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高校入試研究① 2022年度 開成高校 国語 大問1

このシリーズでは高校入試研究と称して、自分が解いた問題を解説・分析していこうと思います。

記念すべき第1回は今年2/10に行われた2022年度開成高校の国語です。大問ごとに分けて投稿しようと思いますが、途中で気が変わって違う問題の分析になることもあるかもしれません。ゆっくり、自分の思うままに投稿できたらと思いますので、その辺はご容赦ください。

今回はざっくりとした感想と大問1(小説)について書いていきます。

全体の感想

まず、今年度の話をする前に昨年度についても触れておきたいと思います。開成は一昨年まで論説文+小説(たまに随筆)+古文という構成でした。しかし昨年度は大問2つ(論説文+古文)、しかもどちらも複数の文章からなる問題でした。あくまでも個人的な推測ですが、昨年度は共通テストの初年度ということもあり、共通テストをオマージュして作られたのではないかと感じました。それを受けての今年度。構成は例年通り。設問も論説文の漢字を除けばすべて内容に関する記述問題という、まさに「開成らしい」問題でした。設問数こそ多くありませんが、どの設問も文章の深い理解が求められます。これはおそらく今後もしばらくは変わらないでしょう。

大問1分析

出典:くどうれいん『氷柱の声』

芥川賞の候補作にもなった作品です。東日本大震災後の被災地が舞台の物語。あらすじは割愛します。ちなみに今年度の中学入試でも麻布や海城などで出題されています。今後高校入試や中学入試で出題されることが増えそうな作品ですので、ぜひ読んでみてください。この問題では物語の序盤、「滝の絵(ニ〇一一)」がほぼ全部使われています。(p13の最後「四月末、」〜最後まで)

問一

設問分析
 心情説明。傍線部は「それが涙声になっているのが分かって、お手洗いへ駆け込んで泣いた」

傍線部付近の分析

「そう、なんですよ。がんばりました」それが涙声になっているのが分かって、お手洗いへ駆け込んで泣いた。悔しいよりも、うれしいが来た。私はそう言われたかったのだ。

まず、「涙声」と「泣いた」が心情を表している。また最後に「私はそう言われたかったのだ」とあるので、「自分が言われたかったことを言われたから」が「泣いた」の理由だと分かる。

方針

① 心情説明(「涙声」/「泣いた」の部分)
② ①の理由説明(「私はそう言われたかったのだ」の内容)
③ ②→①が成り立つための前提/背景の説明

解答要素

① これは傍線部直後にもあるように「うれしい」でいいでしょう。
②「私はそう言われたかったのだ」の内容だが、傍線部直前で所属する美術部の顧問であるみかちゃんに、次のように言われた。

「このさ、見上げるような構図。木のてっぺんから地面まで平等に、花が降っているところがすごい迫力なんだよね。〜控えめなのに力強くてさ。伊智香の絵はすごいよ。すごい」

ここから、伊智香は自分の絵を褒めてほしくて、みかちゃんが実際に絵を褒めてくれたことが「うれしい」のだと分かる。
③ ではなぜ、「私はそう言われたかった」(=絵を褒められたかった)のか。ここまでの背景として、伊智香は被災地のために絵を描くように促されて、ニセアカシアの絵を描いた。それについて新聞記者から取材を受けるのだが、質問されるのは伊智香が描いた絵のことではなく、「被災地にメッセージを届けようとする高校生」としての伊智香のことだった。つまり、絵のことにまったく触れずにそれを描いた伊智香のことばかり聞かれ、悔しさを感じていたのである。

解答例
取材に来た新聞記者が絵ではなく被災地のために絵を描いた高校生としての伊智香にばかり関心を持っている様子を見て悔しさを感じていたが、顧問のみかちゃんに絵そのものを褒めてもらえて嬉しいという心情。

ちょっと長いかな、、、

問ニ

設問分析
心情説明。コンクールでの審査員の審査に対する姿勢に対して伊智香がどのように感じているかを説明する。
傍線部付近の分析

ああ。やっぱ絵じゃないんだ。と思った。審査されているのは純粋にこの作品ではなく、「この作品を描いた高校生」なのではないか。作品と作者の不遇を紐づけてその感動を評価に加点するならば「特別震災復興賞」という賞でも新設すればよかったのに、とすら思った。

高校最後のコンクールの授賞式の場面。「やっぱ」という表現から分かるように、伊智香は「ニセアカシアの絵」について新聞記者から取材を受けたときと同じことを感じているのである。つまり、人々が関心があるのは作品ではなくそれを描いた人であり、その人にまつわるドラマなのである。
方針
① 審査員の審査に対する姿勢の説明。
② ①に対して伊智香がどう感じているか=心情。
③ ①→②の前提。
解答要素
① 傍線部付近の分析でも話した通り、審査員の姿勢は「作品の出来ではなく、作品と作者の不遇を紐づけて、その感動を評価に加点する」というもの。つまり、作品の出来以外の要素を審査の対象にしているのである
② 傍線部の前、伊智香の最優秀賞の作品についての心中描写で、「〜これが最優秀賞。そんなの可笑しいだろうと思った。」とある。心情表現としては「腹立たしい」や「憤り」といったところだろうか。
③ 傍線部付近の分析でも説明したように、これは「コンクール」の場面である。コンクールは本来絵の出来を競う場であるはずだ。それなのに、絵の出来以外の要素が評価されてしまっているのである。(スポーツに置き換えて考えるとわかりやすい?)

解答例
絵のコンクールは本来絵の出来を競う場であるはずなのに、作品の出来ではなく作者の不遇とそれにまつわる感動で評価している審査員の姿勢に対して腹立たしく感じている。

問三

設問分析
心情説明。比喩表現を言い換える。
傍線部付近の分析

夕方の美術室にひとりきり、私は私の滝を抱きしめていた。

場面はコンクールの後。美術室で一人「滝の絵」を見ていると、榊という教師が美術室に入ってきて、「滝の絵」についてこんなことを言う。

「立派な絵だよな。ちょっと今このご時世で水がドーンっと押し寄せてきて、おまけにタイトルが『怒涛』ってのは、ちょっときつすぎるけど、俺は意外とこういう絵がすきなんだよ」

このセリフから伊智香は自分の絵がコンクールで受賞できなかった原因に気づき、馬鹿馬鹿しくなり、やけになって「滝の絵」を蹴り飛ばそうとするが、咄嗟に的をずらして結局蹴ることができなかった。
傍線部の「私の滝」は「滝の絵」のこと。「抱きしめていた」という表現に心情が表れている。
方針
① 伊智香にとって「滝の絵」はどんな存在か。
② 「抱きしめていた」の心情説明。
③ 状況説明。
解答要素
① 傍線部付近の分析にあるように、「やけになって蹴り飛ばそうとしたが、結局蹴ることができなかった」という描写、あるいは、「無冠の絵となってしまったもののら私は滝の絵をとても気に入っていた。」という描写から、「滝の絵」は伊智香にとって大切な作品であることが分かる。そしてそれは、コンクールで賞を取れなかったとしても変わらないのである。
② 「抱きしめていた」という描写、そして①から心情は「滝の絵が愛おしい」と説明ができる。
③ 傍線部付近の分析だ説明した通り、「セリフから伊智香は自分の絵がコンクールで受賞できなかった原因に気づき、馬鹿馬鹿しくなり、やけになって「滝の絵」を蹴り飛ばそうとするが、咄嗟に的をずらして結局蹴ることができなかった」を受けての場面。

解答例
榊の言葉を聞いて滝の絵がコンクールで受賞できなかった原因に気づき、やけになって絵を蹴ろうとしたが、結局蹴ることができなかったことで、コンクールの結果に関係なく滝の絵は伊智香にとっては大切な存在だと実感し、滝の絵を愛おしく思っている。

これもちょっと長いかな、、、

以上になります。開成らしい素晴らしい問題でした。やっぱり開成だなぁ。

拙い文章に加えて、長くなってしまいました。最後までお読みいただきありがとうございました。

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