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過去と未来のハイブリッドで今をつくる│書籍「子どもはミライだ!」感想

こんにちは。おかゆです。
ストレングスファインダーやMBTI、音楽、アートなどを通じて多角的に自己理解を深めています。

今回は、読書感想を綴っていきます。

先日ご紹介した、映画「夢みる小学校」の自主上映会場で販売していた書籍
子どもはミライだ!」という本です。
同映画の監督である、オオタヴィンさんの著作です。

この本👇


夢みる小学校、観ながら4回くらい泣きましたね…あの感動は忘れられません。映画の感想はこちら👇

それでは、書籍を通じて、レッツ自己理解!🐧💨



著者・オオタさんの優しさ溢れる作品たち

オオタさんが作られた映画が今まで3作あって、1作目が「いただきます」2作目が「いただきます2」3作目が「夢みる小学校」です。
この本の中では、その3作+オオタさん自身のご経験や世界観、描いている未来について、全5章の構成で書かれています。

読後の全体感としては…とても温かみの溢れる内容でした。

「いただきます」の映画を見たお客さんの感想として

「なぜか涙が出てきました」
「子供と一緒に見に行った後、味噌を作りたいと興味を持ってくれた」
「迷っていたけれど、農家になる後押しになった」

と、感動の声がたくさんあったそうです。

また、実際に直接オオタさんに感想をくださった方との不思議なやりとりについても。

女性「この映画のカメラマンさんは、どなたですか?」
オオタさん「私ですね」
女性「あ、では監督さんが女性なのですか?」
オオタさん「私ですね!」

と、女性につくられた、と思われることがあったようです。
確かに書籍の文体も、女性性といいますか、感情に寄り添った柔らかさ・寛容さを感じるものがありました。

オオタさんご自身がおっしゃってるのが

"現在の日本ではまだマイナーとされている題材(でも持続可能な社会には大切なもの)を堂々と優しくエモーショナルに伝えたい。僕の映画はドキュメンタリー映画なんだけど、ちょっと詩的な語り口なんですよね。これをポエトリー・ドキュメンタリーと命名しました。"

と。なので、女性が撮ったんですかと言われるような、詩的で感性豊かな作風が伝わってくるものだったのでしょう。(私は、いただきますの作品自体はまだ見ていません)

子どもたちの自然体が映された、オオタさんご自身の柔らかな雰囲気があらわされている映画であり書籍 なのだと思います。

個人的な感動ポイント

全5章を読み進める中で、たくさんの感動するポイントがありました。
今回はいくつかピックアップしてお伝えしていきますね。

1│美術作品のような構成

この一冊の本が、美術作品が集まったコレクション のように思いました。
1つの章が始まる時に、オオタさんが撮影した写真・ポスター・イラストが数ページ載っていて、その後に文章で深く語る構成になっています。

最初にビジュアルで世界観を示して想像が膨らみ、後から解説をもらう、というのが美術館に近いと思ったんですよね。

どこまで意図されてるかわからないんですが、写真やイラストで伝えてくれるのは、共通認識というのかな、世界観の共有を感じました。

2-1│その土地のものを食べる大切さ

第一章・第二章で「いただきます」と「いただきます2」について書かれていて。"日本人の健康は、和食に全てがつまっている"というメッセージと受け取りました。

日本人のオリンピック選手の例をあげましょう。
スポーツ選手はトレーニング・睡眠など様々な観点から健康を管理されていると思いますが、ある競技の日本人選手の食事は和食で構成されていた、ということが書かれていました。

ご飯、味噌汁、納豆、有機野菜。

生まれたその土地で育ったものが体に合う。それは生物としてすごく理にかなっていることだと思いました。

例えば、ドイツ人と日本人の比較。
欧州はパンやパスタなど、小麦の文化ですよね。"ドイツパン"と我々が呼んでる硬い丸いパンは、本場では更に水分量が少なくてガチガチです。
ドイツ人は日本人に比べて唾液量が多い。その風土に適した体温調整や適応が必要で遺伝的に唾液量が多い性質のようです。

民族として唾液量が多い、という性質があるから、パンも水分量が多いものよりは硬い方が噛み締めて食感を楽しめる、それがドイツパン。

一方で、日本人は米文化で、米は水を含ませて炊くので柔らかい。この文化は遥か昔、縄文時代から始まったことです。
日本人には"白もの"は体に合わないと言われています。
小麦・精製糖(白い砂糖)・牛乳ですね。
それよりは、米・味噌汁・豆・魚 が合う、と書かれており、確かにと納得しました。(栄養士からも聞いたことがあるので、食界隈では有名な話)

海外旅行に行くと、現地のご飯も美味しいんですが、途中からなぜか納豆が恋しくなる。笑
私は海外だと台湾・ドイツに行ったことがあります。現地の料理はとても美味しくお酒も楽しめたので否定ではないのですが、日常的に体を作るための食は、体質・遺伝的にあったものを摂取するのが健康に近づく方法なのだなと思いました。

日本の食文化は、味噌・醤油・日本酒など、発酵と共にありました。
私は大学で食品化学を学んでいたので、この一冊を読んだから感化されているのではなくて、きちんと学術的に生化学・栄養生理学・食品化学など学んだ上で、確かにそうだと、紐づくことがありました。

2-2│食卓までのたくさんの命に「いただきます」

あとは自分たちで作る ことも大事だと思いました。

野菜は畑からとれる。
土に種を蒔いたり、苗木を植えたり、水を撒いたり。
収穫され、食卓に届くまでにたくさんの人が関わる過程があります。

食卓に並んでる食材がどのようにここまで届けられたのか、ということを知らない状態で育ってしまうと

「魚は切り身で海の中を泳いでるんだよね」
「野菜はスーパーに置かれてるものだよね」

と、目の前のことで終わってしまうのです。
その裏側では人が関わっている、という事実がある。

農家さんが汗水流して、土を耕し、水をやり、雨に悩み…いろんな人の手を渡ってここに並んでる。
そう考えると、やはり"いただきます"って祈りだと思うんですよね。
生命への感謝。

あなたは食卓で、何を考えますか?
今食べてるものは、どういう文化でこういう味付けや具材の組み合わせになったのかな。どんな人が作ったのかな、という過程を知るのはすごく大事だと思います。

ご家庭でお父さん、お母さん、一緒に住んでいる方が作ってくれた料理は、ポンって出てくるわけではないですよね。(レトルトもあるけれど)

食材をどこかで買って、もしかしたら育てて、調理して、味付けて、盛り付け。という手間をかけて食卓に並ぶのは、誰かの手が加わってる。
誰かの思いやり、愛情が入っている。手間がかかった分は、誰かの時間、つまり命がかかっている。

食材という他の生き物の命、作り手の命も含めて、"いただきます"。なんですよね。(小さい子に、時間は命だよとか言っちゃうと酷かもしれないけど)

過程を知ることは、温かい大人に育つ大切なことなのではないかと、思いました。

私は食育にも関心がありまして。
学生時代、小学生向け食育のインターンにいきました。
子どもたちが活き活きと歴史を調べ、食材を買いに行き、調理する様子は、すごく楽しそうでしたね。

ただお店に食べに行くよりも、自分たちで調べて、作って、食べて、また問いが生まれる。これは、必ず思い出として残る。記憶だけでなく五感で。

そしてもしかしたら、この国の食文化好きだなっと、料理に目覚めるかもしれないし、海外が好きになって海外旅行にがんがん行くようなフットワークが軽い子になるかもしれない。
好きが広がるきっかけになるんじゃないかなって思います。
食は生活に身近な科学であり、文化。私はだから、食分野が好きですね。

3-1│マイノリティは才能だ

3章で紹介された、夢みる小学校。私が先日みた映画ですね。

書籍を通じて改めて、監督のオオタさんの想い、きのくにこどもの村学園の創始者・堀さんの想いが、すごく伝わりましたね。特にオオタさんご自身の過去と今が繋がって、心打たれました。

オオタさんは小学校の時に先生から「落ち着きがない」と言われていた。図工と国語以外の教科はすべて嫌いで、つまらなくて教室でじっと座っていられなかった。今だったらADHDと言われていたかもしれない。
「中学は特別学級行った方がいいんじゃないですか?」と勧められる状況だったそうです。

というご経験から、こどもの村を取材して「自分が通いたかった」と思われた。

こどもの村では、"発達障害"と診断されたお子さんが何人も入学されています。その入学に際し、一つだけ条件があります。
それは、"薬を飲むのをやめる"ということ。

堀さんは、

「薬で大人しくなっても、それは教育じゃありませんよね」

と。子どもからしたら、ただつまらないから楽しめない。楽しめないから座っていられなくて、歩き回る。物凄く興味があるから、いっぱい質問をする。

それはその子にとって自然なことであって、周りが管理するために画一的に押し込めようとしているだけ。そのために薬を飲まなきゃいけない。

他の生き物で例えると。
魚は水中で生きることを選択したので、呼吸法は鰓呼吸。なのに地上に連れてこられて、地上生物に「肺呼吸しなさい」と急に言われてしまった。
ここは肺呼吸だから、これつけて、と装置を渡される。

その、他者の普通を理解しようとせず抑制する、というのが、私はすごく嫌ですね。

誰しも何かしらのマイノリティである。
たまたまその環境に合わなかった、というだけで"障害"と言われてしまうのは、障害ってなんだろう?と。

状況によってさまざまな対応があり得ると思いますが、本当にそれってその子にとって適切なのか?
大人側も考える必要があるのかなと、思いました。

また、天才とマイノリティについて、下記のようにも書かれていました。

"アインシュタインくんが現代の日本に生まれていたら、アインシュタインくんの輝く才能は潰されてたかもしれないね"

"エジソンは担任の先生から「君の頭は腐ってる」と言われて、小学校を3ヶ月で退学させられた。

ダーウィンは小学生の時に「のらくら」と言われるほど落ちこぼれだった。

アインシュタインは3歳を過ぎても言葉を発せず、9歳までろくな会話ができなかった。

今なら発達障害と言われてしまう人たちだけれども、世界を変えてきたのは彼らである。"

輝く個性を持っているのに、多数をまとめるための学校やシステムの都合で、問題児や劣等生のような扱いをされてしまう子たちがいる。

スティーブ・ジョブズ、トム・クルーズ、夏目漱石、芥川龍之介、中原中也らは、問題児や劣等生だったよねと。
けれど偉大なことを成し遂げてた来た。

マイノリティっていうのは、個性であり、希望なんだ!と私は思いました。

私自身は"HSP"という外部刺激に対して感受性の高い気質を自認しています。
HSPの中でもHSS型HSPという「刺激に敏感/刺激を探求する」という一見矛盾するような特性をもつ、人口の6%のマイノリティです。

仕事においては、その感受性の高さ(気付き力)が評価されるシーンが多くありました。
過去の誰も気づかなかったミスに私が気付くなどダブルチェックが得意で、未然に事故を防いだことも何度かありました。

得意といえることがありつつも、皆にとっては"普通"のことが、私にとっては"普通ではない"ことがありました。逆もまたあって。多くの人が気付かないような細部に気付き、一人で苦しむこともある。
人を殺すのは"孤独"です。マイノリティは常に「周りに理解されない」という孤独を抱えているのです。

私が孤独と向き合えるようになったのは、HSP同士の信頼できる友人ができたこと。また、HSPを理解してくれる人と出会えたことによるものです。

個性を認めるということの重要性を身をもって体感しています。

3-2│自分は自分のままでいい、を育む

現代だと、書道家の武田双雲さんという方が、ADHDであると、お医者様から伝えられたそうです。(正式の診断を受けたっていうよりお医者様からかもしれませんね、と言われた)

小学校の時、1+1=2 はなんで?と思うことがあったり
授業中に ばーっと一人で喋っちゃったり。

周りの環境の変化で色々とあったようなのですが
ご両親が双雲さんを肯定してくれていた。

ご両親による肯定で「自分は自分でいい」と思えていたからこそ、好きな道を進むことができたのではないかと思います。

先述のようにオオタさんご自身もADHDだったんじゃないか、というお話がありました。

個人的な主観になりますが、双雲さんとオオタさんの共通点だと感じたのは
・感動が深い
・文体が似ている
・特定の教科に強い興味があり、他はなし
というところ。
決められた枠組みに対する疑問、小さなことに大きな喜びを得る。
双雲さんとオオタさんの繋がりを感じました。

夢みる小学校に話を繋げていくと。
"自分は自分のままでいいんだよ"という言葉が映画のキャッチコピーであり、実際にこどもの村学園が体現していることであると、実感しました。

卒業を祝う会で、中学生の女の子が涙しながら

「好きなことをやることに躊躇いがあったけど、ここの人たちは自分をそのまま受け止めてくれた」

と話していました。傷つけられてしまった経験を超えて、こどもの村学園の繋がりの中で自己肯定感を育み、自信を持つことができたのだろうと。それは、とても尊い経験だったのだろうと思いました。

小学校・中学校で大事なのはきっと、"自分は自分のままでいい"と思えること。
自ら問いが生まれるような経験をして興味関心を見つけていく。
調べる力・形にできる力を身につけて中学生になる。

中学生は、ちょっと大人に近づく。
こどもの村では、小中学校全体で全校ミーティングがあり、中学生が司会をする。運動会でもそう。小学生という自分たちが守り導く存在がいることで、関係性の中で大人になっていく。

こどもの村学園では、中学生になると飢餓や戦争、環境といった社会問題に関心を抱く子が増えるそうです。
きっと自分自身が満たされているから外側に関心が湧くのではないかと思いました。

小学生のうちに自信を身に着けて、承認欲求が満たされていく。
自分でいいと思えていて、安定した基盤が出来上がる。

承認欲求ときくと、多くの人が思い浮かべるのが
以下のマズローの欲求5段階説かと思います。

マズローの欲求5段階説において、一番下から生理欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求。

下から四番目の承認欲求までが小学生のうちに満たされるから、自己実現欲求に進めるのではないか、思いました。

中学に入ってからの自己実現は、自分自身の興味関心でもあって、人のためでもある。

仕事もそうですよね。誰かがお金を払って自分にできないことをプロにお願いする、自分できるかもしれないけど他に時間を使いたいから人にお願いする。誰かに必要とされる、という前提がある。

これって他者貢献で、利他なんですよ。
自己実現は自分ができることで、他者に求められること、この一致だと思うんですよね。

自己実現のためには、まずは自分が満たされていなければならない。
小学生のうちに自己承認ができるようになって、中学生になり、自己実現に進んでいく。
満たされているからこそ、他者や社会のために何ができるんだろう?と自然と外の世界との関わりを見つめていける段階なのかなと思いました。

3-3│自己実現に悩んだ時期

私自身は、自己実現に悩んだ時期がありました。

強み診断ツール ストレングスファインダーの公式資格・Gallup認定ストレングスコーチである八木仁平さんが運営する「3ヶ月間でやりたいことを見つける」プログラムがあります。
私はそのプログラムを受講していました。受講中にも色々と悩み、コーチさんの力も借りながら、本当にやりたいことを見つけました。そして、今年の春頃に無事卒業することができました。

その際、自己実現とは何か、という疑問が頭をよぎりました。
やりたいことは明確になったし、迷いもなかったのですが、「自己実現」という言葉の真の意味について深く考えました。
夢?キラキラ?贅沢品?自分のため?誰かのため?

その過程でたまたま仏教に関心があり、仏教における利他の精神と自己実現の関係性に気づきました。マズローの段階説の中の自己実現も、利他の概念と重なる部分があると感じました。
「自己実現は、利他なんだ!」と。

「利他とは誰のために?」と考えたとき、私は身近な人や過去の自分のためだと感じました。私自身が過去に経験した困難や挫折から、解消方法やアドバイスを提供することこそが自己実現なのではないか、と思うようになりました。

私は過去に人間関係の悩みや自信喪失を経験し、生きる喜びを見失っていました。そのとき、ストレングスファインダーやコーチングの力を借り、自分の強みや今まで出来たことに目を向けることができました。
また別の機会に、幼少期の経験や傷をカウンセリングで話すことで、乗り越えてきました。

これまでの私の経験や困難は、私が提供できる価値や伝えたいメッセージの源となっています。
私はコーチングの領域に特化して活動をしていく予定ですが、自分や他者を理解し、より楽に生きる方法を共有することが、私の伝えたいことです。

4│雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、に惹かれる

オオタさんには「まほろば」という発信基地があります。
「懐かしい未来」ともいえるような、オオタさんのビジョンを表現する世界観ですね。

オオタさんは、自らの制作する映画の印象が宮沢賢治の童話を読んだ後のような雰囲気になったらいい、と語られていました。
彼は宮沢賢治の作品を
「祈りと夢想と科学的な思考が渾然と昇華された、近代の神話。哲学ファンタジー」と評価しており、その深い文学的な解析力と高い技量を賞賛しています。

オオタさんは多角的な視点から、様々な職域や歴史、科学、教育などからの情報を参考に まほろば という独自の世界観をつくりあげています。
そして、過去や近代の偉人の思考や世界観とも連携しているように見えました。
ストレングスファインダーでいうと、運命思考・原点思考の資質の特徴を感じました。

運命思考は、目に見えない繋がりを感じ取るのが得意な資質です。
オオタさんはたくさんの参考書籍をもとに、様々な分野の関連性を見出されていました。畑の土と人の腸の繋がり、菌と人の繋がりは、なんだか生き物という大きな輪を感じましたね。

原点思考は、過去があって今がある、という考え方を起点にする資質です。過去の偉人や著者の言葉や経験から学び、今に活かされている視点が、この資質を連想させられました。

話を書籍に戻しますね。
オオタさんが表現した世界観に近い、宮沢賢治作品たち。
私自身、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ」という詩が好きで、雨の日には特にその言葉を思い出します。
Twitter(現X)では何度か、替え歌のようにポストしていましたね。笑
惹かれるものがある。不思議ですねぇ。

「銀河鉄道の夜」も読んだことがあり、そこから感じる懐かしい世界観が印象的でした。
ロールモデルは、過去の偉人でもいい、という話を時折聞きますが、私自身もそういう部分があるかもしれない、と思いました。

5│パラレルキャリアだからこそ今に繋がった

オオタさんは、もともと装丁家や広告クリエイター、写真家としてのキャリアを持っていました。
しかしそれぞれの経験だけではピンとこず、映画監督としての道を選んだ時、これまでの経験がすべて繋がり、楽しむことができたようです。

私自身も似たような経験を持っています。
私は化学メーカーの開発職やSEの仕事を経験し、webライティングやマーケティングも学んできました。これらの経験が現在私の中で全て繋がっていると感じています。

例えば、化学メーカー時代には論理的な計画立てやデータ分析の経験が得られました。
化学の世界には多くの仮説が存在しており、その仮説も時とともに変わっていくことがあります。実際、天動説から地動説へと変わった歴史も存在します。科学の世界は、常に新しい仮説や研究が生まれ、それによって今までの常識が覆されることもあります。

私の友人で研究員をしている人がいて、その方と科学的な検証の重要性やその限界について語ることがありました。
科学的な証明が存在しても、その結果が絶対的な真実であるわけではありません。
何かの理論や仮説が現在正しいとされても、未来にはその考えが変わる可能性もあるんですよね。

SEとしても働いてきました。プログラミングでは、オブジェクト指向の考え方や、様々なコンポーネントを組み合わせるコーディングスキルも身につけました。
これらの経験は、後の仕事にも活かされています。何かを繰り替えし行う時は、ひとつのパーツを用意する。重複しているうちの一部を変更するのなら、その一部を書き換えたパーツをまた作成する。参照先をつくる、など。

今まで経験してきた仕事を具体的なスキルとして活かすばかりではないけれど、抽象化して概念として認識し、また具体に落とし込んで活かしていける。それが、私の強みとなりました。

パラレルキャリアと少し離れますが、色んなことに興味をもち行動する、という点では、この書籍に辿り着いたのもたくさんのご縁が繋がったおかげでした。

きっかけは、Twitter(現X)で「世の中は諸行無常」とツイートされている方を見つけたこと。「仏教的な感性の方とお話してみたい!」と突撃して、オンラインでお話させていただきました。
(本当に、突撃。応じていただいたことに感謝しかありません)

お話の中で「学校をつくりたいという人がいて、きっとおかゆさんと話が合うとおもう」と紹介してくださいました。
その方に「夢みる小学校」を教えていただき、自ら調べて予約し、観に行って、この本を手に取った。とても貴重な機会とご縁をいただきました。

そして自身が学生時代から興味関心を持っていた""に繋がり、仕事としている"自己理解"や思い悩んだ"自己実現"にも繋がった。
心より感謝しております。

まとめ

興味のあることに突撃していくと、全てがいつか繋がるよ、というところでした。(とてもざっくりのまとめ)

実はこの感想、音声録音として収録した文字起こしなのですが。
47分も話してしまいました。笑
アウトプットの大切さを改めて実感しています。

今日のシェアはこの辺で終わりたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

それでは、引き続きよろしくお願いします🐧💨

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