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泣いても笑っても

 「泣いても笑っても、これでおしまい」
祖母が、子供の頃よく掛けてくれた言葉。なぜか今になってから、思い出すようになった。
 たとえば、スイカを食べた時。柿を食べた時。畑で作れるものを作っていたので、その時採れたものを味わえた。「もう今年はそれで最後」という時に、言われた。今食べているもので終わりだから、駄々をこねても出てこないよ、と言いたかったのかもしれない。そう言われると、もうしばらく食べられないんだなと思って妙に慎重に食べたような気がする。
 この機会を逃すと、二度とこのチャンスはないという状況は、人生では何度もめぐってくるだろう。仕事、学校、恋愛や何かの発表、スポーツでの活動でそれは起こるかもしれない。過ぎてしまってから、あれはすごいチャンスだったのだと気づくこともあるだろう。
 その場面に出くわしたとき、自分は後で納得いくように動けるだろうか。私は緊張するし、度胸もない。学生時代は吹奏楽部に入っていたのだが、文化祭で体育館のステージで演奏したときの緊張感が忘れられない。観客がほとんど知らない人ばかりのコンクールや地域のコンサートは緊張しなかったが、知っている人が多く見ている場では、頭が真っ白になるほど緊張した。司会など、いま考えても出来なかっただろう。
 大きな決断をするとき、自分にとって「正解」と思えるものを選びたいと思う。長い目で考えることは必要と思うが、突然何かを決断することになったら、まずは損しないようにと慌てそうだ。
 向田邦子さんのエッセイで、白か黒か、丁か半かを決めることについて書かれたものがあったと思う。向田さんも苦手だったので、せっかちなお父さんからよく怒られたとか。私もそうだ、と思う。物事を決めるのが早い人は、子供の頃から早かったのだろう。その人特有の勘があるのだと思う。
 祖母の話に戻るが、祖母は戦争を経験していた。食べるものがなくて困った話はよく聞いた。泣いても笑っても〜は、祖母も子供の頃、そうやって言われていたのだろうか。今考えると、そうやって自分に言い聞かせていたのかもしれない。そのとき味わえるものは最後だと思って頂く。次、食べられる機会があれば感謝しよう。そういう気持ちは、平和な今の日本では薄れているような気がする。


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