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オリジナリティ(独創性)とは 【J・S・ミル著『自由論』】

独創性オリジナリティとは、独創的でない人が効用を感じることができないものだ。
彼らは、独創性オリジナリティが自分たちにとって何の役に立つかがわからない。彼らには、わかりようもないことである。
何の役に立つのかが彼らにわかるのであれば、それは独創的オリジナルなものではないだろう。

J・S・ミル著『自由論』関口正司訳(岩波文庫)P.147

独創的な人というのは、天才的な人と言えるかもしれません。
或いは、才能豊かな人と言ってもよいでしょう。
逆に、独創的でない人は、平均的アベレージな人と言えます。
社会において、独創的な人は少数派です。
大半の人は、平均的アベレージな人です。
そのため、ここに「多数派の専制」(the tyranny of the majority)が生まれる理由があるのです。
独創的な人の効用性は、平均的な人には理解できません。
それが故に、「それが何の役に立つのか」と攻撃を受けることなります。
まだ実際に形になり、役に立っていないからこそ、「独創的」なものだと言えるのであって、役に立つことが誰にでもわかる明らかなことであれば、最早それは「独創的」とは言えません。
これは、極めて簡単なロジックと言えるでしょう。

平均的な人というのは、現在ある社会制度の中で役に立つこと、則ち効用性ユーティリティが明らかなものの中だけで生きている人たちです。
すぐに役立ち、すぐにかねにつながるという価値観の中だけで生きる人と言えるかもしれません。
出来上がった制度の中で生きている人にとって、独創性は不要なものです。
むしろ、前例に倣い、それに従って生きることで、安定と安全が手に入るからです。

独創性とは、前例にないことを考える過程で生まれるものです。
そのため、独創性には、本来「破壊」が伴います。
過去の秩序や安定を、一旦破壊しないと独創的なものは生まれません。
だからと言って、過去のものを闇雲に否定し壊しているだけでは、何も生まれないでしょう。
独創的なものが生まれるまでには、過去のものを十分に研究・調査し、きちんとした知識として、今まであったものを十分に理解し把握していくことが必要となります。
過去のものをきちんと把握していなければ、自分の考えや発想が「独創的であるか」もわからないでしょう。
「未だかつて無い」「今までに無い」と言えるためには、「今まで」を十分に知る必要があるのです。

独創性に満ちた生涯を送る人は、浮き沈みの激しい、波乱に満ちた人生を歩むことになるかもしれません。
大成功を掴むまでに、いくつもの失敗を重ねることも多いでしょう。
「自己のオリジナリティに忠実に生きたい」
「自己の本性と天性に忠実に生きたい」
と願い、それを人生観の中心に置いている人は、大なり小なり、「独創性のある人」と言うことができるでしょう。
そのような人は、平均を嫌い、平凡を拒否し、人並みであることから脱却することが、「自己の本性や天性に忠実に生きることにつながる」と思っているからです。

生きている間は、恵まれた生活を送ることができなかったとしても、彼は「自分の人生は幸せなものだった」と感じながら、息を引き取ることができるでしょう。
そのような人は、自己の本性や天性に気づき、それに従って生きることを貫くことができたからです。
天性のまにまに生きている人は、「天才」と言って良いでしょう。
このような人は、「天命に則って生きている」と言えるかもしれません。
天性に従って生き、天命の中に生きているからこそ、「天才」なのです。
天命に生きた人は、安らかに死を迎えることができるでしょう。
まさにこれこそが、「本当の安心」や「魂の充実」が存在する、「安心立命」の境地と呼べるものなのかもしれません。



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