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J・S・ミル「功利主義」

満足した豚であるよりも、満足していない人間がよい。
満足した愚者であるよりも、満足していないソクラテスがよい。

J・S・ミル「功利主義」関口正司訳(岩波文庫)P.31

このJ・S・ミルの言葉は、高校の倫理で資料集に出てくるくらい有名なものです。
これは、彼の著作「功利主義」からの引用です。

昨年、岩波書店から、初めて文庫として出版されました。
明治時代、福澤諭吉も、「功利主義」を愛読していました。
(小泉信三著「読書論」岩波新書P.51)

「功利主義」という言葉は、どうしても自分の利益だけを考える「利益至上主義」「拝金主義」「金儲け主義」のイメージでとらわれがちですが、そうではありません。
J・S・ミルが言っている「功利主義」は、他人を害してでも自己の利益を追い求める「利己主義エゴイズム」とは全く異なる言葉です。
岩波文庫の表紙カバーには、次のように記されています。

人間生活全般の根本原理として、個人や社会が正義とともに個性や人類愛を尊重するよう後押しする功利主義のあり方を追究したJ・S・ミルの円熟期の著作。

J・S・ミル「功利主義」関口正司訳(岩波文庫)表紙カバーより

功利主義とは「ユーティリタリアニズム(utilitarianism)」の訳語であり、元々「ユーティリティ(utility)」を尊重する立場から来ています。
ユーティリティは「効用性、実用性、有用性、公益性」という意味ですから、役に立たない抽象論ではなく、具体性をもった実益、即ち人の幸福の具体性を重んじる立場です。
特にミルは著作「自由論」の中で、多数者の専制よりも個人の幸福という個人主義・自由主義を重視した人ですから、「功利主義」とは「個人の具体的幸福を実現化する立場である」と考えられます。

また、ミルは「婦人参政権」をイギリス憲政史上はじめて「議会で立法化の主張をした国会議員」でもありましたので、「功利主義」の意味するところは、女性の具体的かつ実用的な幸福論であると言うこともできるでしょう。

この「有用性・実用性を重視する立場」に対するものは、ドイツやフランスなどで主張されていた「観念論」でしょう。
カントやヘーゲル、デカルトやパスカルといったヨーロッパ大陸の思想家たちが唱えていた、一般的な「理性中心主義の観念論」がそれに当たります。
イギリスやアメリカでは、実用や実益を重視する「経験論的」「実用的」「個人的」な立場が尊重されていました。
アメリカのプラグマティズム(実用主義、実際主義)も、この流れとなります。それは、大陸のものとは一線を画しています。

教育のある人は無知になりたいとは思わないし、思いやりや良心のある人は利己的で浅ましい人間になりたいとは思わないだろう。
(中略)
このような「低劣な人間」「下劣な生き方」を拒絶する「高次元の能力を備えている人」は幸福になるためにより多くのものを必要とする。

J・S・ミル「功利主義」関口正司訳(岩波文庫)P.29

それは、「自由や人格的な独立への愛から生じる」(同書P.30)こともありますが、最も適切な呼び方は「尊厳の感覚」であるとミルは言っています。

尊厳の感覚はすべての人間に何らかの形でそなわっており、
(中略)
その人の高次元の能力に比例している。

J・S・ミル「功利主義」関口正司訳(岩波文庫)

高次元の人の不満は、不幸ではありません。
そこには、高い理想を求めて、あくなき探求と向上を生涯追い求める「尊厳の感覚」があるからです。
ソクラテスは、不満ではあっても、不幸ではなかったのです。
あくなき探究心をもって、人間の尊厳に生きた彼の姿勢こそ、「知への愛」と言うことができるしょう。

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