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オリジナル作品を手がけない理由 【モーム著『サミング・アップ 』】

作家志望の若い人が、時どき私にへつらって、
作家になるために読むべき本を教えてください、
と言うことがある。
教えることにしている。
しかし推薦したものはめったに読まないようだ。
そもそも彼らには好奇心がないのだ。
先輩の作家たちがどういう仕事をなしたかに関心が薄い。

モーム著『サミング・アップ 』行方昭夫訳(岩波文庫)

人に教える立場にいると、同じような経験をすることが度々あります。
「上昇志向の強い人」や「努力で何でも可能だと信じ込んでいるようなタイプ」に多く見られる傾向なのですが、下手したてに出て人のアドバイスに従うふりをしていますが、実は何も聞いていない場合の方が圧倒的に多かったりします。
自分の夢や目標を実現するためのマル秘情報があるのではないかと探りを入れてきたり、時間や手間を惜しんで、楽をしておいしいところだけを掠め取ろうとしたりするのは、利己主義的な行動と言えるでしょう。
しかし、モームの発言をみてもわかる通り、そのような人は時代や国の違いを超えて、多く存在するようです。
作家を志望している若者のように、野心の強い人であれば尚更かもしれません。

文学には流行があり、たまたまある時期に流行はやっている文学に本質的な価値があるかどうかは判断がつきにくい。
その点、過去の名作に通じていれば、比較に際してとてもよい標準となるのだ。
多数の若い作家が、器用で賢く、技法的にも巧みなのに、非常にしばしば表舞台から消え去るのは、無知のせいかな、と私は時どき考える。

モーム著『サミング・アップ 』行方昭夫訳(岩波文庫)

優れた作家は、優れた古典研究者でもあります。
ニーチェやジル・ドゥールズなど、いくつもの例をあげることができます。
自分の手許にも、ドゥールズの著書が何冊かありますが、
・『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳(平凡社ライブラリー)
・『ニーチェ』 湯浅博雄訳(ちくま学芸文庫)
・『ヒューム』合田正人訳 (ちくま学芸文庫) 
など、示唆に富む素晴らしい研究書として、高く評価できるものばかりです。
日本文学の世界でも、『キッドナップ・ツアー』を書いた角田光代さんは、源氏物語の堂々たる現代語訳を手がけています。
田辺聖子さんが著した古典紹介書『文車ふぐるま日記』は、高校生の頃、何度も読み返すほど愛読していました。

誰もが知っているような有名作家となるためには、何百もの古典を精読することが求められるのかもしれません。
あくまでも憶測ですが、そのような背景が無ければ、人がお金を出してまで手に入れたいという作品が、新たに生み出されることはないのでしょう。

自分には、オリジナルの作品を書く予定はありません。
幸いにも、その才能も無いことは自覚しているので、心おきなく古典研究に励むことができています。
人に教育をするという本分から考えて、自分がオリジナル作品を一つ完成させることより、優れた古典を一冊でも多く研究し、その素晴らしさや魅力を紹介していくことの方が、余程意義を実感できるような気がします。

あと何年生きられるか分かりませんが、最期の瞬間まで、古今東西の古典を学び続ける人生を歩んでいきたいと思っています。





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