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難関高校入試の国語から考える現代社会入門② 倫理

はじめに

前回の記事はこちらです。


シリーズ第二弾は「倫理」です。ここ数年の難関高校入試問題で非常に多くなってきています。2022年度久留米大学附設高校、2021年度ラ・サール高校、2018年度桐朋高校、2016年度渋谷教育学園幕張高校、2014年度慶應女子、2011年度お茶の水女子大学附属高校などで、倫理がテーマの文章が出題されています。特にコロナ禍以降は倫理の中でも「生命倫理」についての文章がちらほら見られます。

倫理とは何か

倫理とは簡単にいうと、「善悪の基準」のことです。私たちは社会で他者と関わりながら生きていくなかで、いろいろな問題に出会い、人間について、あるいは社会のあり方について考えることがあります。何が善いことで、何が悪いことなのか。何が正しくて、何が正しくないのか。その基準や意味について考えるのが「倫理」なのです。死刑や殺人といった世間で大きく問題になるテーマから友人との接し方まで日常のありとあらゆる事柄について考える、非常に身近なものなのです。

ケーススタディ

①大切な人と社会、優先すべきは?

2021年度ラ・サール高校では新海誠監督作品『天気の子』についての文章が出題されました。観ていない方のために簡単にあらすじを説明します。(ネタバレを含みますのでご注意を。)
異常気象で雨が降り続く東京が舞台。神津島から家出をしてきた少年が、天気をコントロールできるという「晴れ女」の少女と出会い、2人は「晴れ」を呼ぶビジネスを始めます。依頼に応え、イベントなどに合わせて天気を晴れにしていくのですが、実は少女の力には代償がありました。その力を使いすぎると、副作用として彼女の存在が消え、「天空」に召されてしまうのです。少女一人を犠牲にすれば異常気象を止められる。少女を救えば東京は異常気象はそのままで、東京は水没してしまう。少年は、少女を救うことを選びます。結果的に東京は水没してしまいました。
個人と社会の利害が対立したときに、どうするべきか。どちらを優先すべきでしょうか。もちろんこれはそう単純な話ではありません。これはコロナ禍の社会ではますます他人事ではなくなってしまいました。自分の自由と周囲に与える影響、感染症のリスクと社会経済的な不利益のバランスをどうとるか。何を基準に選ぶか、どこに線引きをするかは、完全に一致することはないでしょう。だからといって、思考停止したり、自分の基準を他者に押し付けるのも違います。「最大多数の最大幸福」でおなじみの功利主義(人々の幸福/快を増やす行為が善だという考え方)的な基準が必ずしも正しいとは限りませんが、合理性を軽んじれば不幸は増えてしまいます。大切なのは自分で考えて、信じられる基準を持ち、それを社会の変化とともに考え直し更新していくことではないでしょうか。

②生命倫理

2011年度のお茶の水女子大学附属高校では、脳死臓器移植医療の孕む問題についての文章が出題されました。脳死臓器移植医療は、難病に苦しむ多くの人々を救う一方で、問題点もあります。
脳死は死なのか?死が自然に訪れるものではなく、何らかの「決断」を伴うものにしてしまったことははたして何をもたらすのか?自分にとって「他なるもの」を排除しようとする生体本来の働きである免疫を抑制することで「自己」を維持しようとするという矛盾は問題ないのか?
人間の生死がテクノロジーの領域に足を踏み入れてしまったことは、果たして何を意味するのでしょうか。テクノロジーの発展に伴う負の側面はいつの時代も問題になります。デメリットから目を背けず、両者を天秤にかけて総合的に考えることが今後の社会でもますます重要になるでしょう。

参考書籍










おわりに

簡単に答えが出ないからこそ、考えるのは無駄だと思考停止するか、思考を止めずに向き合い続けるかで差が出るのでしょう。難関高校は後者のような受験生を求めているのではないでしょうか。難関高校の入試問題からは、社会と関わるきっかけを数多く得ることができます。ぜひ受験校だけでなく、さまざまな入試問題に目を通して、興味と視野を広げてみてください。

お読みいただきありがとうございました。

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