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生きづらさと闘ったこの一年半

40代後半にして、そこに目覚めてしまうのは正直しんどい。今までモヤモヤした何か…が在ることには薄々気付いていながらも、それは何なのか?私の中で明確なラベルは無かった。

或る日突然、とあるニュースを見ていたら、訳も分からず涙が溢れる。「え?」「何?」自分でもちょっと怖さを感じた。それが所謂、PTSDというものだったんだろうなと後になって分かったのだけど、そのニュースというのは千葉で起きた虐待死事件だった。まだまだ世間さまの記憶にも新しい方の事件だと思う。

何故、私がそうなったかというと、一時期父親の母親に対する酷いDV時期が有った経験から、どうやらフラッシュバックしてしまい泣き出してしまった様だった。あの事件を知った後、何かに駆り立てられる様に虐待関連の講演やセミナー情報を探し始めた。すると、たまたまなタイミングで参加出来そうなセミナーが有った。

割かし事前にあれこれ迷い倒して調べ倒して、石橋を叩いて叩いて叩き割る寸前ぐらいまで慎重に考えてしまうタイプの私が、ソッコーで参加申込みをしていた。

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(告知チラシ参照)一般社団法人人権問題研究協議会

このセミナーの終盤で行われた質疑応答の中で、とある方が「ヤングケアラー」という言葉を口にされた時、『あっ…』って何かが脳内に響く様な感覚に陥った。

私は両親が聴覚障害者だったり、弟が内部障害を持っていたりした為、小さい頃から何かと家族のケアに携わることがあった。ヤングケアラーというらしい。まだその頃はヤングケアラーという言葉や概念を知ってそう時間も経過していなかったから、自分の中の認識にまで落とし込めてはいなかったのだけれども、そのやり取りを聞いていた時に『私もヤングケアラー(だった)内の一人なのかぁ…』と、改めてラベリングされた様な気持ちになった。

そして、そのヤングケアラーと、虐待…という部分には、全く無関係とも言えない所もある…といった見解も存在することを知った。講演後に登壇されていた増沢先生に直接お話させて頂く中で、自分の話を織り混ぜながらそこの部分を改めてお尋ねしたとろ、物凄く柔らかい物腰で話を聞いてお答え下さり、「そうなんですよね。障害を持つ親御さんの元に生まれ、親のサポートをする子ども…って一見、偉いね…優しいね…みたいに、美談の様になってしまうんだけど、それは下手をすると子どもを苦しめてしまう状況、すなわち虐待状態になってしまう危険性もあるんですよね…」といったニュアンスのことを仰有って頂き、物凄く腑に落ちた感覚を味わった。私はこの日、きっと何かに呼ばれてここに来たんだなって思った。

元々、面前DVにおける心理的虐待にも私は該当する訳だけど、このヤングケアラーと虐待…という部分でも該当するのかな…という認識も自分の中に落とし込んだ瞬間だった。親の耳代わり、親の声代わりとなり通訳を担ってきたり、親が理解出来ない(知らない)ことを子どもである自分が教える…という親子逆転の様な状況に陥ったり、親に頼れず自分で決めなくてはいけない事が学生時代にどんどん増えてきたり、そんなこんなが沢山沢山有った。

姉弟3人の中でも桁違いで担うサポート量は私が断トツで多かったと思う。当たり前と思っている間はいい。私がやっちまった方が早いからって思っている間もセーフ。だけど、疲れてるのになぁ…面倒くさいなぁ…弟たちの方に頼ってくんないかなぁ…って思っている時でも容赦なく寄り掛かられてしまうと、何で私ばっかり!って思ったり、言ってしまったりすることもある。それが結婚をして実家を出た今でも続いているということが、今一番しんどく感じている部分でもある。とある事がキッカケで大分、大人しくしている様だけれども今は…。(ちなみに父親は他界)

まぁ、"生きづらさ"を感じる原因と思われるものは私には実は他にも幾つも有って、これだけには留まらない。今回のこのページに書いたものは、生きづらさを意識し始めたキッカケになる出来事だったに過ぎず。他のものも追々、気が向いたら?綴って行けたらいいなと思っている。吐き出すことでモヤモヤを少しでも軽く出来ればという気持ちで。

(終)

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