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遠田潤子さんの『廃墟の白墨』を読んで、様々な伏線を回収した末に訪れる哀しくやるせないラストシーンで、この物語の本当の主人公を知り、その救われなさに身悶えした。


淫乱で尻軽でだらしない最低の女とその娘、そして、そんな母娘を汚しながらも愛し守ろうとした四人の男たちが共に暮らした「王国」で起こった悲劇を描いた物語だ。

救われない話を書かせたら日本一の作家、遠田潤子の小説だから、何が起こっても驚きはしないが、何もかもが普通じゃない、異世界のようなビルを舞台に展開する、悪夢としか言い様のない物語の持つ醜悪でありながら耽美な世界観には、終始、圧倒された。

遠田作品では、必ずと言っていいほど、無垢な存在であるはずの子供の魂が、理不尽な仕打ちで汚され、壊され、そこから生まれる悲劇が物語の中心となっていく。

本書も例外ではなく、ひとりの少女が背負った「罪」が、いくつもの悲劇を生んでいく。

しかし、作者が描こうとするのは、ドミノ倒しのように繰り返される悲劇だけではない。

途中、物語が「恵まれない環境で育った子供の悲哀」なんていう、お決まりの定型におさまっていくように感じられて、「遠田潤子もずいぶんと退屈になってしまったもんだ」とガッカリしかけたけど、それも作者の狙い通りだったことが最後まで読むとよく分かる。

様々な伏線を回収した末に訪れるラストシーンの持つ圧倒的な哀しさとやるせなさ。

読者は最後の最後に、この物語の本当の主人公を知り、その救われなさに身悶えするのである。

淫乱で尻軽でだらしない最低の女は、男にとっては禁断の蜜の味だが、それは小説や映画の中だけのお話だということを、世の男性諸君はゆめゆめ忘れてはならない。

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