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「青嵐」とは、いつの「風」

【スキ御礼】「青嵐」とは、どんな「風」

「青嵐」とは、夏のいつ頃に吹く風なのか。
歳時記では「三夏」とされていて、夏のすべての時期とされてはいるが、文献によっては微妙に異なっていることに気付く。
前回の記事で引用した文献をもう一度見直してみよう。

漢和辞典では、

【青嵐】の風。靑葉を吹く風。又、靑々とした山の氣。

諸橋轍次『大漢和辞典』大修館書店 1959年

中唐の詩人白居易(772~846)の詩((一部)では、

未夜青嵐入、先秋白露團

(通釈)
まだ夜にならないのに青葉を吹く夏風が入り、秋にならないのに、もう白露が丸く結んでおり、

「題盧秘書夏日新栽竹」『新釈漢文大系99 白氏文集 三』明治書院1989年


日本の歳時記では、

【青嵐】青葉のころにふきわたる清爽な、やや強い風である。

山本健吉『基本季語500選』講談社学術文庫 1989年

と、されている。(太字は筆者)
いずれも青葉の頃としているのは共通である。

このうち中国、白居易の詩では、青嵐は秋に近い晩夏の頃に吹いている。
一方、日本でも室町時代の連歌論書では、

青嵐、六月に吹嵐を申也。発句によし

梵燈庵主袖下集

と六月(旧暦)に吹く嵐と言っていて、新暦だと七月ごろ、すなわち「晩夏」の頃だと言っている。

ところが、一部の文献では、青嵐が吹く時期を「初夏」と特定しているものがあった。

あお‐あらし あを‥【青嵐】
〘名〙 (「青嵐(せいらん)」を訓読した語) 初夏の青葉を吹き渡る風。《季・夏》

精選版 日本国語大辞典

この違いはどういう訳か。
それには「青葉の頃」とはいつごろか、というところから確認しなければならない。

歳時記では「青葉」は今日では「三夏」とされているが、季題に立てられた歴史は浅い。

【青葉】
『連歌新式増抄』『初学抄』に「青葉は春なり」とあり、『産衣』には「青葉は雑なり。草木の名をいはず、ただ青葉とばかりは、いはれず」とある。「若葉」に比べて、季題として安定していない。
 (略)
「青葉」の題を立てたのは、大正以降か。「若葉」と「青葉」の別を言えば、「若葉」は「新緑」であり、初夏の新鮮な季感にあふれているが、「青葉」は「深緑」で、時期的にややずれ、また季感がややぼやける。

山本健吉『基本季語500選』講談社学術文庫 1989年

ということで、「青葉」そのものも季節感が不安定であったことがわかる。

白居易の詩は晩夏ではあるが、季節を特定して使用しているとも限らない。
また、日本で室町時代の連歌書には「六月」に吹くとあったが、「春」とも「雑」ともあり、一定ではない。

「青嵐」は晩夏か初夏か、という疑問から始まったところが、「青葉」そのものの季節感の歴史が浅いため、その上に立つ「青嵐」の季節感もまたそれに引きずられていることがわかった。
今日では「青葉」が無季ではなく「三夏」としているので、「青嵐」もまた「三夏」に吹く風である、とまでしか言えないのである。

すると、青嵐を「初夏」の青葉を吹き渡る風、と国語大辞典が解釈しているのは何故だろう。
すると今度は、「初夏」とはいつなのか、夏とはいつからいつまでなのかを定義する必要が出てくる。
引用した文献は歳時記ではなく、国語辞典である。
歳時記では、夏を二十四節気の立夏から立秋の前日までとしている。
同じ国語大辞典で「夏」を調べてみると、「現在では六月から八月、」とされている。この場合の「初夏」とは六月から七月を言っているようである。

まとめると、今日の「青嵐」の吹く頃とは、
 ①歳時記では青葉が三夏とされており、その時季に吹く風であること、
 ②用例では、六月から七月にかけてのものが引用されている、
という理解にとどまることになった。

☆芭蕉の句「あらたふと青葉若葉の日の光」には「青葉」が用いられているが、「若葉」を季語として使われているとのこと。
今回の締めくくりもまた 書家・彩雪SAISETSU さんの書のお力をお借りします。

(岡田 耕)


去年の記事です。ありがとうございました。

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