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第20回|ANWORKS 信江彩乃さんインタビュー【前編】

こんにちは。
「大谷でできることを増やす」のがミッションのOHYA BASE管理人です。
寒いですね。
管理人の朝は、薪ストーブに火を入れることから始まります。

薪ストーブがある多目的施設、いいでしょう?

今回はANWORKS 信江彩乃ノブエアヤノさんにお話を聞いてきました。
信江さんは手芸家。
またの名をアミモニスト。
どんな人かは早速インタビューをご覧ください。
はじまりはじまりー。


大谷町で働き、大谷町で作家活動をする。

お願いしまーす!
信江 彩乃です。
冬生まれです。
岡山と福岡のクォーターです。
生まれも育ちも宇都宮です。
一人で二人分みたいな名前のわたしです。

あぁ、戸惑うよね、どっちが苗字でどっちが名前か、笑。
わたしも人に紹介するとき「信江さんちの、彩乃ちゃんです」って伝えるようにしてる。
信江さんは大谷町で何をしてる人ですか?

大谷町のセレクトショップでスタッフをしています。
あとは自分の作家活動でOHYA BASEのコワーキングスペースを使っているメンバーのひとりでもあります。

どうして大谷町で働いて、そして活動しているの?

はじめはこんなに長く大谷でとか考えてなかったんだけど、笑。
興味を持ったのはまずは大谷資料館、ですかね。
子どものときに来たっていう人が周りにたくさんいるのに、どうやらわたしは来てなかったようで。
大人になってから自分の運転で遊びに来てみたんです。
そのときに資料館で映像投影をしたりするような作品展をやってて、それがすごくかっこよかった。
それが大谷町が気になり出すきっかけ、かなぁ。

圧倒的な地下空間が広がる大谷資料館
こんな幻想的な景色も

そこにハンドクラフトもののセレクトショップが立ち上がった。
玄関にあるカエルの石が、使い方・見せ方でこんなふうになるんだなぁ、ってそのセレクトショップの商品を見て感激して。

大谷町の最初のイメージは「カエルの石が採れるところ」
信江さん宅のカエルたち実物

そういうことをやっている人たちがこんな近くにいるんだ、静かなところだけど東京みたいだ、って思っちゃって。
わたし自身も作品を作る人間なので、作家さんものを取り扱っている現場に関わることは自分の勉強にもなるなぁ、みたいな気持ちも手伝って働くことを決めました。
周辺にも新しいお店が増えはじめていて、これから盛り上がっていくんだろうな、という雰囲気もあったし。
お客さんとのコミュニケーションもですが、年齢も経歴も違うスタッフ間でのコミュニケーションも刺激があって楽しいなぁ!って思ってます。
制作活動だけしてるとなかなかそういうのもなかったので。
あとは、ここなら自分の運転でも行けそうだ!っていうも大きかった、笑。

イベント時にライトアップされた
大谷資料館敷地内の岸壁と、ショップ


「勢いで」OHYA BASEメンバーに。

そうやって大谷町のショップで働き始めて。
そのうちOHYA BASEにも遊びに来るようになって?

OHYA FUN TABLEにごはん食べに来てたある日、それまでは真っ暗だったBASE側が開いてる日があったんですよ。
それで藏所さん(=管理人)とちょっとだけお喋りして「また今度ゆっくり!」みたいにその日は帰ったんだったかな。
そのちょっとあと、今度は藏所さんがわたしの職場に「OHYA BASEのショップカードを置いてもらえませんか?」って来てくれた。
それを見て、これはわたしがまず最初に行っておきたい、さっさと仲良くなりたい、って思った。

なんでそう思ったの、笑?
なんか相性良さそうかも、って思ってくれたのかしら。

それもありますねー(にやり)。
そういえば、藏所さんがいないときに「藏所さんとすごく相性が良さそう」「楽しそう」って言われたこともあったんだよなぁ。
あとは働いているショップのスタッフの中で、自分の仕事や活動を持っていて場所を必要としている人って、わたし?って思って。
面白い場所で、みんなが来られて盛り上がるんだったら関わりたいな、という好奇心が確実にあった。

そのあとはここのメンバーに既になってたマウンテンズノットのナイトハイキングに参加したり、banya base craftの革のタッセルを作るワークショップに参加したりもしましたね。

山頂から宇都宮の夜景が一望できるナイトハイキング
banya base craftのワークショップで作ったタッセル

そんな間にもメローコーヒーの美味しいスコーンとコーヒーにつられてちょいちょいお茶しに来てくれるようになって、笑、着々と仲良くなっていった。
それで「個展をここでやりたい」って声をかけてくれたんだったかな。

変化が苦手なタイプなんだけど、面白そう!って勘が働いて動けたのかな、って思う。
大学でお世話になった先生には「君は勢いだけが取り柄だからね」って言われたこともあったな。
勢いで決めたことは結果的にいい判断なことが多いし、うまくいってるかどうかは別として後悔が少ない。
自分ぽい判断だったな、って思う。

コワーキング利用契約するっていうのも、まあまあ勢いだったよね、笑。
個人事業主としての書類がちゃんと出せてからにするとか、最初はいろいろ考えて準備してる感じだったんだけど、ある日「もう、とりあえず入ろうと思って!」って言いにきた、笑。


あみぐるみにハマったのがそもそものスタート。

それでOHYA BASEはどんなふうに使ってるんでしょう?

自分の作家活動を。
ワークショップをやったり、普段の制作をしたり、打ち合わせに使ったり、もちろん個展を開いたり。

ちなみに作家活動っていつから?

さかのぼって考えてみたら、作家として最初にイベントに出たのは高校生の時なんですよ。

えぇ!!!
長い作家歴!

作家活動のとっかかりは、やっぱり編みものから。
編みものはいつから…ってさかのぼると「あみぐるみ」っていう存在を知った小学校6年生。
めちゃくちゃにハマっちゃって、流行り出したばかりのインターネットを使ったり、本を買ったりして、あみぐるみやその作家さんについて調べまくったらあみぐるみコレクションってイベントをやってる人たちがいると知って。
そのイベントに何度か足を運んで…って言っても中学生とかだから親に連れてってもらうとかして…そしたらますます「自分もやりたい!」となって。
で、高校生になって自分で参加を決めました。
作品を送って陳列してもらうっていう形なので、自分が現地に立つわけじゃないんですけど。
それからかな、屋号をつけて作家活動を始めたのは。
売りたいっていうよりは、他の作家さんに混じりたい!みたいなのが最初の気持ち。

自分もやりたい!混ざりたい!かー。
ちょっと話は逸れるけど、どうしてぬいぐるみじゃなくてあみぐるみ、なの?

ぬいぐるみも作ってたことあったんですけどね。
生地を選んで作るぬいぐるみより、編んで面を作ってくっていう自由自在さが好きかなぁ。
当時、自分の中でのかわいさがぬいぐるみより、あみぐるみが勝った、ってことだと思いますが。
糸1本とかぎ針でできるんだ!っていうのも衝撃だった。
かぎ針の編み目が好き。
解像度粗いみたいな、それがかわいい。
ちなみに、あみぐるみは世界に通じる言葉で Amigurumi
アニメとかカワイイと同じようなグローバルな分野なんですよ、実は。


けど、わたしは「ニット作家」ではないんです。

最近の信江さんの活動をいくつか聞かせてくれる?

OHYA BASEで知り合った早苗さん(鹿沼箒の職人・栃木県伝統工芸士)や、わたの実さん(ホウキキビの生産者さん)たちを介して出会った新しい素材を使って染色をやったり。

ホウキキビの実と、それを使って染めた糸
淡い小豆色のようなやさしい色に染まる

その鹿沼箒の展示がきっかけで稲荷山の朗読劇衣装制作のご依頼をいただいて、ブローチを制作したり。

あとは時々ですが映像の制作もやってる。
コロナ禍の始まりの頃、いろんな人に協力してもらってアニメーションを作ったり。
OHYA BASEでちっちゃな練習作品を撮ったりもしました。
わたし、大学の卒業制作が映像だったんです。
Eテレでやってた映像系の番組に応募して賞をもらったこともあります。
「ストップモーション」ていうアニメの制作技法で。

コロナ禍に取り組んだ自主企画
「TEAM swiswi 2020(チームすいすい2020)」のおさかなたち

信江さんのことを編みもの専門の作家と思っている人が多いかもしれないけど、実はそうではない、ってことだ。
この記事で強く伝えたいとこだね。
編むことが外せない表現技法の一つではあるんだけど、それ以外のこともいっぱいやってる。

そう、今は編みものとか手仕事系を見てもらう機会のが多いんですけど、ニット作家じゃないんです。


コロナ禍、あみぐるみを使ったアニメーション制作を自主企画。

染めと衣装制作は依頼を受けて取り組んだ例だと思うんだけど、コロナ禍で制作を始めたストップモーションのアニメっていうのは自発的な活動だよね?
これはどうして始めようと思ったの?

コロナ禍の始まり、すごい暗かったんですよね、世の中のムードが。
みんな家に閉じこもって。
でも家でもできて、さらにちょっと人のいないところに出かけて写真を1枚撮るぐらいのことができないかな、って。
過去にわたしの好きな作家さんが同じようなことをやってた。
それは音楽だったんだけど、1つのMVを作るためにいろんな人たちから映像を集めて作品にするというのを。

そういうの、今必要なことなんじゃないかな?と思った。
SNSで「こういうのやってみようと思う」みたいな投稿で参加者を募った。
自分ひとりでもできるんだけど、もし興味を持ってくれる人がいたら参加してもらってもいいかな、ぐらいの感じで。

わたしがお魚を編んで、それを使って参加者それぞれに写真を撮ってもらって、その写真を集めてこっちで繋げて映像作品にした。
あとは、小さくてかわいいものってそれがあるだけで癒される、っていうのもあるじゃないですか。
「かわいい」は心のビタミン剤だから、みたいに言ってくれた人もいたりして。
それを作れるのもわたしの手だし、それを持って出かけて写真を撮って、さらにそれを違う作品にするために送ってもらうのも、コロナ禍でも少しでも楽しみになるならいいなぁ、って思ったところもあって。
結局のところいちばん楽しんだのは自分だったし、いちばん助けられたのも自分だったのかもしれない。


TEAM swiswi 2020の映像をご紹介したところで、今回はここまで。
すいすいー。

【後編】も、いやいや【後編】こそ、信江さんの「らしさ」がぎゅぎゅっと詰まったインタビューになりそうです。
「めんどくさい子どもだったと思う」と苦笑する子ども時代や、小学6年生で初めて編んだあみぐるみのこと、さらには「あみぐるみ受験」まで。
2月中旬のアップを予定しています。
どうぞお楽しみに。
OHYA BASEは「大谷でできることを増やす場所」です。
ではまた次回!

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