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「聞く力」=人から信頼される方法 【J・S・ミル『自由論』】

人から信頼されるに足る判断力をもつ人とはどういう人か。
それは他人からの批判に耳を傾けるほどに精神がオープンになっているか、
自分の意見にさからう批判を絶えず聞こうとしている姿勢を見せ続けられるか、という点にある。

J・S・ミル『自由論』関口正司訳(岩波文庫)第2章P.50

これを実践するためには、かなり高度な知性と教養が要求されます。
よく目にするのは、少しでも自分の意見に否定的な考えが示されるや否や、感情的に反発するだけで全く話が続かないという場面です。
これでは、あまりにも稚拙な対応と言われてしまうでしょう。
さまざまな意見を採り入れて、更に向上しようという気持ちがある人であれば、自分が向上するための材料として、他者からの批判にも冷静に耳を傾けるはずです。
会社経営をしている人の中には、お客様からのクレームの中に会社発展のヒントが隠されていると言って、積極的に参考にしている人がいます。
このような経営者がいる会社は大いに発展するでしょう。これは、人も同じです。

人間の美徳は誤りを正すことにある。
誤りを正すという資質は、人間において尊敬に値するすべての源泉となっている。

J・S・ミル『自由論』関口正司訳(岩波文庫)第2章P.49

『論語』で言うところの「改むるにはばかることなかれ」ということです。
J・S・ミルは、「人間は常に誤りをおかすものだ」という前提に立ち、そのような性質のことを「誤謬性fallibility(可謬性)」と定義しました。

人間の良識という点で残念なことだが、人類の可謬性という事実は、理論の上では、いつでも重要性が認められながらも、実際の判断ではまったく重視されていない。
なぜなら、自分が誤りうることは誰もがよく知っていても、ほとんどの人々は、自分自身の可謬性に対して予防策をとる必要があるとは考えていないし、自分が十分に確実だと感じている意見が、自ら陥りやすいと認めている誤謬の一例かもしれないという想定を受け容れないからである。
誤った意見や行動は事実や議論に屈服してまけるものだ。

J・S・ミル『自由論』関口正司訳(岩波文庫)第2章P.44

人が何か意見を言う時に、「事実に基づくものなのか」「何を根拠としてものを言っているのか」ということを考えながら発言しているのであれば、その判断は信憑性が高いと言うことができます。
しかし、実際はそうでない場合がほとんどでしょう。
大半は、事実に基づかない思い込みや偏見、自分にとって受け入れやすい都合のよい考えなどではないでしょうか。
議論の場になれば、当然、「何を根拠にそんなことを言っているのか」と問いただされることになるでしょう。そうなってしまうと、事実に基づかない単なる主観的な意見は、厳然たる事実の前に屈服せざるを得なくなります。
それは事実を無視した一個人の主観的な感想にすぎないからです。
そのような意見を口にしていては、説得力がないのはもちろんのこと、その人自身の判断力まで疑われることになりかねません。
もちろん、人としての信頼性にも大きく影響してくるでしょう。
言葉こそが「人格」だからです。

人の批判を聞く力、人の批判から学ぶ力なくして知恵を得る賢者は存在しない。

J・S・ミル『自由論』関口正司訳(岩波文庫)

何の努力もしていないのに、他人から肯定され評価されることはありません。
まず「人の意見を聞くこと」から正しさは生まれます。
言うより前に「聞くことが大切」なのです。

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