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桜井鈴茂さんの『アレルヤ』を読んで、もて余した感傷のやり場に困って、さっきからずっとtetoraというバンドの「知らん顔」という曲を再生しまくっている。


あ、いや、その、だから、あれだ。

バー・アラバマ、というところで、あれ?って思ったわけで。

でも、そのときに気づけば良かった。

これって、あれじゃん、『できそこないの世界でおれたちは』の吉永シロウ物語じゃんって。

そしたら、ちゃんと、最初からビール片手に読み始めてたんだけどなって話。



20年前に行ったロックフェスで、それほど観たいと思わなかった布袋寅泰のステージを観ながら、思わず手を繋いでしまった女性のことを忘れられない僕はおかしいのだろうか。

岐阜だか愛知だかの地元に彼氏がいるのに、なんであのとき、僕が差し出した手を彼女は握り返してきたのか、そんなことを思い返してしまう今日の僕はどうかしているのだろうか。

まるで、これじゃ、吉永シロウみたいじゃないかと、もて余した感傷のやり場に困って、さっきからずっとtetoraというバンドの「知らん顔」という曲を、YouTubeで再生しまくっている。



吉永シロウは、まるでいつかの僕みたいで、

ドラムは、まるでいつかの僕のマブダチみたいで、

久美ちゃんとヒロ子さんは、いつかの僕がちょっとだけ好意を寄せていた「あの子」みたいで。

だから、この物語を、皆さんが気に入るかどうか、僕には分かんない。

分かんないけど、世界中の人たちが、この物語を「これは、私の物語だ」って思うのなら、そんな素晴らしい世界はないんじゃないかなって、そんなおセンチな気分にさせてくれる物語だ。



これは全然、枝葉の話だけど、主人公のシロウが毎回移動中に聴いているのが、CDウォークマンというのが、さらに僕を感傷的にさせるわけだけど、それについては、またの機会に。

あれ、走るとさ、音が飛ぶんだよな。

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