人が人らしくあれる環境をつくる
人が人らしくあれる環境をつくる
これは私のポスト資本主義創造のビジョンにおいても土台となるコンセプトで、現在私の活動の半分以上はこのために企業組織に入り込む。
『心理的安全性を起点に組織の土壌を整える』というコンサルティングだ。
心理的安全性という言葉は2016年頃グーグルが自社の中で生産性の高い職場を研究し、その共通点として見出した言葉として世に広く広まった。ものすごく簡単に言うと、自分が自分らしく存在し、発言やふるまいを他人の目や評価を気にすることなく、必要なことを率直に表現しながら関わり合える土壌があるかどうかが生産性にも大きく影響するという結論である。
言うのは簡単だが、実際はすごく難しいこと。なぜなら組織の中にはそうさせない論理や原理がたくさん詰まっているから。これまでの記事でも触れているように資本主義の論理のど真ん中を突き通すなら、必要のないことなのしれない。でももうそれも限界に近付いたからこそ多くの人たちが関心を持ち始めている。
この活動に対する私の目的は非常にシンプルだ。
「私たちが私たちらしく振舞い行動する自由を、働く現場に拓くこと」
いわば、個の可能性解放運動。
それが未来の社会のシフトにつながる一丁目一番地と信じているからである。
「まだそんなこと必要なの?」
と思う人もいるだろう。いやいや、世の中の情報と組織の実態にはまだまだ大きな開きがある。勢いがある時代の先端を走る企業の情報を聞くこともあるが、ほんのわずかであり、多分に脚色もあるのではないだろうか。むしろ組織の状態の格差が大きく開き始めているとさえ感じる。
だから「自分の職場だけがおかしいんじゃないか」なんて誤解すら生まれて落ち込む人がいる。組織の中は時代ほどそんなに進んでいるわけではない。なぜなら大きくパラダイムが変わっていないところがほとんどだからである。
様々な現場支援や研修なども起こっている実感値でいうと、おそらく7割の社会人は同じように苦しみながら仕事に面白みもやりがいも感じることなく、心を殺して、何かをあきらめ、目の前のことで精いっぱいで疲れて眠り、明日を迎えているはずだと思っている。働き方改革が逆にしわ寄せになっている人だってたくさんいる。有名な大企業でも実態はまだまだそんな感じだ。だから有能な若手社員が離職するのを後を絶たない。
ある企業組織のサポートセンターでの話。
そこでは日々トラブル時の対応を行なっている。顧客から罵倒されるようなことも日常茶飯事だそうだ。働いている方に本音を聞くと、
「たまに人間不信になりそうだ。」
という。
「何故ですか?」
と問うと
「そこまでしてお金が欲しいのかと思うくらい人間の本性を剥き出しにされる…」
そんな答えが返ってきた。
昨年、決められたKPIを競い合うことを目的として、皆んなが必死になって対応する期間の中、60歳の担当者の方が勤務中に急に心肺停止になり倒れた。周りの方が必死になって蘇生し、救急車で運ばれた。幸い、生命は助かり入院となったそうだ。
その時の話をしてくれたマネジャーは、
"その時のみんなの対応が素晴らしく、対応が早かったんです。みんな彼の周りで目を覚まして!と声をかけていて…まさに連携と団結力で乗り越えた。あの時はチームが一丸になってました。"
と語った。同僚の命の危機に、他のメンバー総出で必死で関わったはずである。きっと大変だったに違いない。
しかし、私は言葉に詰まった。
何かがおかしくないだろうか。
その方がもし心臓に持病を持っていたなら、職場としてはすでに不適切であるから着任させるわけはない。職務中に心肺停止はそんなにありふれたことではない。また、心理的ストレスが高い職場では心臓疾患の割合が高まるという研究結果がある。本当の原因は何だかわからないが、おそらく、長年この仕事の中で常に心臓に負担をかけ続けていたはず。理由は違うかもしれないが、職務中に倒れたとなればその可能性は高い。
世のトラブルのサポートを担いながら、日々理不尽にも罵倒されるような言葉を浴びせられ、そこに精一杯向き合い続ける毎日だ。そして会社はその対応の品質向上のためのKP Iを用いて競争原理をつくり、現場にプレッシャーがかかるという構図が存在している。
何のためか
会社の成果のためである。
「何を今更…それが会社だよ」
「仕方ないことだよ」
「働いていればそういうこともある」
確かにそんな声が聞こえてくるかもしれない。
「給料もらって働いているんだからやるべきことはやらないと」
「みんなストレス抱えながらやってるんだ」
「誰もやりたくてそんなことやってないよ」
こんな声もあるだろう。たくさん聞いてきた。
しかし、その方は倒れる瞬間、何を思っただろうか。
目を覚ました時、何を思っただろうか。
私たちは何のために働くのか。
何のために生きるのか。
そこまでして会社が勝たないと本当に社員が暮らしていけないのか。
そこまでして株主に貢献しないと会社が存続していけないのか。
帰路につく途中、久しぶりに悲しくなった。久々になんだか悔しくなった。
世の中、やっぱりどこかまだバランスを崩したままだ。
資本主義が機能する時代はとっくに過ぎている。
おかげで僕らの社会は物が豊かになった。
だからもう、資本家を儲けさせることを第一にした仕組みと働き方は本当は必要ないはず。
これは1つの例だが、この会社が悪いわけではない。これが、この世の中の多くの企業の縮図だと思う。
そしてまだまだ現在の社会に根付く姿の縮図である。
もう卒業しよう。
未来のために、ともに新しい世界を創造していこう。
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