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誰が地獄へ行くのか?6.人間は誇ることができない

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  人間の死後の命の終着地である地獄の実態は、聖書を知らなければわからない。どんな人が賢いのだろうか?自分が死ねばどこに行き、どんなに苦しんで、”永遠”を送るかを知りながら生きる人である。自分が賢く、偉いと自慢するのか?彼が自慢すればその自慢がどのくらい長く続くだろうか?人の若さはどのくらい長く続くのか?
 人間で生まれ、もっとも華麗な生き方を誇るソロモン王は人生についての哲学を話した。

『太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、だれにでも同じひとつのことが臨むこと、その上、生きてる間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後は死ぬことだけだということ。命あるもののうちに数えられていればまだ安心だ。犬でも生きていれば、死んだ獅子よりましだ。生きているものは少なくとも知っている。自分はやがて死ぬ、ということを。しかし、死者はもう何一つ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく、彼らの名は忘れられる。』雅歌9:3-5


人間は、自分の計画通りに生きることはできない。

『人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。』雅歌9:12
人は死ぬとき、何も持って行けない。

『彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た、何物をもその手に携えて行くことができない。これもまたひどい悪である。来た時と同じように、行かざるを得ない。風のために労する者になんの益があるか。』雅歌5:15,16 

 人々がなぜ聖書を嫌がるでしょうか?神様は人生をこのように否定的に思っておられるからである。しかし、人々はこの世で、いつまでも生きて暮らせるかのように、罪を水のように飲みながら生きている。

 このように悪魔は、人間に貪欲や欲情と自己満足のために人生を尽きてしまうようにそそのかすからである。

 神様は、悪魔と彼のしもべたちにたった一つも譲ったことや許した事はない。人が栄華のうちにいても真理を悟れないものは滅亡する獣たちに等しいとおおせられた。(詩篇49:12,20)

 

 ソロモン王が下した人生についての哲学は、全ての哲学者の理論を静まらせるのに十分だ。


著:イ・ソンオ牧師(Seoul Bible Baptist Church) 『誰が地獄に行くのか?』

こちらの記事はイ・ソンオ牧師著の『誰が地獄に行くのか?』を日本語に訳したものです。全7章のうち、今回は第6章『人間は誇ることができない』の翻訳を載せました。

次回の記事→最終章『罪に対する刑罰は直に地獄の刑罰に繋がる』※少々お待ち下さい

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