noah

自分を維持するためだけに何かしら書きます。ここに有用なことは一切ありません。

noah

自分を維持するためだけに何かしら書きます。ここに有用なことは一切ありません。

マガジン

  • とりとめのないこと

  • 美術のこと

  • 詩文のこと

  • 音楽のこと

  • 文化のこと

最近の記事

銭湯の話(月ノ座ワークショップ第2回課題)

 時々銭湯に行く。銭湯に行くと本当は身体というものは一人ひとり異なるかたちをしていることを思い出す。普段目にするのは芸能人、インフルエンサー、洋服店のマネキンなどの「理想的な」画一的な身体だから、当たり前の事実を忘れてしまう。私の身体だけが歪な気がして、四六時中劣等感に苛まれている。 銭湯に蠢く身体たちはそんな思い込みの呪いを、束の間解いてくれる。それぞれの生き方があるのと同じでそれぞれのかたちがある。それだけのことなのだった。  食べることは生きることなのに、いつから食べる

    • 月ノ座 文章ワークショップ事前課題文

      テーマ「何を、どんなふうに書いてみたいか。書けるようになりたいか。」 私は自分のことを話すのが苦手だ。自分に自信がなく、人にどこまで興味を持ってもらえているのか分からなくて、自分の話をするのが怖い。それに、いつも世間の流れから少しズレたことばかり考えているので、どうせ話したところで伝わらないなどと傲慢にも決めつけて黙りこくっていたら、ふと気づけば孤独だった。  誰にも私の存在や考えを伝えなかったらそれは死んでいるのと同じではないか。ある日そう気づいて、何の芸術の手立ても持た

      • 全身麻酔のメモ

         眼鏡のないぼんやりした視界で手術室の前まで来る。金属質の空間に清潔な格好をした人々がいて、ドラマで見た感じそのままだった。緑の塊はたぶん執刀医。  目がよく見えないからみんなに曖昧に頭を下げながら、示された手術台へ向かう。すっぴんでぺろっとした布を着てるだけなのだが今日この時間は私が主役らしい。大人になって人生で主役になれるのは結婚式と葬式だけと言われることもあるが、手術も主役(執刀医とダブル主役)になれるのは盲点。  幅狭の手術台には薄気味悪い茶色のブヨブヨした丸があっ

        • ゆめみのまち:メモ「瓦」

           車窓からすでに気になっていたことだが、目算で9割の家の屋根が同じ様式の瓦葺きなのだ。そのことが独自の景観をつくっている。  街を歩きながら近くで観察する。瓦の色は、橙に近い明るい茶、黒、青みがかった黒の3種類程があり、全て濡れたような光沢がある。青みがかった黒は太陽に鈍く光って美しく、その再現できなさゆえに心に残った。旅をすれば新しい色の採集もできる。  生垣で、上辺に小さい瓦屋根をつけている凝ったものがあったので、触らせてもらうと、焼物のように釉薬を厚く塗って焼いてい

        マガジン

        • とりとめのないこと
          16本
        • 美術のこと
          5本
        • 詩文のこと
          4本
        • 音楽のこと
          2本
        • 文化のこと
          4本
        • 遠い国のこと
          3本

        記事

          ゆめみのまち③岬の商人

           灯台の近くには海鮮を出す飲食店数軒があり、灯台へ来た客で賑わっている。  閑古鳥の鳴いている物産店を覗けば、貝殻を売っている。いや、貝殻しか売っていない。  このモノと情報が飽和した時代に、土産に貝殻を買っていく人はどれくらいいるのかと考えていると、店の中からおじいさんが出てきた。私が何度も店の中を覗くから、あの子は何がそんなに気になるんだろうと思っていたのだという。まさか貝殻は売れますかとは聞けない。  おじいは店前にある数種類の大きな巻貝を順番に耳に当ててみろという

          ゆめみのまち③岬の商人

          ゆめみのまち②灯台へ

           昼前にようやく出雲市駅へ着く。小雨が上がったため灯台へ向かうことにする。車内販売がなく朝食をとり損ねていたが、1時間に一本の路線バスを逃すわけにいかず、待ち時間にずいぶんレトロなご当地パンを食べて補給する。  観光用ではなく市民の生活のためのバスなので病院だの団地だのにこまかく停まりながらのろのろ進む。買っておいた岬への旅行記を開いてみたが、直射日光で車内が茹だるように暑く、隣の人との距離も近すぎ、本の方も第一章から海難事故の遺体回収の話だったので、せめても具合が悪くなら

          ゆめみのまち②灯台へ

          ゆめみのまち①分水嶺のご案内

           10月のある日、思い立って島根県へ向かった。  岡山駅から始発の特急やくもに乗る。乗り込むと車内は照明が少なくて薄暗く、期待していたコンセントや前の座席の網ポケットに行き先の紹介冊子もない。当然の如く社内販売もない。  振り子のように車体を左右に揺らしながら特急とは思えない悠長な速度で走る。乗車時間は3時間もあるのに、車体が揺れるので読書や作業には向かない。そのせいか、半分くらいの席を埋めている人たちは皆、窓の外をぼんやり眺めるかうつらうつらとしている。薄汚れた窓に映るのは

          ゆめみのまち①分水嶺のご案内

          土地との交際考

           人間と交際関係を維持するのに、常に繊細な距離感の調整や配慮、謙虚な姿勢が必要なように、土地との交際関係においても同様の努力が必要であるという直感がある。私にできることはここで謙虚にあり、感謝して、一方的に愛することだけだ。  土地との交際について考えながら向かった先で思いもよらず平山郁夫の絵を観ることになったのは偶然ではない気がする。  今日まで平山郁夫の絵を、引いては風景画をつまらないと思っていたけれど、平山郁夫がつまらないのではなく、私がつまらなかったのだと分かる。私

          土地との交際考

          イニシェリン島の精霊 感想

           気づけば半ば睨みつけるようにスクリーンを観ており、終わってどっと疲れが出た。お土産の鬱気分ともやもやを噛みしめながら帰路についた。帰ってきてからもずっとこの映画のことを考えているので良い映画なのだと思う。  娯楽が氾濫する都会では誤魔化される紛れもない生の本質が、退屈な小島では剥き出しになって表れる。この島で生きていくのは、傷口を開いて凝視するのと似た痛みを伴う。  生きてる者皆が抱えている人生と生活の矛盾に気づいたコルムはずっと鬱状態にあったようだ。人は人生に視野が寄りす

          イニシェリン島の精霊 感想

          カンパニーXY with ラシッド・ラウンダン『Möbius』

           友達に誘ってもらって、フランスのアクロバット集団の公演を観に行ってきた雑感を書き留める。  ムクドリの群れが主題になっている振り付けなので、集団で同じように動きながら人を高く投げては受け止めるような動きが多かった。目を見張ったのは、立っている人の肩上に、別の人が登ってまっすぐ立つという技で、最高で4人が縦一列に並んだのには息を呑んだ。3人の人の上に立った人は涼しい顔をして重力がまるでないみたいにすんと立っていた。  しばらく観ていると、パフォーマーそれぞれの個性が見えてくる

          カンパニーXY with ラシッド・ラウンダン『Möbius』

          ある種のものごと考(2022年10月23日)

           最近考えていることを書き出そうとしたら「ある種のものごとは別のかたちをとる」というフレーズが浮かんだ。これがなんのフレーズなのか、記憶をたぐり寄せて、高校の現代文の教科書に載っていた村上春樹の『レキシントンの幽霊』という短編小説のものだとわかった。もうあらすじをぼんやりと覚えているだけだったのでKindleで購入してさっと読んでみる。  正しいフレーズは「つまりある種のものごとは、別のかたちをとるんだ。それは別のかたちをとらずにはいられないんだ」であった。高校生当時はよく意

          ある種のものごと考(2022年10月23日)

          K君のこと(2022年10月18日)

           小中学校で同級生だったK君が職場でいじめに遭い、鬱になって引きこもってしまったという噂を聞いた。  K君は体も弱く勉強もスポーツも得意ではなく、影のように静かで目立たなかった。だけど私はK君が何も言わず、先生や他の子に気づかれることもなく、みんなが嫌がる雑巾がけや、花瓶の水替えをやっているのを見ていた。人の悪口を言ったり、いじめたりしないのを知っていた。  学生時代に内申書に書かれることは学業の成績や部活の実績などの事柄だが、今思えばそんなのはちゃんちゃらおかしい。K君の積

          K君のこと(2022年10月18日)

          空虚を食べる(2022年10月16日)

          個人の見解の極地の話、大規模チェーン店の安価な料理は、私のような吹けば飛ぶような賃労働者には相応なのだけど、食べていると若干空虚を食べている感覚になる。それは作る人も食べる人もお互いをピクトグラムくらいの粗さで捉えていることで相互協力的に生み出された空虚だと思う。

          空虚を食べる(2022年10月16日)

          2022年10月15日

          友の婚礼完く夜ひとり眺る栗鼠のまたたき

          2022年10月15日

          2022年10月12日

          寝るタイミングをミスって目が冴えてしまったので書く。昨日の朝は早寝したらタイミングと眠剤が決まりすぎて目覚ましの音が聞こえず寝坊したので肩身が狭かった。いかんせん生活が下手。べてるの家の標語に倣って「不調で順調」だと自分を励ます。私は根本的にはポジティブ。 好きな小説はたくさんあるけど近年のお気に入りはジェフ・ヴァンダミアの『全滅領域』。主人公の生物学者と鼓動の拍が同じ気がするから読んでいて落ち着く(人と合う・合わないの重要な鍵は鼓動の拍の一致だと思っている。)荒波に飲み込ま

          2022年10月12日

          2022年10月10日

          ここのところ孤独感が強く、おそらくそのせいで常に頭痛がしている。セロトニンの不足から脳の特定の部分になんらかの損傷が始まっている気がする。かなりキワキワの瀬に立っている気がするが、薬に頼れば良いか、それとも己の創意工夫により耐えることで何かの境地が拓けるのか分からない(拓けた先は統合を失うという境地なのかもしれない)。医学的にはきっと薬を飲んだ方が良いのだろう。明日にもあの軽薄な薬物売人のような医師のいる心療内科へ駆け込むべきなのだ。それでも薬で脳を麻痺させてしまうのはどこか

          2022年10月10日