者は楽しめるけど、前者は楽しめない。でも、漫画を読んだって知識はつくし、文章力や想像力も伸びる。

「教科書を読むのは勉強で、ライトノベルを読むは趣味か?」は、「小説は高潔で、漫画は低俗か?」と、同じくらい愚問だ。

 手段(教科書読むか、漫画読むか)で、
 勉強か、勉強でないか、を分断すべきじゃない。

 合理的判断が必要になるのは、勉強によって得たい目標や結果を設定するときで、勉強という手段においては(結果の質さえ変わらなければ)プロセスや環境にこだわり過ぎるのは良くない。

 勉強とはね、息子よ、
 きっと、君の心の持ち用だ。

 何をしているときも、好きなことがあれば(自然と、叶えたい夢や目標につながる)道のり(プロセス = 勉強)だと思えるはず。

 道には、上り坂も下り坂も、ぶっきらぼうなアスファルト舗装も花咲く畦道も、車ビュンビュンな大通りも、商店街の屋根付きも、誰も通らない侘しい裏道もある。ローマじゃないけど、すべての道が目指す場所に繋がっている。

 ただし、常に近道を選べばいいってわけでもない。

 遠回りしないと花の香りを楽しめないときもあるし、あえて、悪路や坂道を選ばなきゃいけないときもあるんだよ、息子よ。



 僕の敬愛する天才漫画家は、ご自身のお子さんに対し、こんな教育方針を取られていた。

「最低、身に着けてほしいのは硬直しない柔軟な考え方です。

 一面にしか物事を見られない。そんな人間だけにはなってほしくない。そのための一つの方法として、乱読させています。いわゆる良書に限りません。

 世の中には、様々な世界があり、色々な人たちがいて、それぞれ違った考え方、生き方をしているのだということ。それを分かってほしいと思うのです」

藤子・F・不二雄

【 悪 け れ ば 悪 い ほ ど 良 く な る と き が あ る 】



 なんでも勉強と思ってやれば、遊びも、座学も、両方とも勉強。

 楽しいのも辛いのもあって、どっちも経験すべきだと思う。そして、それは、今すぐに発生するメリットを求めるものではなく、未来において効力を判断すべきもの––––「あの勉強はやらなきゃ良かった」と思っていい瞬間は、死ぬときだけなんだよ、たぶん……。

 そういうのをぜーんぶひっくるめて、父は、やっぱり「勉強はしておいた方がいい」と、君に、断言しておこうと思う。

「勉強は、何かの役に立つからやるんちゃうんよ、
 何の役に立つか分からへんから、やるんよ」


 そう、言い続けてくれた母(君にとっての「ばあば」ね)には、本当に感謝している。そんな母が、2月20日に誕生日を迎え、君に、根気強く、公文をやらせている。

 父は、それを見て、思ったんだ。

 息子よ、勉強はしておきなさい。

 少なくとも、その半分を楽しむために、まずは、真剣に好きなことを1つはつくっておきなさい。

 すると、周りに熱と仲間ができる。好きなことがあって、好きな人がいて、あったかいなんて、奇跡みたいなことなんだ。

 人生において、それほどの救いはない。

Gravitation can not be held responsible for people falling in love. –––– 人が恋に落ちるのは、万有引力のせいではない。

Albert Einstein
モップ付きのスリッパで拭き歩く母を走って追いかける息子
滑って転ばず、器用に付いていく
拭いた先から足跡を付けていく孫に、母は呆れつつ、めげずに拭き歩く

【 キ レ イ 好 き の 母 の 話 】


【 マ ガ ジ ン 】



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