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夏の中村橋が悪夢にならなかったのは理科のおかげ

勉強ができたのである。特に理科。中学3年の2学期の中間、期末、そして3学期の期末の計3回ですべて100点だった。

「坂本〜!テスト取りに来て〜」
「あ、はい!」
「お前すげーじゃん!でもおっかしいな〜そんな簡単かなぁ」
理科の女教師・坂東は、胸まで伸びた縮毛矯正の髪を触りながら私に目を向ける。そのまま「ん〜」と首を傾げ黒板の方を向き、頭をかく。再度こちらへ振り返るとニヤニヤ顔だ。変な教師だった。

坂東は椿鬼奴みたいなやつだ。中学1年からずっと私たちの学年に理科を教えていたその教師は、なんとなくだらしなく、酒やタバコが好きだと公言し、声も掠れている。生徒に深入りすることもなく、適当に流しながら授業をしている。

ただ、その適当さが面白くて、私はなんとなく授業が好きだった。そして、テストで何が出るかもわかりやすい。なぜなら宿題として出されるプリントがそのまま出るから。本当に適当なのだ。

私はこの坂東が作るテストに救われていた。この教師が作るテストで90点を下回ったことがなく、そのおかげで私は自己肯定感を保てていたのだ。

それは、中学2年の夏だった。中学1年の冬〜中学2年の春に、スクールカーストの上位とソリが合わなくなってしまった私は、どんどんと孤立していった。近くにいた友達は離れ、夏休みの予定が0になった。

それでも部活の練習は週3日ほどあるから、群馬にいる祖父母の家に逃げるわけにもいかず、共働きの両親は日中家にいない。兄も毎日部活で出かけていた。本当に一人だった。

元来まじめな私は、夏休みの宿題に早々に取り組んだ。その中に、美術館に行って絵を鑑賞しようというものがあった。そこで、中村橋にある美術館まで自転車を走らせた。

中村橋は自分の学区ではなかったため、ほとんど来たことがない。ただ、まったく来たことがないわけではなかったので、なんとかなるだろうと思っていた。

ところが迷ってしまった。自分がどこにいるかわからず、大きな通りに出るためにどっちに行けばいいかわからない。そしてよくわからない地下道に迷い込んでしまい、自転車を押しながらトボトボと歩いた。今、薄緑色の地下道で迷子になっていることを客観的に考えて、「友達がいれば迷子にもならないのかな」と思った。くやしくて涙が出た。

夏休みが終わり、学校が始まっても状況は変わらなかった。ただ、中学2年の2学期の中間テストで理科だけ90点台を叩き出した。坂東から「はい♡」と笑顔でテストを返されたことを覚えている。友達から嫌われていると悩んでいた自分にとって、その坂東の意味不明なぶりっことも思える表情に、なんだか勇気をもらえたりしたのだ。

そこから先、「勉強はできる」という印象を周りから持たれるようになった。そして、ギャルのミキから「一緒に勉強しようぜ〜」と遊びに誘われることにも繋がったのだ。もちろん、ミキとは勉強することなどほとんどなく、話していてあっという間に帰宅時間になるのだけど。

ミキはいう。「中学のやつらに会うのだるいから、中村橋のマック行こうよ」。迷子になった中村橋に、今度は友達と、親友と行く機会を得たのである。顕微鏡だのプレパラートだのアルコールランプだのの使い方を覚えてテストで高得点をとったことで、私は親友も引き寄せたのだ。

中村橋の夏の悪夢は、理科で高得点がとれたから悪夢にならなくてすんだようだ。坂東の作る簡単なテストが、背中を押してくれたのだった。


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