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ひょんな質問からある少年との出会いを思い出した、という話。

こんばんは。おじゅんぴです。昨日の夜、お仕事の区切りがついてご飯を食べて、ふぅ〜と一息ついて。夫さんと2人で久しぶりに『金スマ』を見ながらゆっくりしてました。すると、突然こんなことを聞いてきました。

ねえねえ、働く上で大切にしてることは何?

私達夫婦は、前触れもなくお互いの仕事観や人生観について話すことがよくあります。夫さんとは前職で同じチームで働いていたので、彼の仕事への誠実さや仕事への向き合い方はとっても尊敬していて、よく『今日こんなことあったんだけど、夫さんどう思う?』と相談することもしばしば。
さて、話を戻しますが、働く上で大切にしていることかぁ。急に聞かれるとぱっと出てこないもので。テレビに映る中居くんをぼ〜っと見ながらも、すっとでてきた答えは20代から変わらずたったひとつです。

自分の意志で何事も選択すること

自分の人生は自分が主人公だし、自分のハンドルは自分で握るし、自分の人生のページは、自分で色を塗り、鮮やかにしたいもの。まぁ、よく語られることですよね。・・・あれ、でもなんで私にとってこれが働く上で大切なんだろう?と。金曜の夜に夜な夜な思考スイッチが入ってしまった。

これまでの人生を振り返ってみると、幼少期に私は“自分の人生を自分で選択できない”経験を何度かしていたんだな〜とたどり着きました。
その経験とは、転勤族だったことにあります。

”大好きな友達と一緒にこの学校を卒業すること”はできなかったし、都道県をいくつも越えての移住になるので、”遊びに行きたくても、遊びに行けなくなってしまう”ことを知っていました。(まだ当時は小学生だったので、それらは自分1人ではどうにもできないコトでした)だから自然と、”物事は不可抗力でいつかは終わってしまうことがある”し、"ずっとこの状態が続くことはないんだなあ"と幼いながらに悟ってました。そう考えないと、"なんで私の家族だけが転勤するのか"という私の力ではどうにもならないことを受け入れられなかったんですよね。まあこうも文章にしてみると、可愛くない子供だこと。笑

とはいっても、10代はなんとな〜く毎日を過ごしていた

転勤生活は高校生を区切りに落ち着きました。いよいよ"同じ場所に住みながら、ひとつの学校に入学して卒業できる"という経験ができる!と、こころが踊ったことをよく覚えています。とは思いながらも、実際は"家から近くて推薦入学できる学校"という理由で自転車で15分の高校へ進学したし、海外の海が見てみたからという理由で国際関係の大学に進学した。
大学ではなんとなく授業を受けて、バイトもはじめて、自分のお金でお洋服を買えるようになったけれど、「大学生活ってもっと楽しいものだと思っていたな〜みんなこんなものかな?」なんて心の片隅で思いながら、あれよあれよと入学してからあっという間に1年が過ぎた。

大学2年生になり、私の学科のカリキュラムに体験学習授業が入ってきた。
簡単にいうと、海外へフィールドワークへ行ってみたり、国内で地域の子供達に英語スクールを開いたりと、"机の上にテキストを開いて受ける授業"とは真逆の学習のこと。せっかく国際関係の大学に入ったのだから、海外に行ってみたい。行き先は、メキシコ・インド・東アフリカというどれも個性的な3つだった。説明会に参加しながら資料をペラペラみている時に、先輩がピースして映っている写真の中に1つだけきれいな海が見えた。
「私ここにする」と、東アフリカへ行くと即決したことを鮮明におぼえている。(こう書いてみるとよく自分の特性が出ているな〜と気づかされるんだけど、今も昔もなにか決めるときは直感なんだよね。笑)
こうして大学2年生の夏にフィールドワークへ行くんだけど、これについてはまたゆっくりnoteに書きたいなと思いつつ、現地で出会ったとある少年との出会いについてちょこっとお話ししようかな。

"出会った人とおしゃべりすることが日常" な島、ザンジバル。

私がフィールドワークで訪れたのはザンジバル島。それは東アフリカはタンザニア本土、インド洋にちょこんっと浮かぶ小さな島です。街全体が世界遺産になっていてとにかく綺麗な世界。Queenのフレディ・マーキュリーの生まれ故郷だったりします。
このサンジバル島での体験学習は、"島で暮らす人々とおしゃべりをすること"でした。いたってシンプルです。とはいえですよ。

「突然現れた日本人に、現地の人がおしゃべりなんてしてくれるの?」

と、正直初日は不安しかありませんでした。私以外にメンバーは8人いて、全員が同じ気持ちだったと思います。(ちなみにもちろん先生も一緒。アフリカの呪術についてニヤニヤしながら語り続ける方で、私が今まで出会った先生の中で1番オモシロい人)しかしそんな不安は飛行機を降りた瞬間に吹き飛びました。すれ違うひとみんなが「JAMBO!(こんにちは!)」と笑顔で挨拶してくれるんです。私たちは驚きと嬉しさが入り混じりながらも、ドキドキしながら「ジャンボ!」と挨拶したのを覚えています。
それからの日々は、3人チームにわかれて街をおさんぽ。道を歩けば、「どこからきたの?」と現地のひとから声をかけてくれて、「こっちにおいで!座って一緒に話そうよ!」とスペースを隣につくってくれる。「一緒にこれやろうよ!負けないよ?」とボードゲームに誘ってくれたり。
現地の人にとっておしゃべりは"日常"だった。そして、そんな日常が数日過ぎたある日に、私は"ゴディ"という同い年の少年と出会ったのです。

「純子の将来の夢はなに?」と、目をキラキラさせて聞いてきた少年

出会ったきっかけを覚えていないくらい、彼とは気づいたらおしゃべりが始まっていた。たまたますれ違って、「ジャンボ!はじめまして!」と自然に挨拶して、おしゃべりがはじまったのではないかなぁ。
「名前はなんて言うの?」「どこから来たの?」「何歳なの?」「きょうだいは何人いるの?」「好きな色はなに?」と、自己紹介の定番のような質問をお互いにしあった。
そして「純子の将来の夢はなに?」と、さも「好きな食べ物はなに?」くらいの温度でゴディは質問をしてきた。
「え?将来の夢?・・・将来の夢かあ・・・う〜ん・・・・」と言葉に詰まっている私にもニコニコ笑顔で顔を覗き込んでくる。苦しまぎれに私は「ゴディは将来の夢はあるの?」と質問を返した。そうしたら彼は、

「僕の夢はね、ツアーガイドになることなんだ。純子たちみたいにザンジバル島にきてくれた人を案内できるように。そのために英語を毎日勉強しているよ」とまっすぐな瞳で教えてくれました。

その時、私の心臓はドクンドクンと高鳴った。冗談ではなく大きなタライが頭にバーン!!と直撃したような・・・それはもう大きなショックを受けたんですよね。あれ?そういえば私はなんのために大学へ進学したんだっけ?なんのためにココへ来たんだっけ?何も答えられない、と。

自分の人生を自分の足で歩んでいる人は、輝いている

ああ、彼と同じ20年間を生きてきているのに、穴があったら猛ダッシュで隠れたかった。日本はザンジバルと比べたら、交通機関だって住環境だって食環境だって教育環境だって、言葉を選ばず言えば、整っている国だ。
帰国してからも、こんなにも恵まれた国に生まれて、安全に生きてきたのに。20年間という月日が経過しているのに、自分は何も持っていない、と気づかされたんですよね。

彼、彼らは私よりもはるかに"心の豊かさ"、"将来への希望"、"生きる喜び"を持っていた。しっかりと、大地に足をつけて、生きていた。
そんな彼とのおしゃべりから、私はこれからの自分の人生を意志を持って生きようと決めた。またいつか彼と再開する日のために、あのキラキラとした瞳で同じ質問をされたら、堂々と答えられるように。

自分の意志で自分の人生を選択すること

といいつつも、現在31歳になった私の将来の夢はというと、まだ真っ白なキャンバスに薄いえんぴつで下書きを始めたくらい。でも今日まで毎日生きてきて、選択をする瞬間はたくさんありました。
「今日の夜ごはんは何にしようかな?」「どんなお洋服を着ようかな?」という選択から、「この職場でいつまで働き続けるの?転職するの?」「この人と結婚するの?」という、人生の大きなイベントまで。

でも、どんなにもがいたって時間だけは巻き戻しも早送りも途中停止もできないんだよね。将来の自分は、今、この"瞬間"の"自分の選択"が全てつくりあげる。だから、その瞬間、瞬間で自分にウソをつかずに最高の選択をすること。この自分との約束を、働く上でとても大切にしています。

もちろん選択したあとに、それは正しかったか、正しくなかったかは、自分でもわからないし、ちょっとおかしな方向にいっちゃったな、という時もあります。笑
でもそんな時は、自分のせいでもなく、他人のせいでもなく、また次の選択が来た時に覚悟を持って選べばいい。覚悟を持って選ぶとは、どんなことが起きたって、全部私が受け入れるということ。
そうしていれば、振り返ってみると散らばっていた点が、線となってゆるやかに繋がってきたり、選択した意味を後付けしたっていいんです。
だって自分の人生だもん。私の人生を語るのは私だもん。
「わたしのじんせい」という本の作者は私だもん。

ひょんな夫婦の会話から、11年前の出会いを思い出すとは。そんな夜も悪くないなあと思いつつ、久しぶりに大学の先生に連絡してみようと思ったのでした。


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