note試写会に参加して
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note試写会に参加して

このnoteを書き始めて少しした頃だろうか?なぜか映画試写会のお知らせが表示された。関東のユーザーで映画カテゴリーの日記を書いている人に表示されるようになっていたのかもしれない。こういうサービスでそんなことがなかったから面白がってポチポチ押したら普通に試写会の招待状が来て、やばい!と慌てて後から日程調整をした次第。

会場はこのnoteを運営する株式会社ピースオブケイクの一室。会議用の椅子に、普段は会議で使われているであろうプロジェクターとスクリーン。なんだか学校の視聴覚室で観た映画教室みたいな雰囲気にいきなり面食らってしまう。ただこの試みは面白い。ただ試写会に呼ぶのではなくてそもそもnoteユーザーなのだから、自然と口コミの喚起が出来る。それがどんな評価であれ少なくても知名度は上がっていく。例えばいつかInstagramでインフルエンサーだけの試写会とかも開催されるかもしれない。いや、もうされているかもしれないけれど。
おかげさまで書くつもりもなかったのにこうして感想を書く次第。

作品は「メランコリック」
約2時間の映画
その後に、映像制作集団の3人と配給のアップリンク代表浅井さんがMCでのトークイベントが1時間というボリュームだった。

映画の内容は、東大卒のフリーターである主人公が小さなキッカケで銭湯でバイトをすることになる。その銭湯には隠されたもう一つの仕事があって、それが殺人請負だったという話。
善悪の倫理観だとか、正義の所在などは、あえて触れず。
主人公のそれを取り巻く人々を通じて、ただ正直である人の滑稽とも言えるような転がり方を描いていた。
刹那とも言えるような幸せについてを中心に置いていた。

トークイベントの冒頭で、浅井さんが選挙シーズンという事もあって、若者の貧困でもあるんだなぁという話を、「愛がなんだ」の金麦の話にちなんでされていたけれど、それはあんまり関係ないんじゃないかと思う。
自分の知る限り、先輩たちの話や、昔の映画を観る限り、大昔から若者は貧しいのだ。どの時代においても。どの国においても。
若者の貧しさは様々な映画を生んできた。ある種のパターンでもあると思う。
だから自分は、今、自殺の数を若者の貧しさを原因としている風潮はとても違和感を感じていて、そんなことじゃなくて若者が自殺に走る原因というのはもっとちゃんと考えないとあぶねぇぜと思っている。豊かだからこそ「命」が軽くなっているような嫌な感覚があって、むしろ若者の貧しさよりも、命が軽くなっていることの象徴のような映画なんじゃないかとさえ思っていた。
主人公の彼は、場合によってはいとも簡単に自分の命をたつような人だった。

印象に残るシーンは嫉妬だ。
女の子の話に、少し先に行く同僚に、出世した同級生に嫉妬する。
いちいち、小さな人間です!とばかりに嫉妬を繰り返す。
自分が既に手にしているものの素晴らしさには気付かないままだ。
むしろこれがメインだったんじゃないかと思うほどだ。
メランコリックよりも「ジェラ」のほうがあってると思うぐらいだ。

トークイベントで。
数日前に自分がnoteに書いた「海外ではシナリオを書く時に三部構成が基本と教えている」と書いたばかりなのに、その海外でシナリオを勉強してきて、三部構成にしているという話をされたときは、なんだか不思議な気分になった。それ、おれ、書いたばかりなんよ!とか言い出しかけた。

その後、観覧者の質疑応答に移行した。
浅井さんはとても上手に観客から質問を引き出されていて、なるほどなぁと感心した。
質問の多くは当たり前だけれど、作品についての質問ばかりだった。
実は、自分はその質問の殆どに興味がなかった。
それは仕方がない。自分は製作する側でもあるのだから。
それに作品のそういう部分は想像で埋めることが自分はきっと大好きなのだから。ただ自分が聞きたいことが一つあって。それがあまりにも、作品への質問ばかりだから、ちょっと空気が違うなと思って挙手しないままだった。

聞きたかったことは「映像制作集団」とは?ということだ。
昔からそう名乗る団体はあるのだけれど、近年においては少し意味が違ってきたように思える。それは映像のデジタル化によってフィルム時代とは格段に時間的制約も金銭的制約もなくなっていることで、作品の製作がしやすくなっていることもある。
それに加えて、映画の専門学校などが増えたことで、年々増える卒業生たちが、映像制作集団を卒業後に結成するというケースが増えている事。
これはかつての、各大学にあった演劇サークルが劇団を結成していった動きにとってもよく似ているよなぁと思っている。
そのうち日芸系とか、バンタン系とか、そういうカテゴライズまでされそうな勢いだなぁとさえ思っている。

「メランコリック」も普段は働いて、休日の週末を利用して撮影をしたのだそうだ。役者の髪の毛も伸びるし、途中で怪我をするかもしれないし、季節が変われば日中の陽射も変わり映りが変わるし、最近のように毎週末雨天なんてこともありえるのだからリスクも高い。
けれど、生活レベルや金銭的な意味でのリスクは回避できる。
そして、そういうプロセスでも映画製作できる時代になっているという事だ。miniDVの時代でさえ、こういうスケジュールは難しかったと思う。

そんな中生まれてくる、映像制作集団とは何なのだろうか?
劇団にとても似ていると思う。
劇団にも演出家の特色、作家の特色に加えて、その劇団の持つ特色がある。
この作品は第一作目の長編だと思うのだけれど、どこからが監督の特色で、どこからが集団としての特色だと思っているだろう?そして、どんな風に映像制作集団として活動を続けていくのだろう?
そんなことを聞いてみたいなぁと思ったのだ。

もちろんあっけなく一作目以降はないのかもしれないし。
監督が、依頼されて作品を発表されたり、浅井さんが質問したように脚本だけを書くようになったりも、あっさりと受け入れていくのかもしれない。
とにかく一本!という意味だった可能性もあるから、どんな答えだったのか今は知る由もない。

ただ自分の中で。
劇作という活動の中で、もっともっとシームレスに活動できないか検討を続けている。舞台も映像も、作品を製作し続けるような団体ということは可能なのか、考えている。
それは劇団でありながら長編映画を製作して、たくさんの可能性を知ったからだ。
間違いなく面白いものが出来る。
それにしては足りないものが多すぎるのだけれど。

そういえば客席にセブンガールズの出演者が来てるとか、浅井さんが気付いたりすることってあるのかな?何度かすれ違っただけだけれど。
実はアップリンク吉祥寺のオープン前の上映だったから、結局ちゃんと挨拶を出来ていない。

そんなことをもろもろと考えながら電車に揺られて。
最寄り駅を降りたら、パラパラと相変わらずの雨が降ってきた。
やれやれだ。
まったく今年はよく降る。いつまで降るのだろう?

星の見えぬ曇天の夜空を見上げて。
こっちがメランコリック(憂鬱)になるぜとつぶやく。

ベンチャー企業のオフィスで試写を観て。
皆、幸せであるといいよなぁと感じた夜。

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小野寺隆一

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素直に受け取ります
1973.3.31生 俳優やらバンドやら創作やら かっこわるい感じで いつかの紙のノートは段ボールに眠ったまま 今もそう大して変わりゃしないけど 新しいノートがあるんだってさ あんなこと公開されたら恥ずかしいわい 映画創ろうと画策中