見出し画像

まじめに、なまける

  自分でもイヤになるくらい、性根がまじめで、むだに力みがちで、よく失敗する、だから、気張りすぎないように。そういう思いから、ひねり出したスローガンが「まじめに、なまける」だった。

 そう、「なまける」ことに対して「まじめ」になろうよ、という自身への提案である。まじめという性質を邪魔せずに、そのベクトルをまなけるに向けさせるのは我ながらいい言葉を見つけたろ思う。

 なんでこんなことを書いてるのかといえば、わざわざ平田さんが説明することに近いなぁ、とふと思ったから。「力みは不要」。むしろ、力みが周りへの負担に感じられてしまうこともある。

 「楽に、楽しく」は、ブログ継続をはじめ、地域の各プロジェクトを進めるうえでも、かかわるみんなに意識してもらおうと意識してること。

 ボクは”性悪説”で生きてるのもあり、メリットや恐怖がなければ「人は動かない」があたりまえだと思っている。そもそもが、みんな、高尚でうつくしい理想だけでは動かない(それぞれ、自分の目の前の暮らしがあるわけだし)。

 想いだけがあってもダメなのだ。

 ただのボランティアでやってられるかよ、というのがボクの感覚であり、だからこそ、仕事として、また金銭発生しなくても経験や繋がりなどの無形の報酬がないといけんなと考え、組織と事業のマネジメントに取り組んでいるつもりでございます。

 逆に、ずっと善意でやっているような人をみると、「この人、溜めこんでるんじゃないか?」と疑ってしまうほどである(もちろん、そういうのが好きな人もいるのも一つの事実であるとは思うが...)。

 だから、先ほどの「楽に、楽しく」なわけで、「地域のために」とかいいながら、その運営にかかわる人たちが何かを犠牲にしてただただ疲弊していく姿は見たくない。何よりボクがそれに消耗されたくない。

 無駄は省く、言い換えれば、より効率的に省エネでまわる仕組みをさがす。

 ボク自身の話でいえば、人付き合いで消耗するから「どうでもいい人に会いたくない」という理由で物理的に人に会いにくい鳥取へ移ってきたし、「家からあまり出たくない」という理由で働き方をととのえて家でも仕事ができる”住職一体”の家づくりを進めていたりする。

 気持ちだけでどうにもならんものが多すぎるので、仕組み(生活環境)から変えねば(飛び込まねば)と、自分を詰めた結果であるし、これらはただただ「まじめに、なまける」の追求だと思っている。

 そもそも「この世は地獄で苦しいのが当たり前」な人生である。だもんで、マイナスからはじまる苦しさ(ストレス)をいかに0に近づけられるか、が日々の問答であり勝負であり、万が一兆が一、その値がプラス1以上にでもなればラッキー!万々歳!! というふうに理解してしてる。

 その実践のためには、自分の性質をちゃんと受け入れ、湧きたつ「めんどくせぇよ」に嘘つかず、「鼻血が出るくらいつねに100%力まないとやってやれない!」ようなことを”明らめて””諦めて”しまったほういい。それと、自分を覆い囲む「そもそも」のルール前提を、古畑任三郎のような目つきと手つきで疑ってみたり。

 平田さんの成し遂げてることに比べると、今ボクがやってることはクッソちっぽけなことではあるけど、「(むやみやたらに)がんばらないために(仕組みづくりを)がんばる」こと、「まじめに、なまける」ことは、ボクにとっての、健やかでのびやかな生存戦略なのである。


もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。