もし吉澤嘉代子の「残ってる」が古典和歌だったら
社会人3年目の春。
仕事にも恋愛にも疲れ、会社を休んでビジネスホテルに3日間ひきこもったことがありました。
いわゆる“デジタルデトックス”のようなことをしようと、スマホも持たず、部屋の清掃も断り、ひたすらベッドで目を瞑っていたのです。
しかし3日目にもなると、さすがに飽きてテレビのスイッチをON。笑
そこで初めて知ったのが、吉澤嘉代子というシンガーソングライターでした。
人の弱さを包み込むような、彼女の優しい雰囲気に何となく惹かれ、ぼーっとテレビ画面を眺めていたのを覚えています。
歌の冒頭から強烈に引き込まれる
そして彼女の歌が始まった瞬間、固まってしまいました。
画面に流れる歌詞から目が離せなくなったのです…!
大好きな恋人とお泊まりデートをして、始発の電車で帰ってきたといったところでしょうか。
日頃から通り慣れた改札も、時間帯が違うだけで雰囲気がガラリと変わり、まるで見知らぬ場所かのように感じること、ありますよね。
ゆうべの服のまま、規律正しいとは言えない遊び方をしてしまった。
そんな朝帰り特有のほんのりとした罪悪感と、幸せな時間を過ごした余韻とが、とても上手く表現されていると思いませんか??
この日からしばらく、吉澤嘉代子がつむぐ言葉の虜になってしまったのでした。
夏の終わりを感じさせるフレーズ
この曲には、夏の終わりを感じさせる表現がいくつか出てきます。
中でも2番のAメロは、個人的にかなり好みです。
楽しいイベントが盛り沢山だった“夏の余韻”に、幸せで満たされた“熱い夜の余韻”を重ねているのでしょうか。
それを「ネイル」というアイテムで表現するところが、また今風で面白いですよね。
語り始めたら止まらないほど、素敵なフレーズがたくさん散りばめられているこの曲。
どこを切り取っても“和歌映え”しそうですが、やはり最初に心を鷲掴みにされた冒頭の歌詞を和歌にしてみることに。
朝帰りといえば「有明(ありあけ)の月」
始発電車での帰路を思わせる「改札」というワード。
これをそのまま使うより、もっと和歌に似つかわしい言葉はないかと考えてみました。
それが「有明の月」です。
「有明」とは、まだ月が残っている夜明けのこと。
月が“有る”うちに夜が“明け”るから「有明」というのですね。
男女の朝の別れを詠むときによく使われる、美しい古語です。
また、もうひとつ気になったのが「朝帰りの罪悪感」という概念。
平安時代のデートといえば、夜に会って朝に別れるのがお決まりのパターンですから、現代のようにただ朝帰りというだけで後ろめたく感じるのは、少し不自然な気がしたのです。
そこで「忍びつつ」という句を入れることに。
“人目を避ける恋”という設定を加えることで、余韻に浸りながらもどこか後ろめたさを感じてしまう、ちょっぴり複雑な感情を表してみたつもりです。
忍びつつ 逢ひ見しのちの 有明の
月もわが身を 責むるやうなり
※解説は冒頭のインスタ参照
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