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江國香織さんの『ウエハースの椅子』を読んで、恋人との間の「狭い世界」に閉じ込められている、と感じた、過去の恋愛を思い出した。


物語の中で主人公は何度も、恋人との関係を「閉じ込められてしまう」という言葉で表現する。

たとえば、

私は恋人以外の男性に興味がないが、恋人と生きようとすれば、閉じ込められてしまう。

というふうに。

それが幸せなことなのか、不幸せなことなのか、分からないままに。

僕自身、恋人との間の「狭い世界」に閉じ込められている、と感じたことが、過去の恋愛で何度もあったし、それがいいことなのか、悪いことなのか分からずに生きてきてしまっているから、読んでいる間、ずっと落ち着かなくて弱った。

閉じ込められてしまうことの幸せと、
閉じ込められてしまうことの不幸せ。

もしかしたら、そんな対比だったら、もう少し穏やかな物語だったのかもしれない。

しかし、ここで描かれているのは、「閉じ込められてしまうことを幸せと感じてしまうことに対する絶望」なのだ。

終始一貫、この小説が不穏な空気に包まれているのは、これが「絶望」の物語だからだが、作者は絶望の正体を決して描くことはしない。

その恋が、いわゆる不倫と呼ばれるものだからだろうか、という問いにも、最後まで答えない。

こんなにも美しい文章で綴られているにも関わらず、解説で金原瑞人氏が評する通り、ここで描かれる恋は、品がない。

はしたない、とさえ言える。

しかし、本書を読み終えた読者は、そのはしたなさこそが、この作品の魅力であり、そしてまた、この物語の美しさの源泉であることに気が付き驚嘆するのである。

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