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大西書評堂#5 「何を見ても何かを思いだす」と「静けさ」

アーネスト・ヘミングウェイ「何を見ても何かを思いだす」(高見浩訳)

・あらすじ
 受賞したその小説を読んで、父は驚いていた。「どんなにいい出来かわかってるかい?」と息子に尋ねる。息子のほうでは「パパには見せたくなかったな」と言う。「お母さんが勝手に送ったのは心外だったな」とも言う。息子ははっきりしない態度で、しかし嬉しそうにしている。父のほうではじつに驚いていた。息子の小説を素晴らしい作品だと評していた。父は創作について尋ねる。どれくらいかかったんだ?――そんなにかからなかったな。どこでこのカモメについて知った?――たぶんパパが話してたよ。父はやはり驚いている。息子が書けたことについて心動かされている。
「とにかく、素晴らしいストーリーだった。ずいぶん昔に読んだ小説を思い出したよ」
「きっと、何を読んだり見たりしても、何かを思いだすんじゃない、パパは」

 十歳でこれほど書けるやつはいなかったな、と父は思う。私自身もこれほどには書けなかった、とも思う。
 それで言えば、十歳でこれほどクレー射撃がうまいやつもいなかった。協議会で卓越した射撃を披露していた。十二歳になると、息子は一目置かれる存在になっていた。息子の番になると見物人たちは固唾をのんで見守った。二連銃を担いコンクリート床の射撃場に出ていく。肩に銃床が当たっているか確認する。
「準備よし」少年とは思えないしわがれた声でそう言う。
 そして鳩が飛ぶ。青い中空でがくっと首を落とす。
 戻るときには「よかったぞ」と方々から声が上がる。しかし息子は認めていなかった。「もっと早く仕留めなきゃいけなかったのに」
「おまえはよくやっているとも」父はそうねぎらいの言葉をかける。
「ぼく、またスピードをとりもどすから。心配しないで」
 そして息子は撃った。鳩は飛翔し始めたすぐのところで落とされた。そしてもう一発の弾丸が、落ちていくそいつをまた撃ち抜いた。

 競技会が終わったあとに、「どうして打ち損じるひとがいるのかわからないよ」と息子は言った。
「いいか、そんなことは決して他人に言っちゃいかん」
「でも本当にわからないんだ。生意気なこと言ったんだったらごめんね」
「いいんだ。ただ、他人には絶対に言わんことだ」
 息子が素質に恵まれているのはたしかだった。しかし、父の訓練がなければあそこまで到達することも不可能だった。息子は訓練のことをきれいさっぱり忘れてしまっていたのだ。射撃直前の姿勢について指摘したり、打ち身のあとを見て悪癖を直してやったりしたのだが。


 息子が二作品目を見せることはついぞなかった。満足のいくレベルに仕上がらなかったのだと言う。うまくできたらまたパパに送るから、と。
 父が息子の小説を再読したのは七年後のことだった。ひと目見て、過去に読んだ小説の記憶が鮮明に立ち返ってきた。ある作家の短編集を見てみると、一語一句変わらない文章がそこにはあった。息子はタイトルもそのまま、剽窃をしていたのだった。
 あの夏からいままで、息子はろくでなしだったな、と父は思う。病気にもかかったが、それだけじゃないだろう。
 結局、息子は終始だめな男だったということを、父は思い知らされた。あの射撃の訓練が何の意味にもならなかったと悟るのは悲しいきわみだった。

・感想
 フィッツジェラルド。アリス・マンロー。ドストエフスキー。僕の好きな作家はこのあたりだ。そして、アーネスト・ヘミングウェイは僕が最も好きな作家の一人だ。彼の描く、輪郭のはっきりとした文章は人を惹きつける不思議な魅力に溢れている。ナイフのように鋭く、怒りの悲しみとも言えるような男の孤独を描くさまは、時代を超えて読み継がれる古典となっている。
 そして、もう一人の最も好きな作家が、このあとに続くカーヴァーだ。

・冬
 この季節になると、景色のすべてが克明になるようだ。灰色に濁った枝葉を見ていると、冬の太陽を感じることがある。
 僕は暖かいのが好きで、寒いと気が滅入ってしまうのだが、冬特有の弱い日差しがことの一切を変えてしまうさまには心を打たれる。

レイモンド・カーヴァー「静けさ」(村上春樹訳)

・あらすじ
 私は散髪をしていた。床屋が私の髪を切っていて、三人の客が座って待っている。老人、男、新聞を読む男。私は男の顔を知っているような気がする。あとに、銀行で守衛をしている男の姿を思い出す。
 床屋が守衛に向かって訊ねる。「鹿はもう仕留めたかね?」
「それがアホな話なんだ」そう守衛は言う。
「答えはイエスでもあり、ノオでもある」続けてそう言う。私は守衛の声が気に入らない。風貌とまったく似合っていないように聞こえる。他の二人の客はそれぞれ守衛の話を聞こうとしている。
「もっと聞かせてほしいな」床屋が言う。
 守衛は話してみせる。「俺と、ばかな息子と、親父の三人で狩りに行った。親父だけ別で、俺たちは一緒に動いた。息子はずっとへたれてた。水をのんで、俺の水までのみやがった。そうして、枯れ谷の上部で待っていると、下のほうから銃声が聞こえてきた」
「あそこには果樹園があるな」新聞を読んでいる男は言った。
「そのとおり」守衛は話す。「俺たちは銃声を聞いて、鹿がこちらへ逃げてくるのを待っていた。すると、でっかい鹿がぴょんと跳ねてきた。俺が見ると同時に、息子も当然それを見た。で、息子は泡食ってばんばん撃ち始めた。大鹿にとっちゃそんなのへのかっぱさ。一発だって当たりゃしない。俺は狙いをすませて一発ぶちこんだ」
 しかし、守衛は仕留めきれなかった。息子がばかすか撃ちまくって、混沌していたためだ。鹿はがくんと来ていたものの、仕留めることはできなかった。

 それでどうなったんだ、と新聞の男は訊いた。「追っかけたんだろう。あいつらはわかりにくいところで死ぬからな」

「でもあんた、その鹿を追った?」老人がそう訊く。

 守衛は、もちろん追った、と話す。ただ息子が気分を悪くして、結局うまくいかなかった。「あのドジ野郎が」と笑って言う。
「わかりにくい場所をえらんで死ぬんだよな、あいつら」と新聞の男が言う。
「俺は息子を叱ってやった。口答えしてきたから、一発ぶん殴ってやった。ここんとこをさ」守衛は頭の横を指さしてニヤッと笑う。
「それで、追っかけてるうちに日が暮れちまった。餓鬼がげえげえ吐いているうちにだよ」
「いまごろコヨーテの餌だな」新聞の男はそう言う。
「ああそんなとこだろうな」守衛は言う。

 守衛の話が終わると、老人は、散発してくらいなら山に行って探して来たらどうだ、と話す。
「おい、なんだ、その言い草は」守衛は言う。「あんたどこかで見た顔だな」
「わしもあんたのことを知ってるよ」
 床屋が「あんたがたもうやめてくれ」と言う。
「あんたこそ殴られたほうがいいみたいだぞ」と、老人。
「面白れえや、やってみろって」
「もうよすんだ」床屋はそう言う。
 新聞の男も顔を紅潮させている。

 床屋は私の肩に両手を乗せて話していた。
 もうやめるように、と。床屋は男たちをいさめた。
 それで、守衛が帰っていった。老人も床屋に詫びを入れて、帰っていった。床屋は老人について肺気腫なのだと話す。もう先が長くないんだ、と。
 新聞の男は落ち着かない様子で、うろうろしたあと、帰っていった。
「さて」と床屋は言う。「あんたはどうします?」と。まるで私がすべての原因であるみたいに。

 床屋はぴたっと私の顔に両手をくっつけ、二人で鏡をのぞき込んでいた。
 それから私の髪を指で梳いていた。恋人がやるみたいに丁寧に。
 私はべつの町で、そのときのことを思い出していた。私が女房と暮らし始めたころのことを。その朝、床屋の椅子の上で、町を出る決心をしたことを。私は思い出していた。床屋に髪を梳かれていたときに、私が感じた静けさのことを。

・感想
 カーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』を翻訳した村上春樹は、訳者あとがきにて「執筆の源泉である小説」について語っている。彼にとっての源泉がマッカラーズやチャンドラー、フィッツジェラルドであるように、僕の源泉はヘミングウェイとレイモンド・カーヴァーだ。彼らの作品を読んでいると、ときどきたまらなくなってしまう。
 そういうことだから、カーヴァーは当然僕がもっとも好きな作家のひとりに数えられる。これからもカーヴァーの作品について紹介をしていきたい。が、カーヴァーの魅力を、あらすじのフィルターを通して伝えることはとても難しい。彼の作品はジェンガの塔のようで、どこを省いてもすぐばらばらと崩れてしまう気がするのだ。ううむ。みなさんに本物を読んでいただけると手っ取り早いのだが。

・音楽
「ウェス・モンゴメリーが好きだ」
という話はもうすでにしてしまったような気がする。今日は彼のアルバム、『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を聞きながらこれを書いていた。冬、というよりは乾いた空気に似合う音楽なのではないか。
 クリスマス・シーズンで、「レット・イット・スノウ」なんかも最高なのだが、ウェスを聞いてもべつにばちは当たらないだろう。

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