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みずからつづる自分史:ダンサー編〜その1〜

ちゃんと書く自分のプロフィールの投稿
前回の初回の投稿からちょっとだけ肉付けしていく
シリーズ第一弾(勝手にシリーズ化)

今回は
「ダンサー編」

一個一個のシリーズがながーく重くなりそうで
それぞれ章ごとに小分けにしてお伝えしていこうと思っています。

この書き始め。
ちょっとした棚卸し感もあって、思い出を辿りながら少しづつ大切に書いていこうと思います。

実は初めて出会う方に説明するときに、まあまあ端折って説明していた節もあるので(猛省)

僕がダンサーとして打ち込んだ1つの不器用な人生。
それがその後の人生観にこんなにも影響があったんだという「好きこそ物の上手なれ」の一つの形をお見せできるのかなって思います。

初回のプロフィール投稿はこちら

うまくお伝えできるかわかりませんが
お時間ある方はお付き合いいただけたら幸いです。


①ダンスとの出会い


僕のダンス原体験はすごくポップでセンセーショナルでした(昭和歌謡曲感

あれは確か小学生低学年か幼稚園の頃
実家にはLD(レーザーディスク)とビデオデッキがありました。

そこに収録されていたアーティスト
マイケルジャクソン

C & C Music Factory



流れるPVの映像の躍動感
触発される僕、そして横で煽る母親

「ほら、紀(おさむ)も踊ってみなよ!」
「えー、できないよ!」
でも内心
「かっこいい!動きたい!でもどうしたらいいかわからない!」ってモゾモゾ(恥)

それがダンスと出会った最初の原体験で、初期衝動でした。

ちなみに
当時の僕はめちゃくちゃ人見知りの恥ずかしがり屋(母親談)

小さい頃、羞恥心と共にダンスの種は深く脳裏に焼きついていきました。

②選手生命というか人生の危機

その後、学生時代は高校生までバスケ一筋。

しかも高校は横浜高校という超スポーツ学校の私立男子校

男だらけの汗まみれ泥まみれでしかない部活動生活(語弊あり

HipでHopな空気なんて微塵もない
The 男子校のスポーツマンな野郎生活を送っていました。


そんな高校3年生の頃に1つの危機が。

部活の練習中にリバウンドをしにジャンプしようとしたら
「ボキっ」
鈍い音が身体の芯から響き、着地もままならずそのまま倒れ病院へ

診断は
第五腰椎の腰椎分離症。

腰の上にある背骨を骨折していました。

病院の先生からは下手すれば歩けなくなると宣告。

当時の僕は
「まじかー。」
と一瞬凹んだものの
「まあなんとかなるでしょう!」
と持ち前のポジティブさで速攻で切り替え治療に専念。

すると
骨折部分がやんわりくっつき奇跡的にちょっと完治。


あわや一生車椅子の生活かも知れなかった状況なだけに今思っても本当に奇跡的でラッキーでした。

結果として
ダンスとかもうそんなの言ってられない状況から
復活した当時の僕は

「身体を使って悔いのない人生を生きよう」

高校生ながらに
スッと心から決意が固まった瞬間で、ダンサーへの種が少し発芽した瞬間でもありました。

③ダンスライフスタート

そんな幼少期、青春期を経て、ダンスを本格的に始めたのは当時17歳の大学一年生の時。

大学は大東文化大学に入学
ダンスサークルに入部してダンスをスタート。
初めはBreak Danceから初めて、次第にHIPHOPを踊り始める。

ダンスを始めてからというもの
授業が終わり次第、毎日のように
ダンスサークル練習
夜は駅やビルで1人ストリート練習
週に2、3日は横浜や都内のレッスン通い
深夜はクラブへダンスしにいき
ダンスショウケースやダンスバトルに出演、参戦。
etc...

ダンスと一括りに言っても、その時に成長出来うる限りのことはやりまくっていたと思います。

渋谷のレコ屋も相当掘りに行ってました(いくら注ぎ込んだか。。。

また学校のテスト期間と被っていた時は5徹も経験。

今思えばそんなダンス生活を通して
一つのことを突き詰めて行く素養はここで培われたのかもしれません。
そして同時に色々なことを多角的にやる癖もここでついていきました。

実際
大学では社会科高校教師の免許取得の単位を選択

教職は必須単位以上にとる科目が多く、6日間の授業枠も1〜5限までほぼフルで授業が埋まるありさま

フルパンの授業枠に、このダンス生活
はーこーな大学生活。

しかも20歳からは六本木の焼酎Barでもアルバイトで働き始め。

でもなんとかなっちゃうんですね。

なぜなら
やる気と情熱は人一倍はありました。
自分で言うのもなんですが(照

がしかし
そのやりくりした背景には当然
友人や当時の彼女、家族や職場の方々に大変お世話になっていました(本当に感謝。

皆さんも一緒だと思うんですが
一つに打ち込むと得れるものもあるけど
だからこそ同時に犠牲にしてきたものも多くあって。

こういうのも
当時からちゃんと認識していて、しっかりと記憶していました。
失ったと言って良いかわかりませんが、分かっていながら得れなかったものって案外覚えてるものですよね。


そんな時間を過ごしてきていた大学3年生の折、ひとつの転機が訪れます。

・・・

ここから先はまた次回、ダンサー編〜その②〜で書き記そうと思います。


編集後記


書いていて、懐かしさを感じつつ
その当時のことは案外覚えているものですね。

こうなれば赤裸々に書いちゃおうかなぁ
とも思ったのですが
変に長くなるのでここでは端折ります。

気になる方はいつかお酒を片手にウダウダお話しできる時が来れば嬉しいです。

でもって写真が全然手元になかったのですが
ギリギリ手元にあるアルバムやmixiを一億年ぶりに開いたら大学生時代の後半〜卒業してからの写真を発見。

20代前半(現在37歳)
わけぇー

優勝した時や練習してる時の写真。。。
文章じゃなくこっちで赤裸々!





次回以降(予定)

ダンサー編がちょろっと続きます
・ダンスを真剣に捉えた時
・ダンスが仕事になってきた時
・ダンスが自分のモノとなってきた時
・ダンスがダンスで無くなった時

こんな感じで小分けできたら良いなぁと目論みながら筆を進めて参ります。
変わったらごめんなさい🙏

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osamu1115
よかったらインスタもどうぞ宜しくお願いします。
娘のストーリー多めです👨🏻

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