見出し画像

16歳、激アツな日々に学んだこと


自分を中心に世界がまわりだす事象のことを、
なんというのだろうか。


「なりたい自分になる」「ありたい自分でいる」

それがいかに自分にとっても、
そして周囲にとっても、
メリットが多くて、

自分と、自分に関わる人に
どれだけのプラスの力が働くのか、

それは実際に体験してみないとわからないことかな、
と思う。

私が生きてきたなかで最もアツかったのは

間違いなく高校2年16歳の1年、かな。

「なりたい自分になれた、そしたら
自分を中心に世界がまわりだした気がした。」

それを体験できた日々について今日は振り返りたい。
 

まず、私は、自分の気持ちを言葉や雰囲気で表現するのが下手だった。
先日、小学生、中学生時代の写真を見てそう思った。


自分の気持ちより、周りの空気をどうしても読んでいたし、ありのままを見せるのはダサい気がして恥ずかしかったし、どこか冷静に自分のことを見ている自分が常にいて、その自分に負けていた。

本当に表現したい思いや感情、
本当になりたい私、在りたい私が、

いつも、冷静に客観視する自分に負けていた。

単に自分の考えすぎ、過剰に周囲を意識しすぎていて、勘違いしてその場の雰囲気や周りからの視線を感じていただけだろうけど。


中でも無邪気に笑っている写真は、
客観視する自分がいることを、意識する前の自分が
映っているもの。
自我が無い頃といってもいいだろうか。

あとは、自分が飼うと決めて、本当に飼えた、
0歳の愛犬を抱いて、嬉しい気持ちの自分。

それ以外、例えば、ピアノの発表会の写真とか、ぶっきらぼうに近い笑み。

素敵に写ろうという気持ちがゼロな写真が、毎年出来上がっていた。

特に小学上級生の私はひどいかな。

ダンスの発表会の写真では、
周りの子たちのように心から無邪気ではいられず、
みんなとお揃いのイケてる服を着て、
とりあえず無邪気なフリをする自分。


中学にあがっても。

割と、なんていうか遠慮がちに笑っていたり、目立たないような笑みが多かった。

いつもいつも、
自分のことを冷静に客観視する自分が
そばにいたのである。


でも劇的に、ある時から、

写真に写る私の表情が豊かになる。



それは高2でアルバイトを始めてから。



私は中学卒業後、第一志望だった高専に入学した。

通っていた富山高専は、確かに自由な雰囲気だった。
県内で一番自由な雰囲気だろうな、と当時も思っていたし、当時の部活の集合写真を見ても、自由が見事に表現されているなと思える。

とはいえ1年生の時は、自分を客観視している自分が、まだ確かにそこに、存在していた。
やっぱりいつも遠慮がちで。
周りの出方を見て、動くタイプだった。

小学校の頃からだけど、
間違っても写真の真ん中には写らないような、
端っこ、つまり人気者の邪魔にならないように
そっと身を寄せ、
人気者を目立たせるようなポジションだったかな。


ちなみに高専は「各中学校の人気者が集まった学校」
みたいな雰囲気が、ただよっていて。

生徒会長やってた人、たくさんいたなあ。

そして、15歳で我が道を行くタイプ、というのか、芯が強いタイプ、なおかつ明るくて可愛い子ばかりで、凄いなあと思っていた。

そんな子たちの周りにいると、私も少し、表現することが怖くなくなったような気がしていた。

みんなみたいに明るく振る舞おうとしたし、
クラス行事はみんなで一致団結して、
みんなと楽しもうとしていたからだ。


そんな学校で過ごす2年目。

私の振る舞いに、花が咲いた。

表情がだいぶ、豊かになった。

写真写りも格段に良くなった。



周りの明るいクラスメイトたちのおかげ、

というわけではなかった。たぶん。

周囲の影響を受けるだけで、元は内向的でマイペースタイプのhsp気質人間が、根本から変わることは、なかったのである。

明るいっぽい、「フリ」は、たしかに出来ていたかもしれないけれども。



花が咲いた、というか、

実際のところ、自分の意志で、

花を咲かせる必要があった。



というのも、アルバイトと勉強と部活の両立がしんどくて、客観視する自分を常に自分の世界に存在させる余裕が、自分には無くなったのだった。


高2の4月から本格的に始めたアルバイトが
当時の自分にとってすごく大変だった。


今同じことをやっても、大変だと思う。

けどあの頃は、下っ端の下っ端として、他の従業員が全員歳上のなかで働いていたし、
メニューのルッコラとかボンゴレとか始めて聞く単語が多く、提供する料理のイメージができなかったし、お酒について、内容はもちろんのことワインやビールの栓の開け方や注ぎ方も全くわからなかった。

日々新しいことの連続だったし、それに挑戦するたびに心臓がドキンとした。

サービス業・接客業で働く練習として、地元のカフェレストランでアルバイトを始めたのだけれど、勤務中はずっと緊張していたし、先輩たちにもお客様にも気を遣っていたし、心臓がドキドキしていた。

「こんなにもサービス業で働くのは大変なんだな。」

と、日々痛感していた。

でも、将来ディズニーホテルで働きたいんだったら、地元のカフェレストランでの業務は当たり前に出来ないとダメじゃん。

「頑張らなきゃ!!!」
って思って、
出勤前更衣室で制服に着替える、
というか、家を出る前から、
いつも自分を奮い立たせていた。


毎週、土日両方とも、
10時〜20時、または12時〜21時の
中抜け休憩ありの8時間フルタイムシフトで入った。

城館のような作りの店内は、私が出勤する土日こそ、お客様で溢れていたのだった。

常にウェイティングがかかる、鬼忙しいランチタイム、
アイドルタイムと呼ばれる、ランチタイムの忙しさを引きずりながらも突入しなくてはならない15時のおやつタイム、
本当のアイドルタイムと呼べるような夕方のひっそりとした時間と
ピアノの生演奏が人気の、そこそこに忙しい、ディナータイム。

毎週末、上記全ての時間において、接客をし、業務を行なった。

さらに平日1日、授業が14:30で終わる木曜日は、放課後、アルバイトに時間を費やした。


大変だった。


あちらの釜でピザが焼けたときに、こちらの厨房ではパスタが出来て、レジ横カウンターではケーキのお持ち帰り依頼があり、すぐそばでは淹れたてのコーヒーが出来、そしてフルーツたっぷりのパフェがもうすぐで出来上がりそうで、遠くの方ではお客様が店員を呼んでいる。


アルバイト初日に先輩社員のお姉さんに教わった、「優先順位」を常に守りながら、自分の守備範囲で(変わった造りだったため店内はけっこう、広い)自分に求められる動きをしなくては、と一瞬一瞬、頑張っていた。


常に変化が絶えず、同じ時間帯だったとしても、昨日や先週と、「同じ」っていう感覚は得られなかった。お客様も、その時の注文も、その日のシフトメンバーも、天気も、季節も、1日も同じ時なんて、なかった。

その変化に、身体ごと入り込んで、

その変化に自身を、合わせにいっていた。

それが、本当は、すごく、しんどかった。


アップアップな現実に、いつも翻弄されていた。

でも、夢に近づくためには。
自分に足りないものを、
ちゃんと身につけないといけなかった。


若すぎる故のしんどさもあった。
時間がない中でどう時間を抽出して勉強するかってのも課題だった。
アルバイトとしての組織との向き合い方みたいなのも分からなかった。

けれども、毎日、頑張ってた。

勉強も、バイトも。英会話も。



アルバイトをはじめて2か月が過ぎた。

木、土、日の週3で働き、勉強に捧げられる時間が格段に減って、成績が落ちていることに気づいていた。
事実、2年生になってからは、勉強内容も格段に難しくなっていた。

知っていた。自分の気持ち。



本当はバイトを辞めたい。

本当はもっと、勉強がしたい。


ディズニーホテルで働くために必要な、
英語や中国語に、自分の時間を納得するレベルで使いたい。
また、高専を進級、卒業するために必要な科目の勉強も必要だ。

自分の気持ちに素直になったとき、

将来の自分、なりたい自分に近づくための上記の勉強ができる、

当時通っていた高専と学科のことが、

凄く、好きになった。



それまでは学生だから、
高専に通っている感覚もあったけど、

アルバイトを始めてから、
働くことのしんどさを知ってからは、

高専の自身の学科、クラスのことを、

もっと、もっと、能動的に、好きになっていた。


でもしんどかったアルバイトを辞めるという選択を、自分はとれなかった。

一応そのレストランでは、超頼りにされていた先輩に紹介いただいて、働き始めたからだ。
その先輩のメンツを崩すわけにもいかないと思っていた。

そしてその夏には、一か月の海外実習へ行くことにもなっていたから。

アルバイトで少しでも、お金を貯めたかった。



でもそれでね。
学校に行くのがそれまでの何倍も楽しくなって、

授業を受けられること、

友達にも会えること、

そんな当たり前と言えば当たり前のことに

喜びを感じられるようになった。


ポジティブな気持ちが笑顔とか雰囲気に、出せるようになった。

(ああ、接客業をはじめてから特に笑顔は意識するようになったのだけれども。)


本当に嬉しかったんだ。


自分の将来に向けて必要なことを勉強できることが。




本当に、本当に、嬉しかったんだ。


クラスメイトや先輩に今日も会えるということが。




そのあたりで、(しんどかったアルバイトのおかげで)
私は喜びの気持ちを、自身の心の内側のあふれる想いを
素直に表現することが怖くなくなっていた。


また、学校で出会った人にニコッて笑いかけて、恐れずに挨拶や声かけもできるようになっていた。


日々、勉強とバイトと部活の両立のために精一杯努力する必要があったから。

自身の脳内の余白に、冷静に客観視するもう1人の私が、入り込む隙がなかったから。


私は、自分を、表現できるように、なっていた。(英会話スクールに1年通った頃で、身振り手振りでも気持ちを伝えるジェスチャーの大切さを学んだ頃でもある。)


そうしたら、周りに、笑顔を褒められ、オッシースマイルって名称が出来、(私のあだ名はオッシーだった)
写真を撮るときは、オッシーポーズ(顔のまわりで両手を広げてとびっきりの笑顔するポーズ)することがクラス内外に拡まった。

目の前のことに精一杯前向きに取り組んでいたら、そして素直に喜びを表現していたら。
周囲がいつの間にか感化されていたようで。

自分を中心とした輪が、周囲に拡がっていた。

いつからか、そこには、「なりたかった自分」がいたのだった。

自分が意識せずとも、周囲を上手く巻き込んで、良い空気感を波及させられたのだ。

周囲をとにかくうかがいながら、遠慮がちに振る舞う、人気者にビビる私はもうそこにはいなかったのだ。

ついでに、笑顔が素敵な子という代名詞をいただいたり、下級生からも上級生からも同級生からもびっくりするくらいモテた。

ある日の下級生の教室では「もかさんの笑顔が素敵で、憧れだ」といった内容の会話で盛り上がっていたらしい。

一度、下級生がいる教室の前を通りかかった時、入口の扉の窓から自分のことを見て、それからすぐに、私が歩いていく先にあるもう一つの扉の窓から、自分の姿を何人かの男子生徒が見てくるというようなことがあった。

わあ、漫画みたいって思った。素直に。

そして「もかさんみたいになりたくて、笑顔意識するようにしてるんです。」って伝えてくれた女の子もいる。


きっとあれが、黄金時代、というのだと思う。

 
まあでもだからこそ、本当に気になっていた隣のクラスのあの少年と両想いになることは、なかったのですが。

私が色んな人に愛想が良すぎて人気が出てしまったから、彼が自信を無くしたらしい。


あとは、バイトがしんどくて、夜寝る前に泣いてしまった次の日。
そういう目が、デメキンみたいにボンボンな時に限って、歳上の上級生グループ(男子)に出会ってしまい、
「思ったより可愛くねーな」みたいな小言が耳に入ったこともあるよ。笑


そんなことは置いといて。

その姿ってやっぱり、小学生、中学生、そして高専1年生の私が
なりたくたって当分なれそうになかった姿で。


高専2年、16歳の私は、なりたかった姿を体現して、尚且つ周りもいつのまにか巻き込んでいたなと、今振り返って思う。

 アップとダウンは超激しかったけど、そういう大切なことを体感できた。有難いことに。
とても、エキサイティングな一年だった。

16歳。心がビンビンに敏感だし、今の何倍も些細なことで心が動いていたはず。
そして、その多感な時期に経験した、
「自分を中心として、周りにプラスの輪を拡げること」の凄さを、10年経った26歳の今の私も忘れていない。


自分の軸足をちゃんと
自分で支えているような感覚があって。

自分が物事や人生の主体であることを体感できたから。


自分を中心に世界がまわりだしたその事象を、なんというのだろう。

そして言うならば、今まで生きてきた中で、濃かった日々を過ごせたランキングナンバーワンの歳。
初めての海外も経験した年だからってのもあるんだけど、、、。

しんどかったバイトから離れた1ヶ月in海外ってのが非日常すぎて、
解放感もエグすぎて、パラダイスだったので、
その1ヶ月間の自身の映る写真は基本的に満面の笑みばかりである。

ホストファミリーにお別れ言うときと、帰国するときだけは、大泣きしたけど。

オーストラリア大好き楽しすぎた幸せすぎた、本当にありがとうって伝えたよ。

ホストファミリー、私のこと大事にしてくれて、帰国後もメッセージのやりとりしたよ。

6年ぶりに会いに行ったときにも以前と変わらないあたたかさで出迎えてくれたよ。お別れする時は変わらず泣いたよ。

先月の誕生日にはお祝いのメッセージが届いたよ。
 


今も、16歳のあの頃みたいに、生きていきたい。


出来ることならそうやって、自分らしく

目の前のこと、人に集中して、

自我を忘れて夢中になって、


いつの間にか

周囲にまで幸せの芽やポジティブなエネルギー、

プラスの影響の輪を波及させて、


自分も周りも幸せであれたら良いなと思ってる。


仕事を通して、そういうスタイルを確立するのが理想。


生き方レベルでも、そういうスタイルで生きていくのが、理想。


そうやって生きることで、自分と関わる人がハッピーを感じてくれるんだって、
もう既に、自身のこころと身体で、体感したことがあるから。その頃の感覚を死守したいんだ。



みんな、学生の時は楽しかった〜って言うよね。
自分もそれは同感する。

ただ、たぶん周囲の友達のいう、楽しかったっていうのと、私が思う、楽しかったっていうのは
その内容が違う気がするのも、ここ1年くらいで気づいたよ。

学生だから、とか、
仕事しなくていいから、とか
学校に面白い子たくさんいるから、とか

そういうのよりも、なによりも、

自分を中心に世界がまわりはじめる事象を経験したこと

が、間違いなく私の学生時代(特に16歳)を濃くしてくれて、日々を楽しくさせたからだ。

ちなみに17歳以降はその恩恵を受けて
基本的に学校毎日楽しかったです。

カナダ半年留学でズタズタに自信喪失するまでは。笑


他の誰に何をいわれようと、

そういう、オッシースタイル(自分を中心に世界がまわりだすっていう事象に勝手に名付けてみた)を

貫きたいって、心のなかでこっそり、思ってるよ。
 
 
 オッシースタイルを貫くためには

会社員として将来の不安をうめるためにモチベーションない中、興味を持てない業務を機械的にこなして、お金を稼ぐっていうのは、今のところ、違うかなあ。


今は英語教室やエステを選んで、

お仕事させていただいてますが、

自我を忘れて目の前の物事に
夢中になれることや頑張れるようなことを

他にも探したり、見つけたりしている途中です。


あなたは、自我を忘れて目の前の物事に
夢中になれることや頑張れるようなことが
ありますか。

あったら、きっと、周りの人をいつのまにか
巻き込んでるんだと思います。良い意味で。
ご自身も周りも幸せだと思います。だから、続けてくださいね。

なかったら、なかったで、
それを探したり見つけたりする道中で、
小さなことに幸せを感じながら日々、
生きられたら、いいですよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?