世界はどうしようもないことであふれている 『流浪の月』

自分が社会から逸脱しちゃったらどうする?そんな問いが頭の中をぐるぐるまわっている。

2020年本屋大賞受賞作品の『流浪の月』を読んだことがキッカケだ。この作品をみんなにおすすめできるか、と問われると言葉に詰まってしまう。正直、ちょっとわからない。

けれど、小説をエンターテインメントとして楽しめる人は、ぜひ読んでみてほしい。凄まじく引き込まれて、ジャットコースターのように感情を引きずりまわされる

小学生の更紗は両親を亡くしてしまい、叔母の家で自分の居場所を失っていた。逃げ出したくて家に帰らずに公園で過ごしていると、一人の青年・文に声をかけられる。更紗は、もうあの家には帰りたくない!と、彼の家についていってしまうことから物語は動きはじめる。

世間的には、これは誘拐。でも更紗には彼の家の方が居心地よく、ずっとここに居たい、と感じてしまう。このさき2人に何がふりかかってくるのか…。まあ、予想できてしまう。

社会は、青年と小学生という組み合わせを許容しない。

人と人がただ一緒にいることにすら、目に見えないルールのようなものがあって、わたしと文は出会ったときから、そこからはじき出されている。いつも居場所がない気分というのはひどく疲れる。

これは更紗の心理描写だ。

一つの事象にたいしても、人によって解釈は異なる。関係ない他人から見たら、青年・文はただの誘拐犯・犯罪者で、更紗は可哀想な女の子なのだ。しかし、張本人達は、ただ一緒にいただけだと思っている。この現実世界との解釈のズレが様々な理不尽を生み出していく。

世界はどうしようもないことであふれている。どうしようもない現実に、彼らはどう向きあうのか。ぜひ楽しんでみてほしい。

抑圧された現実の中での自由

この小説で好きだったのは、自由を表現する描写だ。たとえばお酒を飲むシーン。

ふたつのグラスにウイスキーがそそがれる。水も氷も入れない。琥珀色の液体をそのまま透かすガラスに見とれた。理由のない乾杯をして、喉に流し込む。わたしの喉の形通りに流れ落ちていく熱が心地いい。飲み込んでしまったあとも豊かな香りが広がる。

抑圧された状況だからこそ、そこから逃れてお酒を飲む描写がたまらない。抑圧が強ければ強いほど、解放されたときの快感も大きくなるのだ。

抑圧→解放という構造は、現実の世界にもたくさん存在する。たとえば、仕事がんばってから飲むお酒とかも。時々、すべての仕事を投げ出して、誰もいないところで気ままに暮らしたい衝動にかられたりする…。

自由の希求は、人間の根源的な欲求なのかもしれない。だからこそ、開放感のある描写には、強く共感してしまう。

逸脱と救い

小説に登場した2人は極端だけど、誰しもが自分の中に「偏り」を持っていると思うのだ。たまたま、その偏りが社会規範の内側におさまっているか、否かの差でしかないのかもしれない。

人と違っていることは不安だ。それが、世間的に見て恥ずかしいものであれば、なおさらだ。多様性の時代と言われて、違っていることを受容できる人も増えていることは感じつつ、まだまだ世の中は偏見に満ちている。

それでも、思うのだ。たとえ世間の理解を得られなくても、たった一人だけでもわかってくれる人がいれば救われる、と。それは、家族でも、友達でも、もしかしたらネット上の見知らぬ人でも…。


あるいは、自分と似たようなやつが世の中には存在する。それを知るだけでも救いになるかもしれない。こんな奴おるのか…みたいな。そのための本であり、インターネットなのだ。

逸脱と救い、そして自由。いろいろと考えさせられる。登場人物の感情描写が生々しく、フィクションなのにすごい…と感心の連続だった。小説ならではの面白さを味わえるのではなかろうか。


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