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第12回|OHYA FUN TABLE 大友功佑さんインタビュー【前編】

こんにちは、OHYA BASE管理人です。
暑さの次は、じっとり梅雨のような毎日ですね。
でもお外がどんな気候であろうと、大谷の地面の下はいつでもひんやり約10℃。
出かけたい!けど、雨だ!もしくは暑い!どこか!!!というときには、宇都宮市大谷町にぜひお越しください。

さて、今回のインタビューは、OHYA FUN TABLE 大友功佑オオトモコウスケさん。
OHYA BASEというやかたを共用し、そして管理人よりもこの場所で先に動き出していた、OHYA BASEに欠かせないメンバーです。
早速いってみましょう!


家でも料理し、休日は子どもと遊ぶ。自分の時間は…?

よろしくお願いします。
OHYA FUN TABLE 大友功佑オオトモコウスケ です。
40歳になりました、笑。

OHYA BASEで何をしている人ですか?

OHYA FUN TABLEというレストランを経営しています。
名刺には一応「オーナーシェフ」って書いてますね。
基本的にはレストランの営業をしてますが、コロナ禍以降はお弁当作ったり、時にはケータリングやってみたり。
経営者であり、実際に調理をする人、です。

地元の食材をめいっぱい使った、鮮やかな一皿

料理するの、好きですか?

好きなんでしょうね、普通に家でもやっちゃう。
「さぁ、食材買ってこよう」じゃなくて、冷蔵庫の中を見て「コレがあるからアレを作ろう」とか考えるのが好きです。
食材がだんだん整頓されて、きれいに使い切れると気持ちいい。

じゃあ、お料理以外だと、何が好きですか?

今は、子どもと過ごすのがやっぱり楽しいし好きですよね、
上が小1で、下の子は2歳になる。
(インタビューの2日後がちょうど2歳のお誕生日だった!)
ほとんど仕事場にいるので、帰ったら子どもと遊ぶ、休みの日も子どもと遊ぶ。
でも、最近パートさんにも相談したりするんだけど、上の子が小学校に上がったのもあって定休日に自分の時間ができちゃって。
さて、何しよう?って今、困ってる、笑。

子どもが一緒にいることで、公園行ったり、自分もリフレッシュしてたりするんで。

休日は公園や海など外遊びに出かけることが多いそう

急にひとり時間ができちゃって、戸惑っている、笑。

だから、今、趣味、探してます、笑。
店、始めてから太ったから、体鍛えようかな。
お店に貼ってある写真を見せて自虐的に「太っちゃったんですよ」って言っても、誰も否定してくれないですからね。
ジムに行きたい、筋トレにハマってマッチョになってみたいとか、書いといてください。


宮城県の田舎で育って、周りと同じなのが嫌で東京へ。

小さいときはどんな子でした?

実家の側を流れる北上川は、東北地方で一番大きい川だそう

宮城県の北の方の田舎で育ちました。
例えるならちょうど大谷町のちょっと先、新里にっさととか、似た感じかな。
街にコンビニはあるけど、あとはほとんど緑。
虫取りとか釣りとか、友だちと走り回って自然の中で遊んでましたね。
けど、前に出るようなタイプではなかった。
どちらかというと大人しい、静かで人見知りな子。

中学まではずっと部活でバスケ少年。
高校でパンクバンド始めて、ドラム叩いて。
その後は大学進学で東京へ。
無難に、経済学部、経済学科。

東京へ出たのはなぜ?
田舎が嫌だ!息苦しい!という反発みたいなのはあった?

いや、田舎も好きだった。
出たくてしょうがなかったわけでもない。
でも人と同じなのが嫌だったんですよね。
田舎すぎて、東京行く人なんてあんまりいなかったんだけど、俺はせっかくだから、行こう、行ってみたいな、って。
周りと同じこともやりたくないし、みんながいるところにこのままいてもな、って。
目立ちたがりともちょっと違うんだけど。
で、大学に行ったものの…。
いや、あんまりこれは胸張って言えることじゃないんだけど、大学はドロップアウトしてるんですよ。
けど、その時期から料理やるようにもなったんですよね。

なんで???

バイトです。
東京出てひとり暮らしで、まかない目当てですよね、笑。
飯が食えるからって飲食店のバイトを始めたら面白くなっちゃって、バイトばっかりしてて。
大学は何年通ったかな、親に迷惑かけてたなぁ、苦笑。
最後は「これで食ってくって決めたよ」って親に話したら「じゃあ、それを頑張れよ」みたいに言ってもらって。

あまのじゃくだけど、お客さんが喜んでくれるのは何より幸せ。

飲食業の何にそんなに魅了されたんだと思います?

料理を作ってることが楽しいというより、自分の作った料理をお客さんに喜んでもらうっていうのが幸せなんですよね。
それは僕が料理するようになったきっかけでもあるんです。

お客さんが「美味しかったです」って言ってくれるのが、何よりのやり甲斐。
今もそれは変わらず。
若い頃に働いてた店で、メニュー考えてお客さんに食べてもらえるっていう機会があって。
自分が考えたのをかたちにしたらお客さんが喜んでくれた。
そのリアクションが嬉しくて「あ、これだな」って思った。
元々はただ「まかない飯が食いたい」だったんだけど、それに気付いちゃってのめり込んだんだと思う。

小さいときからお料理する子だったんですか?

いや、それが全然だから親もびっくりしてる、笑。
小さい頃の夢だったわけでもないし、親には保育士になれば?って言われてたし。

5人兄弟の、僕は次男。
いちばん下だけ女の子、しかも10こぐらい歳が離れて。
その妹が生まれてきたときには、自分はもう小学校高学年ぐらいになってたから、かわいかった。
それで一緒に遊んでたから、面倒見がいいって思われてたんだと思う。
高校の半ば過ぎて、進路相談とかの時期になったときに「保育士になれば?」って言われたんだ。
あぁ、喋りながら思い出してきた、笑。
けど、当時めちゃくちゃ仲のいい親友がいて、そいつの夢が保育士だったんですよね。
だから、同じは嫌だ、って。
その頃からやっぱり僕はひねくれてた、笑。

あまのじゃく、笑。

そう、あまのじゃくなんだな。
違うことしたくなる。
それは今も変わってないかもしれない。
だから、うちの店でやるメニューは「きっとどこでも出してないだろうな」っていうのを考えてる。
あまのじゃくは料理にも出てると思う、笑。

保育士になれば?って言われるぐらいだから、もともと人と接するのが好きなんだと思うけど、第一印象は「怖い」って言われがちじゃないですか、笑?

そう、近付きづらいとか、愛想悪い、って、笑。

撮影用に手を止めてくれる、優しい大友シェフ

OHYA UNDERGROUNDツアーのガイドたちも「ファンテーブルのシェフって、もっと怖い人なのかと思ってた!」って、後出しで言って笑う。

人見知りはするけど人嫌いじゃないんです、むしろ好き。
俺が下手くそなんでしょうね、言葉のチョイスとか。
それも昔から変わってないんだと思う、苦笑。


もともとは知らない土地だけど、大谷以外考えられなかった。

大谷に店を構えたのはどうして?…ってこれはいろんなインタビューでも聞かれてて「奥さんの地元がこの辺だから」っていうのは知ってるんですけど、もうちょっと深掘りしたい。

まずはやっぱり妻の地元だから。
自分は宮城からぷらっと東京に出て行ったように、また今回も知らない土地に行ってもいいな、って思った。
一時は廃れてしまった観光地だけどまた人が戻ってきてる、とも聞いていたので、これから何かが始まる、みたいなムードがじわじわ来てるのもわかった。

義父は大谷石工芸の職人の渡邉哲夫氏

あとは、妻の父、僕にとっては義理の父が大谷石工芸の職人(大谷石彫刻家の渡邉哲夫ワタナベテツオ)。
父には自分の作品をどーんと出せるような場所を持ちたいっていう夢があって。
ガラス張りにしてお客さんに作業を見てもらえるような工房を、とかも一時は描いてた。
そしてすぐそばには息子のレストランが、っていうのを大谷で一緒にやりたいんだ、って。

それで、レストランの中にそういう部屋を作っちゃおうって特別個室ができたんですけど。

大谷石彫刻が贅沢にあしらわれた特別個室

ほーう!
なるほどそんな構想やラブコールもあったんですね。

あとは、やっぱり田舎育ちだから、大谷のこの感じが落ち着くんですよね。
緑があって、山が近くて、人だらけじゃなくて。
コンセプトにも掲げている「地産地消」っていうのも、この土地なら実現できると思った。
この辺には生産者さんもたくさんいるので、もともと地元民である父親経由で繋いでもらったりもできたし。
美味しいものがいっぱいある、面白い野菜がいっぱいある、ってこっちに来るたび感じてたから。

地元生産者さんから直接納品される採れたての野菜
スーパーでは見ないような珍しいものも多い

お父さんが直接知ってる農家さんが近い距離にたくさんいる、っていうのはとてもいいですよね。
採れたてを、すぐそばで仕入れて、すぐ調理できる。
まさに地産地消。

お米農家の樋口さん
あおぞら農園さん

直接仕入れるからこそ、季節がある。
東京の大手飲食店で働いてると、大きい八百屋さんと取引してるからなんでも手に入っちゃう。
自分が意識しない限り、季節感も何もない。
今は農家さんと直接やってるから、必然的にというか、本当に普通に「季節のものしかないよ」と。
それってすごくいいことだな、大谷はそれが直に感じられるな、と思った。
これだけ資源豊かな大谷でやるから、説得力がある。

「この近くの田んぼで採れた美味しいお米なんですよ」とか、伝わるものが全然違うでしょ?
実際にお店で出してる「みや美豚」なんかも「すぐそこ、古賀志山のふもとで育ててる豚なんです」って紹介してる。
今振り返ってみると、違う土地でやるっていう考えが全くなかったな、初めから。

大谷にお店を出した理由、ここまで詳しく聞けると思ってなかった!
続きをすぐに読んでほしいけれど【前編】はここまで!
【後編】ではいよいよOHYA BASEの話と、開店してから激動の4年間を
振り返るなど、盛りだくさんです。
次回は7月末に公開予定。
お楽しみに。

OHYA BASEは「大谷でできることを増やす場所」です。
ではまた!


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