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少し恥ずかしい話

東欧です。明日から週末ですね。いかがお過ごしでしょうか?本日は、自分の楽しい経験というよりも、苦しかった体験を語りたいです。それは帰国してから、昨年までのお話です。

少し重たい話になってしまうかもしれませんが…はつ恋のウラジミールのように、当時の心境を独白しようと思います。


8年ぶりに帰国し、官公庁で働き始める

8年間、ヨーロッパに暮らしていました。その間、日本には2回しか帰っていません。現地での生活に馴染み、プライベートも仕事も上手くいき、日本酒の活動はテレビや雑誌でも取り上げられるほどになりました。

それなら、そのままヨーロッパで生活を続ければ良かったのでは?」と思うかもしれません。

しかし、30代半ばという年齢で日本での経験が大学を卒業してから、すっぽり抜け落ちている事に危機感を覚えました。

もしかしたら40代、50代に日本に戻る決断をするかもしれない。その時に日本に基盤がないとしたら、、、そして日本でも日本酒で仕事の功績が残せる自信がありました。

日本に帰国したのは2022年12月。

幸い日本酒の勉強や官公庁の仕事にも就き、日本での生活をスタートしました。ただ、ふとした瞬間に現実感が希薄になってしまうことがありました。電車に乗っていても、「あれ、俺なんで日本にいるんだっけ?」といった感覚でした。涙が止まらないこともありました。

そんな状態でも官公庁の仕事は激務で容赦がありません。自分が止まればプロジェクトも止まってしまう。マネージャーという立場から決断を迫られる日々でした。

カウンセリング通いが始まるが、何かが違う

帰国して、日本の慣れない慣習や官公庁の仕事に徐々に心がすり減ってゆくのを感じていました。カウンセリングに行き始めたのは、そんな折です。

南青山にある国際カップルや外国人向けの心療内科に一年間通いました。カウンセラーは経験豊富な日本人の方でしたが、「純ジャパが海外に完全に適応した挙句、日本で不適応を起こしている」というケースは前例がなかったらしく、解決策は得られませんでした。

精神科に切り替えるが、時すでに遅し

働き始めて10ヶ月ほどして、心が限界と悲鳴を上げていました。「やめたい」と上司に話しましたが、担当しているドイツの大規模展示会が終わる3月まではいてくれと言われました。

そこが自分の心の健康を取るか、仕事を取るかの分かれ道でした。結局私は、残ることにしました。最後までやり遂げないと気がすまない性格と、中途半端に投げ出して業界で今後食べていけなくなることを恐れたからです。

その頃にはカウンセラーでは間に合わず、精神科に切り替えました。

しかし、診断にはいくつかステップがかかると言われました。展示会の準備とプレッシャーで通院するタイミングを失い、心が修復不可能になった状態のまま、展示会へ突入してしまいました。

ドイツにてパワハラを受け、全てを放り投げる

ドイツの展示会では、上司である協会理事と怒鳴り合い、それからパワハラを受けました。

4000万円規模の展示会を全て終えて、ホテルに戻ると放心状態になりました。帰りのチケットを捨てて、ヨーロッパに残ってやろうかと本気で思いました。その境界線は薄い皮一枚だったと思います。

それでも何とか荷物を纏めて、フライトへ乗れたのは、8年間のヨーロッパ生活はやり切り、日本でしかできないことをやり遂げる事=日本酒を極めるという初志がまだ残っていたからに、他なりません。

空白の2023年を経て、再スタート

しかし官公庁を辞めた後も、壊れた心は戻らず、2023年の一年を棒に振りました。

勿論、過去に戻ることも、昔の私を救うことはできません。唯一できるのは、似たような境遇の方へ、「逃げていい。仕事よりも心身の健康の方が絶対に大切だから」と注意喚起(メッセージ)を行うことだけです。

本日はこれでおしまい…

と思いましたが、訃報が駆け巡りましたね。一つの時代が終わる音が聞こえた気がしました。

そして昔を思い出していると、年甲斐もなく少年時代の気持ちに戻りました。

「あの頃は真っ直ぐな目と豊かな想像力があったね、今もまだあるなら何でそれを追いかけないの?」

と、誰かが語りかけてきました。

本日もありがとうございました。皆様よい週末を!



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