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「さかなクン」と「なかやまきんに君」に共通するものって? - 3段階ある『好き』の話。

 さかなクンとなかやまきんに君に共通するものは、何か?

「くん」以外で……

 それは、ヒロシさんや又吉直樹さんにも通ずるものな気がする。



順番の話。


 「好き」になるって、実は、難しいんだと思う。

 だから、きっと、人生で(たった1つでも)本気で「好き」なことを見つけられた人は、幸運だ––––それだけで人生が豊かになる。

「好き」というのは––––

 色々と分かってきて「好き」になるんじゃなく
「好き」になったから、色々まで知りたくなる

 ––––という順序が、好ましい。

「好き」になるにも、
 一定の「努力」と「忍耐」が必要なのだ。

「石の上にも3年」を本気でやろうとすると、何も無い石の上に、3年間も、座り続けるための「歓び」を見付ける以外、実現できる道はない。

「今日の空は綺麗だなぁ」

 とか、

「あと何日で終わるんだっけ」

 と、カウントダウンにしてみたり、些細なハプニングやサプライズを楽しんだり……

 自分の中で、意図的に「不意に起こさせる」ような意識改革さえ生まないといけない。

「継続は力なり」なんてのは、ずいぶんと言葉足らずな気がしていて、正しくは「本気で続けることにだけ意味がある」––––

 本気になるには「意志の上で数年」––––
 ようは「好き」になるしかない。

 成功した人の多くが「天才」や「才能」という言葉を嫌う理由はそこにあるんじゃないか。

 その点、「好きこそ物の上手なれ」は、まさにその通りだ。

「努力」を「普通」と言い退け、「辛い」に一本筋を通し「幸せ」とする原動力こそ、「好き」という強い気持ちだ。

 そして、「好きになるための努力」から「好きだからやりたい/やろう/やらならないと! と、自発的(自然に)に思うコト」に移ろうプロセスにこそ大きな意味があると思う。

 だって、本物の経験値というのは、吸収型の学びではなく実践的な気付きの中で、ときに歓喜し、ときに号泣して、本気で悔しがったり、ぶっちゃけ妬んだり、正の感情を共有し、負の感情を押し込めてこそ、生まれる。

 月並みだが「失敗は成功の素」––––

 挫折の先には強さが光っている。

 その唇は、笑うためにもあるし、噛むためにもある。その歯は、前を見せるためにもあるし、奥を食い縛るためにもある。口は、歓びの言葉を音にして発するためにもあるけど、無音の悲しみをグッと飲み込むためにもある。

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「生きてるだけでエラい!」

 という言葉を聞く。

 とても、素敵な哲学だと思う。

 それがホップだとすれば、
 その次のステップに、

「好きなことがあると、もっと、エラい!」

 を、据えてみてはどうだろう?

 好きなことをつくるのは、簡単じゃない。何かを、誰かを、好きになれた人はエラい!

 そんな「好き」の初段を乗り越えた人たちには朗報が届く––––

「好き」という能力には汎用性がある。

 マニアックにギークに熱し狂するコトで生まれる「好き」の深度(深さ)が増せば、自ずと拡張性(広がり)が生まれるのだ––––

 それが、好きの第2段階だ。

 好きなコトを本気でやろうとすると、それだけを好きではいられなくなる。

 好きという感情や感動は、それだけを好きでいる状態を、決して、許してくれない。

 たとえば、芸人のヒロシさん––––

 キャンプがとんでもなく好き。それがきっかけで、料理も好きになってるし、山も買っている。ヒロシさんは、火を焚くときに地面に気を遣うらしい(火を焚く前の状態に戻せるように注意を払う)。もはや、山というか地球(自然)全体を好きになっているように思えた。今となっては、キャンプ芸人というムーヴメントまである。

 さかなクンは、東京水産大学に合格はできなかったが、魚好きが高じて、ペットショップや寿司屋で働きながら、魚のイラストを描いていた––––

 そして、タレントとして活躍するようになり、東京海洋大学の准教授に就任し、名誉博士の称号が授与された。東京海洋大学は、東京水産大学と東京商船大学が統合された学校だ。こうして、かつての目標を叶え、海洋立国推進功労者として内閣総理大臣賞を受賞し、自伝は、映画「さかなのこ」の原作にもなった。「とんでもなく好きから生まれるとてつもない価値」の、ロールモデルみたいな人だな、と、いつも思う。

 マルチスキルというのは、たった1つの「好き」って気持ちから生まれるんじゃないか。

 あと、何をするにも「センス」は必要だけど、それも、やはり、好きの汎用性が効いている状態を指すのではないか。

 クリエイターが「センス」とか言うと、なんとも、いけ好かない語感になるのは重々承知の上––––でも、どうか、我慢して最後まで聞いて欲しい。

 たぶん、思っている内容と真逆なはず……

 まず、センスというものは、
 先天的なものではない。
(つまり、鍛えられる)

 センス=後天性、これは断言しておきたい––––クリエイティヴ能力は、誰にでも宿る––––本当だ。

 音楽業界で働くボクに起こった現実で言えば––––

 デビュー前のアーティストや入社当時のスタッフで、ファッションに興味がなく野暮ったかった人たちでも、音楽業界の制作現場で働いていれば、自分なりにオシャレになっていく––––

 一流のスタイリングを、間近で見れるのが大きいんだろう––––

 つまり、センスは、大量にインプットすれば、必ず、磨かれる。

 ただし、「好き」という情熱を伴っていればの話。

 ボクのざっとした経歴だって、ただ、音楽が好きでいたら、「映像作家」→「アート・ディレクター」→「クリエイティヴ・ディレクター」→「メディア・アーティスト」→「舞台演出家」の順に、自然と(社会から)与えられる役割(呼び名)が増えていっただけのこと。

 ボク自身は、必要に迫られなければ、「レコードメーカーのディレクター(A&R)です」と名乗っていたかったが、現実はそうもいかない。

「好き」に一生懸命になればなるほど、楽しくて、辛い……この本の最後で正直に明かすけど、だから、ボクは、この本を書いた。

 クリエイションには「明確な正解(先人たちが築き上げたメソッド)」があるコトも大きい。センスを磨きたければ、最初は、過去のクリエイションをお手本にすればいい。

 「守破離」の「守」ってやつだ。多くの偉人が「真似」したり「盗用」することの大切さを説いている。

 そして、アーティストでなく(ビジネス寄りの)クリエイターを目指すなら、ぶっちゃけ「離」という最終段階まで達する必要はない。

「破」までで、十分。

 それは、かなり楽しい勉強だ。

 だって、好きの周辺にあるコトだから––––音楽業界を目指す人であれば、音楽を聴くだけじゃなく、映画やアニメを観たり、ライヴに行き、ファッション雑誌を研究してウィンドウショッピングするのもいい。とにかく、大量のインプット、これに、尽きる。

 センスは、神様から与えられる(自然と鍛えられる)漠然とした天賦なんかじゃなく、環境と後天的な勉強で成長する技能だ。

 ただし、あなたがアーティストになりたいなら、その限りではない。だから、アーティストはすごい。人生、全振りで「好き」に賭けている人を言う。

 対して、ビジネスに片足突っ込んだ職人やクリエイターになりたいなら、きちんと勉強して修行を乗り越えれば、誰でもいっぱしにはなれる。一流になれるかは別だけど、一人前にはなれる。

 逆に言えば、先天的な感覚でなれる道理はない。

 センスは、鍛えることのできる後天的な技能––––これも、声を大にして言っておきたい。

 だから、ボクのいる業界では、音楽さえ好きでいれば、「新人発掘」に必要な「目利き」というセンスは誰にでも宿る––––それ以上に大切な能力はない。

 新人を見出すコトは、音楽業界人にとって、常に最大の目標なのだ。

 そして、自分自身は音楽をつくれなくても、音楽が好きであれば、誰にでも音楽にまつわるあらゆる体験のプロデュースはできる。つまり、ディレクター(A&R)になれる。それは、音楽そのものではなく、音楽の周辺にある体験価値をつくる仕事だからだ。

 その先、大ヒットやムーヴメントを生む可能性は、熱心なリスナーの全員にある(少し専門的なことを言うと、それには、熱心な音楽 “ユーザー” ではなく、熱心な音楽 “リスナー” である必要がある。音楽を使って楽しむTikTokerよりも、ただ、真剣に好きなアーティストの曲を聴くコト = 守破離の「守」段階への夢中や没頭が必要だ)。

 何か1つ好きなコトがあれば、その周りの色んなコトをどんどんと連鎖的に好きになってしまう。この「惚れやすい体質になるコト」こそが、好きの第2段階だ。

 好きにおいては、深さと広さは両立できる。専門性か? マルチスキルか? というのは、愚問だ。専門性がなければマルチスキルは生まれないし、専門性とはマルチスキルの中でこそ際立つものなのだ、きっと。

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 さて、いよいよ、最終段階の話––––

 大好きなコトを中心に好きなコトが増えていくと、どんな状態に陥るか?––––

 時間が足りなくなる……

 うーん、切ない、でも、だからこそ––––どうしても、何かを切り捨てる必要が出てくる。ともすれば、何かを犠牲にする必要が出てくる。

 しかし、それを恐れる必要はない。

 さかなクンやなかやまきんに君が、
 ノーリスクで、ああ、なれただろうか?
 彼らは、好きなことのために、
 たしかに、何かを、切り捨てている––––

 それを「覚悟」と呼ぶ。

 覚悟という「取捨選択の勇気」があれば、自ずと直感的に、どうしても好きになれない事象が分かるようになる––––容赦なく、自信を持って、自ら進んで、切り捨てることができるようになる––––この「他人はどうか知らないけど、自分だけはやるべきではないことを、迅速に拒絶する機能」を内包して、「好き」は免許皆伝となる––––『自分の自分による自分のためだけの選択と集中システム』の完成だ。

 タタタ、タッタッタッ、タッタッターン♪

 それは、一生、絶対に、自分がすべきではないコトを、他人の目や長いものに巻かれるコトなく、自分らしく判断できる「物差し(スケール)」だ。

 それの別名が「個性」だ。

この世界には、
あなた以外のすべての人にとっては良いコトでも、あなたにとってだけ、良くないコトが存在する。


 多くの人にとっては良いコトでも、自分だけにとっては良くないコトを、いかに避けて通るかは、当然、社会における自身のキャラクターやアイデンティティに繋がる場面が多い。

 流行りに敏感なコトも大切だけど、流行りに鈍感な(流されない)コトも大切。敏感は不要な恐れまで呼ぶが、鈍感はときに適切な意志を生む。

 現在すでに流行っている物事というのは、裏を返せば「レッド・オーシャン」である証だ。これから大きなムーヴメントを起こすのは「今は流行っていないコト」––––もっと言えば「ダサいと思われてるコト」や「イタいコト」にこそ将来性は宿っている。

ブランディングというのは、
やるコトを決めるコトじゃなく、
やるべきではないコトを削ぎ落とすコト。


 多くの結果は運だと思うし、個人が仕掛けられるコトなんて、高が知れている。幅だって狭い。でも、その運を呼び込む精度は、凡人にも上げるコトができる。まだ、ほとんど呼び込めてもない僕が言っても説得力はないだろうけど––––

「好きなコトを、精一杯、好きになるって
(本気で楽しくて、本気で辛くて痛い)コト」


 ってのは、その1つに違いない。
 これだけは、どうか、信じてほしい。

 だから、音楽の裏方でスターになる資格は「音楽が好き」だけで十分だ。なれるかどうかは運だとしても、その資格は、天才アーティストだけでなく凡人のファンにもある。


3段階のまとめ


 「どうせ、できない」や「できるわけがない」と、やる前から諦めるのではなく、「できるかも」からスタートすべき場合がある。

「やってみたけど、合わない(=好きじゃない)」の数撃ちゃ当るスピリッツで、まずは挑戦してみて、どんどんと切り捨てていく。自分自身が動かなければ、自分自身には何も起こらないコトだけは、絶対的な真実だ。


何か1つでも好きなコトを見つけることは、実は、とても、難しいコト。それを見付けたあなたはエラい(すごい)!


好きなコトが1つでもできれば、汎用性が効きはじめる。その好きは、それだけが好きな状態を許してはくれない。たとえば、音楽を好きになると、その周辺のコト––––聴くのが好きから、歌うのが/演奏するのが/作曲するのが好きになったり、漫画/アニメ/映画を好きになったり、ライヴに行くためのバイト先で新たな友情(好きな人)を育んだり––––(芋づる式に、草木の根のように)インプットとアウトプットが増えていく。「深さ」と「広さ」は(相反する状態ではなく)共存できる!


1つの「深い」好きが、「広く」多岐にわたる好きを生むコトで、時間が足りなくなる––––結果、切り捨てないといけないコトが出てくる。みんながカフェに夢中になっているときに、独り、部屋で音楽を聴いたり、流行りの服を買うためのショッピングするよりもバイトをしたり……いつも、みんなと一緒でないと不安な気持ちよりも、自分の好きを優先する時間も大切に感じはじめる。孤独を(一定)愛しはじめる……恐れることはない––––それは、きっと、悪くない未来に繋がっている。

【 音楽から広がった旅とテクノロジーの話 】


【 マ ガ ジ ン 】

(人間に限って)世界の半分以上は「想像による創造」で出来ている。

鳥は自由に国境を飛び越えていく
人がそう呼ばれる「幻」の「壁」を越えられないのは
物質的な高さではなく、精神的に没入する深さのせい

某レコード会社で音楽ディレクターとして働きながら、クリエティヴ・ディレクターとして、アート/広告/建築/人工知能/地域創生/ファッション/メタバースなど多種多様な業界と(運良く)仕事させてもらえたボクが、古くは『神話時代』から『ルネサンス』を経て『どこでもドアが普及した遠い未来』まで、史実とSF、考察と予測、観測と希望を交え、プロトタイピングしていく。

音楽業界を目指す人はもちろん、「DX」と「xR」の(良くも悪くもな)歴史(レファレンス)と未来(将来性)を知りたいあらゆる人向け。

 本当のタイトルは––––

「本当の商品には付録を読み終わるまではできれば触れないで欲しくって、
 付録の最後のページを先に読んで音楽を聴くのもできればやめて欲しい。
 また、この商品に収録されている音楽は誰のどの曲なのか非公開だから、
 音楽に関することをインターネット上で世界中に晒すなんてことは……」


【 自 己 紹 介 と 目 次 】

【 プ ロ ロ ー グ 】



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