最近、贅沢してんの?贅沢のすすめ

贅沢というのは、高価なものを買うことではない。それを贅沢と呼ぶ人もいるがオレはそうは思わない。じゃあなにか。贅沢とは「至福を味わうこと」である。

至福を味わうためのコツが最近分かってきたので、ここに記しておく。つまり、贅沢のコツ。ポイントになるのは「わざわざやる」である。

例えば旅行に出かけるとする。別に行かなくても生きていくに支障ないことを、楽しみやストレス発散のためだと言って、人は「わざわざ」遠くへでかけるのである。旅先で味わう、至福の時間とは、わざわざ出かけてきたことに、その価値を増す。

風呂も家で入れるものを、わざわざ銭湯や温泉に出かける。湯船に浸かって「いやぁこりゃ極楽かな」と至福をなめる。わざわざ出かけてきたからこその贅沢なのだ。

他にも、贅沢は味わえる。そんなにお金をかけずにできる。わざわざやってみるのだ。オレは魚釣りをするが、魚なんてスーパーに行けば小銭出して買える。しかも、鮮度も大きさも良いものが手に入る。それでも、わざわざ魚を自分で釣るのは、それが贅沢だからにほかならない。

自分で釣り上げた魚を、わざわざ自分で捌く。そして料理して食した時の味わい。モノは小さくとも、ただスーパーで買った魚を食べるよりも、何倍も美味しく感じる。これこそ、至福の時間なのだ。わざわざ時間をかけることで、やることの価値や喜びは何倍にも膨れ上がる。

家に物置棚が必要な時は、家具屋で買わずに、わざわざホームセンターに出かけて、わざわざ木材をカットしてもらって、わざわざ自分で組み立てて作ってみる。見た目のデザインや、強度は既製品のそれに劣ろうとも、家に備え付けたときの喜びは比較にならない。これぞ至福の瞬間であり、贅沢と呼べるものじゃないだろうか。

最近、贅沢してないなぁ、至福を味わってないなぁ、そんな時の自分はだいたい「わざわざ」やってない。

文明はオレたちの生活から「わざわざ」を、奪い続けてきたし、これからも奪い続けていくだろう。例えば、スイッチひとつで炊飯だって、洗濯だって、コンロの火だってつく。何事も時短時短で、わざわざやるべきことは減っていく。

そしてもちろんそれは、悪いことではなく、便利になった事が生活にもたらした恩恵は凄まじく、オレもそれをありがたく頂戴しつつ、日々を過ごしている。

だがしかし、便利にまかせて「わざわざやる」を削りすぎては、目の前の贅沢を取りこぼしてしまう。たまにはあえてやってみるのもいい。魚を釣るでも、ベランダ菜園で野菜を作るでも、マフラーを編むでも、インテリアを作るでも、わざわざや時間をかけてることで、作り出したものへの愛着や、仕上げた時の喜びに触れられる。既製品買うより、金も使わずに済む。そして、それが至福の時間をもたらす。贅沢ってたぶん、そういうこと。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ